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池田信夫に関するsubjunctive_pastのブックマーク (4)

  • 〈宗教化〉する現代思想 - 池田信夫 blog

    著者は「現代思想入門」みたいなをたくさん書いており、どれも似たような内容なので、それを読んだ人にはおすすめしない。しかし彼もいうように、そういう初歩的な知識もなしに「ネオリベ批判」とか「格差社会」を語る若者が最近、増殖しているようだ。「民族派」だったタレントがサヨクに「転向」して『蟹工船』に涙したり、秋葉原事件の殺人犯の「人間疎外」を語るメッセージに2ちゃんねるで共感の声が集まる、といった現象には不気味なものを感じる。 特にひどいのは、松尾匡『「はだかの王様」の経済学』だ。最初は冗談かと思ったのだが、どうやら彼は気で、初期マルクスの「疎外論」が現代に有効だと考えているらしい。書も指摘するように、現状を人間の質が「疎外」された状態として糾弾し、「来の姿」を取り戻そう、とネジをまくのは、かつての学生運動でおなじみの擬似宗教的なスローガンである。ポスコロも「ジェンダーフリー」もその変

  • 吉本隆明:共同幻想論

    夜郎自大の散文詩 吉隆明『共同幻想論』角川文庫 著者は、60年安保のころから学生運動の教祖的存在だったが、今や「ばななの父」といったほうが通りがよいだろう。一部の人々にはいまだに「戦後最大の思想家」と崇拝されているが、コムデ・ギャルソンを着て資主義を礼賛している最近の著者を見ると、人間あまり長生きするのも考えものだなと思ってしまう。 著者はもともと詩人であり、哲学を系統的に学んだわけではないが、それが魅力ともなっている。文章はきわめて洗練されており、「難解」だといわれるが大したことはない。書いた人もわかっていないことをレトリックで飾っているだけだから、一種の散文詩だと思えばよいのである。書も「マルクスの経済決定論を否定する独創的な国家論」として評価されたが、国家が「共同幻想」だというのは、まさにマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で論じたテーマである。まあマルク

  • チョムスキー

    デカルト派からポル・ポト派へ ノーム・チョムスキー『金儲けがすべてでいいのか』文藝春秋 9・11事件以来、日でチョムスキーのが売れているという。書もベスト10に名を連ね、大江健三郎氏や坂龍一氏は著者を「米国の良心」と称えている。しかし米国では、彼の政治関係のはまともな出版社からは出してもらえず、自費出版のような形でしか出せない。内容が反米的な偏見に満ち、でたらめだからである。特に1980年ごろにポル・ポト派の虐殺を「西側のメディアのでっち上げだ」と擁護するを出したことが致命的で、それ以来、著者は米国のジャーナリズムからは黙殺される存在となった。こういう欧米では狂人扱いされている人物の著書がベストセラーになる現象が、日の「平和」論議の軸が世界の常識から大きくずれていることを象徴している。 このは9・11の前に書かれたものだが、彼の結論は最初から決まっている。第三世界の貧困

  • 読んではいけない(反書評の試み) - Anti-Book Reviews

    『週刊ダイヤモンド』で書評を担当して、足かけ10年。引き受けたころの私以外の担当者はみんな交代したが、私はなかなかやめさせてもらえない。書評というのは、手間のかかるわりには論文の数にも入らない(書評を業績として誇る幸福な大学教授もいるようだが)割の合わない仕事だ。特に苦労するのは、取り上げるに足る(日語の)を探す作業で、いつも〆切が近づくと都内の屋を探し回らなければならない。 それに対して「こんなは読んではいけない」と思うを探すのは簡単で、そういう「反書評」ならずっと簡単に書けるのに・・・と思って冗談で何冊かのを評したところ、大きな反響があった。これまでの記事のほとんどが、Googleで著者名を検索すると、最初のページに出てくる。意外なことに、怒りや抗議はほとんどなく、「溜飲が下がった」「内容は意外に常識的だが、学界の大家にこんなことを言って大丈夫か」という反響がほとんどだった

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