以下の文章のWEB上での公開に関する注意 以下の文書は、ロジャー・スティーヴン・クリスプ博士(Dr. Roger Stephen Crisp)の論文「平等とその含意」(Equality and its Implications)の全訳です。この翻訳は、クリスプ教授の許可により、『実践哲学研究 第23号』(京都大学倫理学研究室内 実践哲学研究会)に掲載されたものを、クリスプ教授に再び許可を受けてWEB上で公開するものです。 この文書に関しては、個人使用の目的でダウンロードすることのみ許されます。再配布や再掲載等の行為は著作権の侵害にあたります。 Except for the download for the purpose of private use, NO PART of this document may be duplicated, republished, re-uploaded,
davitrice.hatenadiary.jp ゲイリー・シュタイナーの主張は以前にも本人が書いた短い記事を訳して紹介したが、何しろ短かい記事だったのでシュタイナーの主張がわかりづらかったかもしれない。今回は、シュタイナーが著書『動物と、ポストモダニズムの限界』で行っている主張の要点を私なりに短くまとめて紹介しよう。 シュタイナーはポストモダニズム思想が動物倫理の問題について行っている主張を手厳しく批判している人である。『動物と、ポストモダニズムの限界』で特に批判の対象となっているのはジャック・デリダとデリダに影響された思想家たちだ。…で、私はデリダの本をはじめとしてシュタイナーの批判対象となっている思想家たちの本はほとんど読んだことがない。なので、シュタイナーの批判がアンフェアなものであるとしても私には判断できないし、シュタイナーの主張をまとめている(かつ、私の主張も結構入っている)こ
「オックスフォード哲学者奇行」は2019年8月より連載を開始し、2021年12月に完結しました(全30回)。長い間ご支援頂きありがとうございました。 連載完結後に本文を加筆修正し、“こぼればなし”23本と“英国にサバティカルに行く人のために”、さらにイラストマップも新たに加えて、2022年11月に書籍版『オックスフォード哲学者奇行』を発刊しました。ぜひ手に取ってご覧頂ければ幸いです。 ここでは連載第1回「オックスフォードに行ったら大学がなかった話」を無料公開します(内容は連載時のものです)。 【書籍版 目次】 Chapter 1 オックスフォードに行ったら大学がなかった話 Chapter 2 ライルのカテゴリーミステイク Chapter 3 「ロンが生きてるなんて珍しいね」 Chapter 4 エアの新婚旅行とウィーン学団 Chapter 5 哲学者のための学校――オックスフォードの哲学教
March 03, 2020 『〈現在〉という謎』の感想 編者の森田さんよりご恵贈いただいた。 www.keisoshobo.co.jp/book/b477659.html 最近はいただいた本でもなかなか読む時間がとれず、お礼もままならないことが多い。しかし、本書については著者の一人である谷村さんが追加の論考「一物理学者が観た哲学」を公開され、著者間でかなりの行き違いが生じているらしいことがわかった。哲学者と科学者の対話は私にとっても大きな関心事であるので、本書を通読して感想を述べさせていただこうと思った。 そういう経緯であるので、以下の感想は谷村さんのノートに触発されて書き始めたものである(ずいぶん時間がかかってしまったが)。しかし、今回の感想は『〈現在〉という謎』の本に限定して書いており、谷村さんのノートの内容や、谷村さんのノートにさらに反応していろいろな人が書いたものは念頭においてい
科学哲学日本語ブックガイド (最終更新 2025年4月15日) 伊勢田哲治 近年日本語でよめる科学哲学の書籍も増えてきたが、そのためどういう順番で何を読めばよいかわからないという問題も生じている。科学哲学に関する情報も最近はかなりインターネットで調べられるようになってきたが、中途半端な知識で書かれた不正確なものも多く、信頼できる書籍の重要性は以前と変わらない。 本リストに収録しているのは日本語の書籍(一部論文)のみである。英語に特に抵抗がないなら、専門外の人でもStanford Encyclopedia of Philosophyなどの英語の情報源に向かった方が効率よく科学哲学の研究動向を知ることができる。 凡例 ・紹介した中には絶版書も多いが、図書館等で利用できるだろうことも踏まえて、特に入手可能なものとそうでないものを区別はしていない。 ・科学哲学を專門としない人が読むことを想定し
生真面目な(しかも左翼の!)自然科学者であるソーカル/ブリクモンが直接標的にしたのは、ポストモダン人文系知識人が、ろくに理解しないままに自然科学の概念――というより言葉を、生産的な思考の道具としてではなく単なるムード作りのためのカッコよさげな小物として濫用している、という事態だったが、その背景に透けて見えるのはやっかいなコンプレックスである。 こういうポストモダンの科学談義を、うんと矮小に戯画化するとこんな感じだ。まず「今日の自然科学は世界を支配する知的権力であってけしからん」となる。で「けしからん権力であるからには何かズルをしてるんじゃないか?」と疑う。で、疑いの果てに「そうだズルをしてる! 自然科学は世界についての真実を人々に教えてくれてるんじゃなくて、逆に『これが真実だ』と人々に思いこませることによって世界を支配しているんだ!」というトンデモな結論に行き着く。 こんな風にマンガにして
小難しい本を何冊も読むことが哲学を始める最初の一歩として相応しいわけではない。どんな順番でどんな本を読んだら良いのか、それらを推薦する理由は何か。慶應大学で倫理学を教える長門さんからお話を伺った。 今回本棚【哲学・倫理学の輪郭を(ざっくり)つかむための読書ガイド:最初の5冊編】を寄贈頂いた。哲学や倫理学とはどのような分野なのか、また同分野の社会における役割や、独学にあたってオススメの書籍に関心がある方は是非ご一読頂き、新たな学びの一歩を踏み出すきっかけにしてほしい。 〈プロフィール〉 長門裕介さん:慶應大学非常勤講師 自己紹介とこれまでの経緯 ーーまずは長門さんに簡単な自己紹介をお願いできますでしょうか。 慶應大学博士課程を単位取得退学後、倫理学を研究しながら、同大学の非常勤講師などを務めています。特に「幸福」と「人生の意味」について研究しています。普段は学部生、特に教養課程の学生向けに授
In the autumn of 1826, the English philosopher John Stuart Mill suffered a nervous breakdown — a “crisis” in his “mental history,” as he called it. Since the age of 15, Mill had been caught firmly under the intellectual spell of his father’s close friend, Jeremy Bentham. Bentham was a proponent of the principle of utility — the idea that all human action should aim to promote the greatest happines
The Science of Liberty: Democracy, Reason, and the Laws of Nature 作者: Timothy Ferris 出版社/メーカー: Harper Perennial 発売日: 2011/02/08 メディア: ペーパーバック この商品を含むブログを見る 先日から読み始めたティモシー・フェリス著『自由の科学(民主主義、理性、法の支配)』の第11章「学問的な反科学(Academic Antiscience)」を読んでいて考えたこと。 科学と民主主義はそのシステムも似ているし(データ/人々の投票の集合に基づいて、仮説/政策の正否を実験/実行によって確かめて、上手くいかなかった場合にはまた別の仮説を繰り返して…というシステム)、科学的な発想こそが自由民主主主義をもたらしたのであり、そして科学は自由民主主的な社会の下でしか発展しない、というの
仲正昌樹はゲーデルの定理についてこんなことを書いている。 「不完全性定理」というのは、「現代思想」の文脈に合わせて簡略化して言うと、いかなる無矛盾な体系においても、その体系自体の中では証明も否定もできない論理式=命題が存在する、ということである。もっと崩して言うと、「この体系には矛盾がない」という”命題”を証明しようとしたら、まず「体系」とは何で、「矛盾しない」とはどういうことか、、といったルールをきちんと規定したうえで、その体系の「内部」で、その通りになっているか検証してみなければならないが、その初期設定自体が正しいか否かは、体系の「内部」で証明することはできない、ということである*1。 一文目は第一不完全性に関わる話だが、二文目ではいつのまにか第二不完全性のような話にすり替わっている。また、「いかなる無矛盾な体系においても」は強すぎで、一階の実数論のように無矛盾で完全な理論は普通にある
筆者のように学術情報の動向そのものに興味を持っている者の間では有名な「リトラクションウォッチ (retraction watch)」というウェブサイトがあります。文字通り、学術論文が「撤回」されると、その理由や経緯などを報告する記事が掲載されるメディアです。 いちど掲載された論文が撤回されるということは、もちろんその論文に何らかの問題があることが見つかったということです。こうした 論文撤回 がニュースになるのは、理科系のジャーナル(学術雑誌)でのことがほとんどなのですが、2016年4月7日付の同誌は、哲学のジャーナルである論文が撤回されたことを伝えました。 哲学者アラン・バディウについての研究論文を掲載するジャーナル『バディウ・スタディーズ』は昨年秋、「クィア・バディウ主義フェミニズムに向けて」という特集のための論文を募集しました。アラン・バディウはフランスの有名な哲学者で、日本語に翻訳さ
March 27, 2016 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015 http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html 本書は戸田山氏による本格的な科学的実在論の研究書である。 まず、日本語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で本書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」など
シノドス編集部から「分析美学について記事を書いて下さい」と依頼を受けたとき、困ったな、というのが正直な感想だった。ある学問について、よくわからないので知りたいと思うことはある。とりわけ新興の、目新しい学術分野が出てきたときはそうだ。神経倫理学とは? 人口経済学って何? 今回の「分析美学ってどういう学問?」という質問もおそらくこの種の質問だろう。 たしかに近頃、「分析美学」という学問分野は、新しく、盛り上がっている学術分野だという印象を与えているようだ。日本では2013年に『分析美学入門』(勁草書房)、2015年には『分析美学基本論文集』(勁草書房)といった翻訳が刊行され、2015年秋の分析美学をテーマにしたブックフェア(紀伊国屋書店新宿南口店開催)は記録的な売り上げを残した(注1)。だが困ったことに、分析美学というのは、新しく現れてきた学問でも、最近盛り上がっている学問でもないのだ。 この
おうちにある本を読むよシリーズ。1972-1980論文集&1979年刊行著作をぱらぱらと 哲学の脱構築―プラグマティズムの帰結 作者: リチャードローティ,Richard Rorty,室井尚,加藤哲弘,庁茂,吉岡洋,浜日出夫出版社/メーカー: 御茶の水書房発売日: 1994/06メディア: 単行本この商品を含むブログ (18件) を見る 哲学と自然の鏡 作者: リチャードローティ,Richard Rorty,伊藤春樹,野家伸也,野家啓一,須藤訓任,柴田正良出版社/メーカー: 産業図書発売日: 1993/07/26メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 12回この商品を含むブログ (29件) を見る ローティは説明/理解の二者択一を拒絶する。彼によれば、この対立は解決すべき問題などではなく、単に受け入れるべき違いにすぎない。これは、科学にたいしてなされる下記のふたつの異なった要請への応え
ミシェル・フーコー講義集成 1 〈知への意志〉講義: 知への意志講義 コレージュ・ド・フランス講義1970─1971年度 作者: ミシェルフーコー,Michel Foucault,慎改康之,藤山真出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2014/03/17メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見る ミシェル・フーコー『知への意志講義 コレージュ・ド・フランス講義1970-1971年度』ミシェル・フーコー講義集成 1, 慎改康之、藤山真訳、筑摩書房、2014年、3–53ページ。 コレージュ・ド・フランスでのフーコーの講義は、アリストテレス『形而上学』冒頭部の分析からはじまる。そこでアリストテレスが歴史的に重要な操作をひそかに行っているというのだ。 周知のように『形而上学』は次のようにはじまる。 すべての人間は、その自然本性によって、認識への欲望を持っている。諸感覚によって引き起こ
菅裕明他『研究する大学――何のための知識か』岩波書店,pp. 165-195. *草稿なのでコメントあればお願い致します. 基本的には,人文学(と自然科学)が分離し,対立していく歴史を辿りながら,「人文学は,速度と効率を優先させる市場価値には還元できない別次元の価値が厳として存在することを、『スローサイエンス』の旗印のもとに積極的に言挙げすべきなのである」(pp. 186-187)と論じている.わりと共感できる部分は少なくないのだが,気になる点も多い.以下にそれを列挙する. 野家のイメージする人文学の狭さ どう見ても野家のイメージする人文学は狭すぎるように思われる(あるいは,多様なものでない).たとえば,野家によれば,「人文学の研究成果が論文の改訂を経て書物としてまとめられるまでには、通常二、三年を要する」(p. 186)という.また,この論文の位置づけは,「人文学では論文は書物となる前段
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