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島薗進『教養としての神道 生きのびる神々』(東洋経済新報社) - 内田樹の研究室
島薗先生の神道論の書評を頼まれた。東洋経済新報社のサイトに掲載されたものである。 本題に入る前に、... 島薗先生の神道論の書評を頼まれた。東洋経済新報社のサイトに掲載されたものである。 本題に入る前に、私事について少し話すことにする。私がどういうふうに神道に接近してきた人間であるか、それを明らかにしておきたい。私は神道に対してニュートラルな立場の人間ではない。その偏りを明らかにしておかないといけないと思う。 私は合気道という武道を二十代から修行していて、大学でも学生に教え、門人も取っている。長く公立の体育館の武道場を借りて稽古をしていたのだが、何となくもの足りない。神棚がないからである。公立の施設は「政教分離」の建前があるから、すべての宗教的な要素が排除されている。でも、それでは困る。神棚でなくてもよい。禅語を記した扁額でもよい。十字架でもいい。道場である以上、超越的境位に通じる回路がないと場として成り立たない。 「道場」というのは、もとは仏道修行の場のことである。そして、武道というのも、原
2022/07/23 リンク