ナスパ、6月にも閉鎖 東北電、施設復旧を断念 名取 東日本大震災で被害を受けた宮城県名取市愛島の総合運動施設「名取スポーツパーク」(ナスパ)について、所有する東北電力が6月にも閉鎖することが12日、分かった。同社は震災による火力発電所の被災などで経営環境が悪化しており、多額の費用が必要な施設復旧を断念した。 ナスパは震災で、主要施設の愛島陸上競技場や愛島球場が大きな被害を受け、テニスコートなど一部を除いて営業を休止していた。閉鎖に向けて、今月1日からは全面的に施設利用を停止した。 東北電は震災で太平洋側の発電所被災に加え、原発停止に伴う火力発電燃料費も増大し、収支が悪化。2012年3月期連結決算の純損益は過去最大の2500億円の赤字が見込まれ、コスト削減を進めていた。 東北電は「もともとは社員の福利厚生施設であり、収支が厳しい中で復旧は困難と判断した」と説明。施設の解体や跡地利用は現
体育施設の再開滞る 宮城県集計 復旧へなお時間も 震災で閉鎖中の県内の主な体育施設 東日本大震災で被害を受けた宮城県内のグラウンド、体育館などの体育施設が、全35市町村のうち色麻町を除く34市町村の239カ所に及ぶことが県の集計で分かった。被害総額は83億5千万円。震災から1年を経過しても再開のめどが立たない施設も多い。 震災で被害を受け、閉鎖中の主な体育施設は表の通り。 県の施設では、県武道館(仙台市)の天井が破損。施工業者の入札が不調に終わり、復旧工事の予定が立っていない。宮城スタジアム、県総合プール(ともに利府町)は8月に再開予定。 石巻市では、11カ所のグラウンドが仮設住宅の建設地に転用された。このほか、石巻市民球場は復興支援に当たった自衛隊の野営地だった影響で外野の芝生が損傷。隣接する石巻フットボール場とともに全面的に張り替え、2013年度中の再開を目指す。 奥松島運動公
OBの佐々木勇人が所属するガンバ大阪より塩釜FCに支援物資が。 届けていただいたのは、強化部長の山本氏と谷垣氏。 遠いところご苦労様でした。 有難うの一言です。 午後には、バレーボール元監督の寺廻氏とバレー界のプリンス加藤陽一氏が事務所に。 震災復興をきっかけに種目の垣根を越えての活動を約束。 途中から、モーグルでオリンピック選手塩釜出身の畑中みゆきさんも加わりスポーツ談義。 畑中さんは、何度も塩釜を訪れ特に離島の支援に足を運んでボランティア活動をしているそうです。 オリンピック選手になる人は何処かが違うと思うのは私だけかな?。 今日は、牧場Gを見学。 塩釜FCにバレーチーム誕生か?。 近いうちにバレー教室を開く予定。 コメント一覧 (1) 1. chieko 2011年06月07日 19:41 初、コメント失礼します 私は長年の加藤陽一選手のファンです こちらにはついったーでつぶやいてく
全国高校野球選手権宮城大会で5選手が病院へ 熱中症対策を 球場ベンチでこまめに水分補給する東北学院の選手たち=22日、Kスタ宮城 熱戦の続く全国高校野球選手権宮城大会で、試合中に熱中症で倒れる選手が相次いでいる。「梅雨明け宣言」の18日以降、炎天下でのゲームが続いているためで、専門家は水分補給など十分な対策を呼び掛けている。 県高野連によると、熱中症で医療機関に運ばれた選手は5人(22日現在)。仙台育英の田中一也投手は18日、名取スポーツパーク愛島球場で行われた3回戦で登板中けいれんに襲われ、仙台市内の病院に入院した(21日に退院)。 仙台市でこの夏一番の34.8度を記録した21日は、Kスタ宮城の4回戦で十五回を投げ抜いた東北学院の本田圭佑投手が試合後に病院で手当てを受けた。 仙台管区気象台によると、真夏日は準決勝の25日まで続く見込み。県高野連の木村淳理事長は「選手の健康が最優先
第5回せんだいプロスポーツフェスティバル プロスポーツ応援ファッションコンテスト応募方法 ベガルタ仙台、楽天イーグルス、仙台89ERSを応援するためのファッションを競います。ユニフォーム、グッズなどを身に付けてPRしていただきます。情熱あふれる応援ファッションの応募をお待ちしています。(グループ、ペットも可。) 【時間】 2:15~2:40 【場所】 勾当台公園市民広場ステージ 【応募方法】 ファックスにて、 (1)住所 (2)氏名 (3)電話番号 (4)「自分のファッションのPR」を記入し、仙台プロスポーツネット事務局あてお送りください。 ファックス番号 022-213-3225 ※ご出演いただく方には、後日、事務局から詳しくお知らせします。 【募集人員】 各チーム10人(組)程度(先着) 【締め切り】 当日の12時まで。ただし、募集人員に達した時点で締め切ります。 【賞】 最優秀賞(1
山梨県出身[1]。山梨大学附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校、日本大学卒業[1]。1966年、全日本フィギュアスケートジュニア選手権男子シングルで優勝。1967年から1971年まで、長沢琴枝とともに全日本フィギュアスケート選手権ペア5連覇。1972年札幌オリンピックでペア16位に入った。 競技を引退してからは千葉・新松戸で指導者となる[1]。1988年から仙台市の「泉DLLアカデミー」のコーチとなる[1]。この頃、仙台には及川史弘がいた。その後、長久保に師事すべく各地から有望選手が集まり、1998年長野オリンピックには本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と4人の教え子が出場した[2]。 2006年4月、仙台のリンクが閉鎖するのに伴い、名古屋市にあるスケートリンクの専属コーチとなる。仙台で長久保に師事していた有望選手数人も、長久保とともに名古屋市に移住した。2009年2月、胃癌の手術を
忍建設スキー部はスノースポーツを通じ青少年育成に貢献していきます 選手 現在チームメンバーにバンクーバーオリンピック候補 遠藤尚選手が所属しています その他チームWJPとしてスノーボーダーやジュニアチームも結成しております コーチ 池田靖 元ジュニアナショナルチームコーチで去年は猪苗代の世界選手権で韓国ナショナルチームコーチとして 戦い ソージョンファ選手を8位に導き 現在国内で活躍中の多くはコーチングを受けてました *池田靖のコブ道場 モーグルキャンプ 情報はこちらhttp://kobu.bandaisan.jp:80/* *夏季練習場 ウォータージャンプ宮城 http://www.wj-miyagi.com/ 遠藤尚 丹野幹也 などスキーヤーに限らず多くのプロボーダーも練習に励んでます ご支援について スキー部では、現役部員の活動に資する支援方法としてスキー部への寄付金や後援
熱い声援が届いた――。バンクーバー冬季五輪のフリースタイルスキー男子モーグルで、名取市の建設会社「忍建設」所属で福島県出身の遠藤尚選手(19)が、五輪初出場で7位入賞を果たした。 遠藤選手が高校時代まで所属したジュニアクラブを運営する同県猪苗代町のホテル・リステル猪苗代には約150人が集まり、テレビ中継を見守った。13番目スタートで、スピードに乗って美しいエアを披露。男子のこの種目では日本勢初の入賞が確定すると、祝福の太鼓が鳴り響いた。 町内にある実家のペンションでは父省吾さん(52)と母由喜子さん(51)がテレビ観戦。午後0時半、遠藤選手からの電話に由喜子さんが「頑張ったね。おつかれさん」と声をかけると、「うん」と返事が返ってきたという。省吾さんは「結果は想定外。(2014年の)ソチ五輪には応援に行きたい」と喜んだ。 忍建設への入社は高校卒業後の昨年4月。モーグル選手でもある中村忍
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