元弘3年(1333)、備中国新見荘(現岡山県新見市)では、収穫のうち4割近くが年貢でした。 年貢は近くの「市庭」(毎月3回開かれる市場)で現金化されました。 またこの荘園には鉄を産する村(高瀬村)があり、その村の年貢は直接銭で納められました。 現金に替えられた年貢152.2貫のうち、諸経費を除いた分の127.6貫が京都の領主(東寺)に「割符(さいふ)」(為替手形)で送金されました。 鎌倉幕府最期の年の混乱期にも、為替で送金できたことには驚かされます。 このような仕事を請け負っていた代官の報酬は米などの現物支給でしたが、銭に換算すると全部で15貫ほどでした。 また、この年の暮れ12月19日に、国司のお使いご一行が来られました。 総勢83人(内62人は下人)、馬23匹の大部隊です。 もてなしのため、米6斗6升4合と、馬用の豆2斗3升は収穫物から準備し、その他は市庭で購入しました。 ・清