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文章に関するsuna_zuのブックマーク (152)

  • 職務経歴書でやっちゃだめなことを書くよ - orangeitems’s diary

    機械学習がやっているようなことを、生身の人間がやっている気分。 何をかというと、某転職サイトで、延々と職務経歴書を読んでいる。 私は専門家ではないので、特にやりはじめが辛かった。何を手がかりに選別していけばいいのか。いいと悪いの差はなんなのか。たくさんの変数はあるが、気にしていいものなのか。 勝手知ったるITインフラのことなら、俯瞰しただけで何をやるべきか見当が付き、タスク分解し優先順位をつけてこなしていく。案外こういうときは脳は計算しない。引き出しから道具を見つけて並べるいつもの活動において、私のCPUはあんまり動いていない。 ところが、この採用活動というのは戦略が働かない。この分野に取り掛かる前にでも読もうとしたけれど、どうもコロナ禍でルールチェンジが起こって、これまでの常識とされていた概念の適合率がぐっと下がってしまった。だから、もうしようがないので、エイヤと始めてしまって今に至る

    職務経歴書でやっちゃだめなことを書くよ - orangeitems’s diary
  • 襤褸の幸福 19 | 「ヒンディー文学巡り」番外篇part2

    もはや暗くはなかった。彼は日差しのなかを歩いていた。彼は午後の明るみに出てきたのだ。もはやだれもいなかった。劇場も、幻も、痛恨の念もなかった。まわりは当の世界だった。四月のある一日。彼は木々の下を歩いていた。木々は物だった。木々の影が通りを越えて、政府官舎まで伸びていた。 彼はマンディー・ハウスの広場を過ぎて、バガヴァンダース・ロードを歩いていた。時々歩みを止め、たたずみ、耳を澄ませた。デリーもなんという都市だろう、と彼は思った。赤煉瓦の政府官舎、風に震えるテレビアンテナ、カーテン、カーテンの背後の知られざる生活―彼はけっしてそれを知ることはないだろう。 歩きつづけると、またバスの停留所にさしかかり、彼は立ち止まった。すべてのバスがニザームッディーンを経由することになっていた。緑の日除けと二、三人の旅行者―ホールディング・ブリッジを列車が過ぎると、煙が波のように漂ってきた。背後は不毛の

    襤褸の幸福 19 | 「ヒンディー文学巡り」番外篇part2
  • 校正やってた頃の思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    大学を途中で辞めてバイト生活をはじめてしばらくして、私が自分の仕事として選んだのは編集だった。もう40年も前のことだ。まだDTP以前の時代で、主流は写植だった。電算写植がそろそろ出てきていたけれどまだ虫眼鏡でドットが見えるぐらいの解像度で評判は悪かった。むしろ活字のほうがきれいだということで、実際、活版清刷り*1の仕事なんかもそこそこにあった。そんな時代のことだから、現代の常識とはちがう。もっというと、出版関係のオペレーションは出版社によってちがうし、業界によってもだいぶ常識がちがう。たとえば私のいた学参業界なんてのは著者と編集者の境界線が非常に曖昧だった。編集プロダクションは著者を起用する前提で原稿料と編集料の両方を請求するのだけれど、手練の編集者になると著者への依頼はせずに自分で原稿を書いてしまい、両方とも懐に入れるなんてことをやってた。出版社もちゃんとした原稿ができればそれでOKとい

    校正やってた頃の思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 経済学中学生の経済入門 - 昨日の帰りの車の中で with 弟(小5)

  • 『報告公文書=時系列と端的な箇条書き(リズム脳トレ)安部浩秋』

    Percussonist-Hiroaki Abeのオフィシャル・ブログ 打楽器奏者&ポピュラー・ヴィブラフォーン/吹奏楽指揮者/リズム脳トレ・ラボ主宰(認知神経科学会正会員)/ポピュラーピアニスト/《埼玉県庁(音楽・芸能/高齢者・乳幼児教育)&さいたま市部活動登録指導者》渋谷区打楽器合奏団「だが」指導者

    『報告公文書=時系列と端的な箇条書き(リズム脳トレ)安部浩秋』
  • f451日記 by 渡辺洋:鶴見俊輔『詩と自由』感想メモ

  • 19世紀カザフ詩人ムラトの作品とその特徴 | CiNii Research

  • 勝又六段の素晴らしい自戦記 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    名著「最新戦法の話」(勝又清和著 浅川書房)の著者、勝又六段の自戦記が素晴らしかった。 この人は当に文章がうまい。構成力にすぐれているだけでなく、自戦記の味、つまり将棋を指した当事者でなければわからない感覚をうまく言葉に表現している。構成力、構造化能力は、数学科出身というバックグラウンドで鍛えられたこととあいまった氏の持ち味であろう。 12月12日から18日まで産経新聞に七回連載されたもの。第79期棋聖戦二次予選の対谷川九段戦である。憧れの谷川九段相手の初対局で、勝又六段が金星を上げた一局である。 観戦記の重要性、面白さを少しでも知ってもらいたいと思うので、少し抜書きする(いわゆる引用の基準を超えているのは承知しているが、著作権者の産経新聞ならびに勝又六段にはお許し願いたい)。 午前3時に目が覚めた。布団の中で、この日までの年月を思い出す。 昭和58年、僕が奨励会に入ったときの名人戦が加

    勝又六段の素晴らしい自戦記 - My Life Between Silicon Valley and Japan
  • 『ライ麦畑を読み比べて~野崎孝と村上春樹』

    皆さん、こんにちは。今月は比較シリーズと称して、J.D.サリンジャーの有名な小説“ライ麦畑をつかまえて”の二種類の翻訳~“野崎孝”さんが半世紀程前に翻訳された物と“村上春樹”さん が最近、翻訳された物とを比較したいと思います。両者の文章で気になった箇所を引用して、個人的に見つめ直しますね。では、まず最初に…野崎さんや春樹さんとは全く関係ない“松岡正剛”さんのライ麦記事を引用してイントロダクションとします。 【ライ麦畑をビョーキ扱いした松岡正剛】 サリンジャーがこの作品で用意したキーワードは“phony”である。“インチキ”とか“インチキくさい”といった意味だ。(中略)大人社会の“phony”な欺瞞と、その大人社会を真似るしかなくなっている高校生達の欺瞞に向けられていて、それが徹底してというか、くどすぎるほどに吐露される。では人の(主人公である)コールフィールドはどんな日々を送っているのか

    『ライ麦畑を読み比べて~野崎孝と村上春樹』
  • 日本ペンクラブ電子文藝館

    序に代えて 太陽が照れば塵(ちり)も輝く。 (「格言と反省」から) * 考える人間の最も美しい幸福は、究め得るものを究めてしまい、究め得ないものを静かに崇(あが)めることである。  (「格言と反省」から) * 人間のあやまちこそ人間をほんとうに愛すべきものにする。  (「格言と反省」から) * 鉄の忍耐、石の辛抱。 (一七八〇年五月末の日記から) * 真理に対する愛は、至る処(ところ)に善いものを見いだし、これを貴ぶことを知るという点に現れる。  (「格言と反省」から) 人間と人間性について 人間こそ、人間にとって最も興味あるものであり、おそらくはまた人間だけが人間に興味を感じさせるものであろう。  (「ヴィルヘルムマイスターの修業時代」第二巻第四章から) * 各個人に、彼をひきつけ、彼を喜ばせ、有用だと思われることに従事する自由が残されているがよい。しかし、人類の来の研究対象は人間であ

  • Making cutup software

    こうした推移確率が果たして元ネタを書いた人のクセをしっかり反映しているかどうかはわからない(だってサンプルが少なすぎる)。さらに個人的な見解を加えておけば、仮にサンプルを増やしたとしても、それだけでブンガクが分かるとはわたしは考えていない。が、これは人のクセを検証する作業ではなく、カットアップをする素材つくりの作業であって、その限りでは役に立つ。 ここで計算した確率をもとにカットアップすればたとえば「あなたわたしスキあなたキライわたしスキとてもスキ・・・」という風に、元ネタの風情を多少反映したカットアップ文ができるだろう。つまり「わたしスキ」や「スキあなた」のような組み合わせは比較的起こりやすいし、「あなたとても」や「とてもキライ」は推移確率がゼロなので起こりえない。つまり、推移確率によって、カットアップ結果にはいくつかの傾向が持ち込まれることになる。ランダムでフラットなカットアップに飽き

  • 樹/狼としての詩人の肖像 : エズラ・パウンドにおける仮面と変身 | CiNii Research

  • 名古屋市短歌会館 【ホーメックス株式会社】

    短歌会館は、文化や芸能を育む名古屋の街の歴史的貸館です 短歌会館は、歌人青木穠子氏(故人)が、文化向上および振興のため名古屋市に寄付された由緒ある建物です。1階中庭には青木氏の胸像・歌碑が刻まれ、都会の中にありながらほっと一息できる場を提供しています。 また、大通り(錦通り)沿いに面し、地下鉄「伏見」駅からも徒歩圏内と、交通の便にも優れています。 建物は地下1階から3階まで全5室あり、歌会はもちろん、文芸、音楽、舞踊、美術、演劇や会議、勉強会など多くの活動でご利用いただけます。 歌人 青木穠子氏と短歌会館について 【文化的行事12月分の予約と抽選日】 2024年12月の先行予約は9月1日、3日(2日が休館日のため)となります。また、抽選日は9月4日です。はずれた方にお電話で第二希望を聞きますので、4日の11時まではお電話に出られるようお願いいたします。 2024.08.25 【台風10号接

  • 「古事記」解釈[歌の意味17](20230212)

  • Blog

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  • 丸山眞男と私|垂直居士

    丸山眞男が戦後思想界における巨人であることは疑いえない。私と丸山思想史との出会いは二十歳頃の学生時代、大学キャンパスで開催されていた青空古市でのこと。岩波新書の『日の思想』をたまたま手に取ったのがきっかけとなった。「思想」という言葉に、知的な背伸びをしたい年頃のミーハー的な関心があったことは否定できない。中身を読んでいくと、日における主体性の欠如、機軸の不在、タコツボ文化といった、言語化しにくい概念を的確に設定してくる魅惑的な記述と、それらの思想的源流に分け入っていく手法は、自らの怠慢を棚に上げて日常の不遇をかこちつつ、晴れないモヤモヤに困りながら暮らしていた青年の心を撃った。書いてあることは難解なのにいずれも腑に落ち、純粋にすごい人がいるものだと思った。 私は1996年に亡くなった丸山に会うことはできなかった。しかし、学生時代に我が師と仰いだ先生方は、丸山ゼミ出身の門下生でこそなか

    丸山眞男と私|垂直居士
  • エクリチュールについて - 内田樹の研究室

    クリエイティブ・ライティングは考えてみると、私が大学の講壇で語る最後の講義科目である。 80人ほどが、私語もなく、しんと聴いてくれている。 書くとはどういうことか。語るとはどういうことか。総じて、他者と言葉をかわすというのは、どういうことかという根源的な問題を考察する。 授業というよりは、私ひとりがその場であれこれと思いつくまま語っていることを、学生たちが聴いているという感じである。 「落語が始まる前の、柳家小三治の長マクラ」が90分続く感じ・・・と言えば、お分かりになるだろうか。 昨日のクリエイティヴ・ライティングは「エクリチュール」について論じた。 ご存じのように、エクリチュールというのはロラン・バルトが提出した概念である。 バルトは人間の言語活動を三つの層にわけて考察した。 第一の層がラング(langue) これは国語あるいは母語のことである。 私たちはある言語集団の中に生まれおち、

  • 書物に付けるページ番号を「ノンブル」と言うが、何故フランス語を使うのか? | レファレンス協同データベース

    由来は分からない。 ・「ノンブル」を丁付けの意味で使用している国はなく、フランスでもpaginationまたはfoliotage ・幕末から明治にかけて西洋活版印刷術を日人に教えた外国人は、最初がオランダ人(ドイツ人?)、 次がアメリカ人であるので、従って、この二人の影響とは考えられない。 ・正式な用語として影響力のありそうな内閣印刷局等の歴史とお雇い外国人も調べてみたが、関係のありそうな 記述は見られず。 ・現在出ている辞書類の半数くらいにはノンブルという言葉の意味と、フランス語である旨が書かれているが、由来の 記述はない。 ・印刷・出版関係雑誌のコラム等も所蔵している分については記事なども探したが、見付からず。 **2014年2月23日追記** 植原路郎『実用 の事典』(出版ニュース社 1964年)には p.146 〔ノンブル〕には「ナンバー(Number)の訛り。印刷所でも出版社

    書物に付けるページ番号を「ノンブル」と言うが、何故フランス語を使うのか? | レファレンス協同データベース
  • 意外に間違えている!?接続詞の正しい使い方 - Pickup!教育のヒント - 教育のまぐまぐ!

    その話、当に「詰まって」いる? 話をしていると、「つまりそれはね…」「まあつまりね…」というように、「つまり」をむやみに使う人がいませんか。 つまり…と言いながら、詰まるどころかむしろ話が長くなり、延々と続いていくケースも、たくさん見聞きします。 「つまり」とは「詰まり」です。 これ以上進めない「詰まった」地点、最終的な到達点、というのが、来の意味です。 最終地点ですから、「つまり…」という話を聞いたら、聞いた方はその時点で「なるほどね」と納得できて、理解が完結しなければなりません。 では、どうすれば「つまり」をそのように正しく使えるのでしょうか。 ポイントは2つあります。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【1】「AつまりB」のとき、「A=B」である。 【2】「AつまりB」のとき、Bは常にAよりも抽象的である。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

  • Jan. 2020

    Audio Circuit and Visual Circuit 2020-02-01 [Sat] 09:04 So I've been reading this article and probably equally mind-brown as everyone else. I am one who definitely doesn't have an internal (auditory) monologue, and it's shocking to find out that many people do. Most of my thought process is probably modelled as a comic strip, or a sequence of manga-esque pictures that describe events in chronologi