体が硬く心が乱れがちでもマスターできるヨガと瞑想▼スンニャターヨガ 体が硬く心が乱れがちでもヨガと瞑想をマスターできる方法をお伝えしています。 日々の雑事から離れ、静かな空間でシンプルな過程に身を委ねる... そんな静かでやさしい時間を、生活の中に作ってみませんか?
身体が硬くても、心が乱れがちでもマスターできるヨガと瞑想。 「スンニャターヨガ」主宰の茂木敦子です。 ◎瞑想中に感じる「眉間のムズムズ」は“新たな道開け”のサイン◎ こちらのコラムでは、私がヨガや瞑想を続けてみて感じた変化についてシェアしていきます。 今回は「瞑想中に感じる眉間のムズムズと、“道開け”の深い関係」についてです。 ヨガや瞑想をしているとき、 眉間のあたりがムズムズすること・・・ありませんか? 普段、クラスに参加されている生徒さんからも 「眉間がムズムズする・・・気になる!」とお話をよく聞きます。 私自身も、ヨガをはじめて3年ほど経った頃から ヴィパッサナー瞑想を始めたときや、 ヒーリングについて学び始めた頃などに 「眉間のムズムズ」をよく感じました。 このムズムズって、眉間の肌表面のかゆみではなくて 内側からくるムズムズというか。 じわじわする・・・という表現も、近いかな?
島薗先生の神道論の書評を頼まれた。東洋経済新報社のサイトに掲載されたものである。 本題に入る前に、私事について少し話すことにする。私がどういうふうに神道に接近してきた人間であるか、それを明らかにしておきたい。私は神道に対してニュートラルな立場の人間ではない。その偏りを明らかにしておかないといけないと思う。 私は合気道という武道を二十代から修行していて、大学でも学生に教え、門人も取っている。長く公立の体育館の武道場を借りて稽古をしていたのだが、何となくもの足りない。神棚がないからである。公立の施設は「政教分離」の建前があるから、すべての宗教的な要素が排除されている。でも、それでは困る。神棚でなくてもよい。禅語を記した扁額でもよい。十字架でもいい。道場である以上、超越的境位に通じる回路がないと場として成り立たない。 「道場」というのは、もとは仏道修行の場のことである。そして、武道というのも、原
中日新聞に連載している「視座」に送った原稿を再録。 参院選が近づいたせいで周りが騒然としてきた。何人かの候補者たちから「推薦人」や「応援」を求められる。私は誰に頼まれても「いいですよ」とお答えすることにしている。そう聴いて「節操がない」と眉をひそめる方もいることだろう。でも、選挙というのはそれほど厳密なものであるべきではないと私は思っている。あの人にもあの人にも当選して欲しい。それがたとえ同じ選挙区で競合していても、そう思う。 私はどの候補者についても私の政治的意見との完全な一致を求めない。かなり違っていても構わない。「私が個人的に暮らしやすい社会を作ってくれるかどうか」を基準にして私は選挙に臨むことにしている。極端なことを言えば、権力者が「内田に発言機会を与えない」「著書を発禁にする」「投獄する」というような命令を下した時に身体を張って反対してくれそうな人であれば誰でもよい。 そもそも私
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