サイエンスライターというのは、一般には、科学的な記事や書籍を市民向けに書く仕事だ。 昔は、マイナーな職業だったし、そんなに多くはなかった。市民向けの科学啓蒙書は、専門家(大学の先生)が片手間に書くことが多かったと思う。専門家の書く啓蒙書というのには、今思い返せば、良い本が少なかった。なぜなら、専門家の多くは、一般の人が何に興味を持っているかをわかっていない。その上、大学では、「わかりやすい講義」というのが課せられなかったので、(今はそうでもないので、過去形で書いた)、一般読者がどう書くとわかりにくく、どう書くとわかりやすいのか、無頓着な人が多かったからだ。そんななか、数少ないサイエンスライターの書いたものは、一定の成果を挙げていたと思う。でも、言い方は悪いが、「アウトロー」な立場は否めず、決して、望んでする仕事ではなかったのではないか、という印象があった。きっと、本当は専門家になりたかった
2024年03月09日22:21 カテゴリ本 マックス・ウェーバーのニヒリズム 日本人はニーチェが好きだ。彼はヨーロッパ(特にドイツ)では無神論者としてきらわれているが、日本では『超訳 ニーチェの言葉』などという偽書が100万部以上も売れた。その中身は「初めの一歩は自分への尊敬から」とか「いつも機嫌よく生きるコツ」といったハウツーものだ。天然ニヒリストの日本人にとっては、神が死んだかどうかなんてどうでもいいのだろう。 他方で日本には、大塚久雄以来の「ウェーバー学」の伝統がある。これは講座派マルクス主義の変種で、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を金科玉条として「日本人の精神的自立」を説くもので、膨大な文献学の蓄積がある。 こうした近代化論的なウェーバーの読み方は日本特有のもので、歴史学では『プロ倫』は否定されている。『世界宗教の経済倫理』などの宗教社会学も、ドイツ語訳の2次文献
2008年11月09日17:00 カテゴリMath なぜ数学だけでは駄目なのか/Why math is not enough Good question. いい質問だ。 はてなブックマーク - おちゃめクールの周回遅れはてブ / 2008年11月09日 梅田望夫の紹介をみても思ったけど、日本語だけが残るべき言語なのかと思った。残るべき言語は数学だけじゃないかな。 This is a question easier for me to answer in English than Japanese but let me try in both languages. 私にとっては英語の方が答えやすい質問なのだけど、重要な質問につき両方でがんばってみることにする。 Why isn't math enough? なぜ数学だけじゃ駄目なのか。 Because math can talk only a
2008年05月17日18:30 カテゴリMathSciTech 数学と科学の違い なかなかの良問。 数学に関する質問です。なぜ一度正しいと証明された定理が覆されることがないのか? ということが理解できません。 「あらゆる科学理論は本質的には仮説であって真理ではあ.. - 人力検索はてな しかしどうして数学の場合は科学のように反証可能性のようなものがないのかがわかりません。 なので私も答案を。 すでに多くの回答が寄せられているのだけど、私の回答は以下のとおり。 数学は人が採点するが、科学は宇宙が採点するから 数学(mathematics)では、公理(axiom)から定理(theorem)を導き出す。だから最後の最後には「公理でそう決めといたから」と言い切ることが出来る。 しかし、科学(science)では、その公理に相当するもの=事実(fact)は宇宙が決める。この公理に相当するものを追い
数学と論理をめぐる不思議な冒険 スポンサード リンク ・数学と論理をめぐる不思議な冒険 論理、無限、確率という数学的思考をめぐるエッセイ集。語られる内容は硬いが、各章が著者の体験の回想だったり、歴史上の数学者の物語風になっていたりと、読み物として読みやすくする工夫がされている。 第一部では「論理的に証明されて正しいことがわかる」という数学の常識について検討している。論理的に証明することと、正しいとわかることは別物である。論理的な証明がなくても正しいと感じることはできる。逆に、想像しがたくても論理的にはありえる体系をつくることができる。では論理的に納得する、正しいと信じるとはどういうことか、をテーマに著者の体験談や古今の哲学者、数学者の思考が、物語的に次々に語られる。ある論理体系は、別の論理体系より、より正しいというのではなくて、世界を理解するために、より便利だから選択されているという考え方
なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか スポンサード リンク ・なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか 面白い。 数学の上達ノウハウ本ではなく、数学能力をかなり科学的に分析した研究本。 ■計算には運動性が伴う 1,2、それ以上はたくさん、と数える民族は実際にいるらしい。私たちは数を指折り数えるがこれだと、片手で5、両手で10が限界である。さらに足の指まで動員すると20まではいける。パプアニューギニアのユプノ族は、左手→右手→左足→右足→左耳→右耳→左目→右目→鼻→左の小鼻→右の小鼻→左胸→右胸→へそ→左の睾丸→右の睾丸→ペニスまで身体の部位に数字を割り当てることで33まで数えるそうである。複数人数で数えることでさらに大きな数を数える民族もあるという。 こうした数え方は文化によって違う。だが、違わない部分が発見されている。脳の中に、人間が生物学的に受け継いだ数の認識モジュール
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