オーベルジーヌ実食レポ 食べ物の鼻塩塩(未だに通じるのかな) オーベルジーヌというカレーをご存知だろうか 都内にあるデリバリー専門のカレー屋で、 ロケ弁などで大人気の本格欧風カレーが楽しめるらしい いいな〜 いいな〜オブザイヤー 都内の奴らはこんな良いモン食ってんのか 許せねえよ………
亀田某が、ボクシング界の若手としてデヴューしているようだが、ボクシング好きの私でさえうんざりするのはこの兄弟である。兄弟で互いに区別がつかないくらい、いずれ劣らず品格もマナーもないならず者面であり、父親からさえも自立できないほどのクソガキぶりを発揮しているのだ。このようなクソガキチンピラを前にすると、対戦相手の外国人選手のマナーのよさが際立つので、誰だって対戦相手の方を応援したくなってしまう。テレビ局の軽薄スタッフが、自明のようにこの未熟なチンピラを応援しているのも、不快極まりない。例によって馬鹿騒ぎのテレビ局のお調子者たちが、よってたかって亀田一族の肩を持ち、ただでさえ心細く周りじゅう敵だらけの日本へ出稼ぎにやってきた相手ボクサーを、血祭りにあげようとしているのだ。多分、あまり実力がありすぎない、盛りを過ぎた選手とか、減量に苦しむ選手とか、スランプ続きのボクサーなどを念入りに選んでいるの
思いがまとまらないうちに時が過ぎていきそうなので、この話もとりあえず書いておこう。二八日のブッシュ大統領と横田早紀江さんの面会について。 私が最初に気になったのは浅野泉さん(五四)のことである。メリーランド州在住公認会計士の浅野さんは、昭和四九年新潟県佐渡旧新穂村で行方不明となり北朝鮮に拉致された疑いの高い大沢孝司さんの従兄弟で、その縁から米国で拉致問題解決に向けての活動を続けていた。ネットを見ると、ワシントン日本商工会ホームページに浅野さんご自身の『メグミ・ヨコタ ストーリー』(参照)という話が見つかった。従兄弟が拉致されたということからこう語っている。 それから約30年、さまざまな状況証拠から、拉致は確実であるということが被害者の会の全国組織でも総意になってきました。今や新潟の家族や親戚は、救出嘆願のための活動に必死です。私は海外にいることもあり、何もしていないという後ろめたさが、いつ
去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
俺個人は正体バラシには積極的ではありませんが*1、ときどきネット上で見かける「何か勘違いしていること」を「比較的大きな声」で(←ここ重要)言っている人のブログは、「それは間違っているのでは」と複数の匿名コメントで指摘してあげるのは悪いことではないと思います*2。 「匿名」であることのメリットは、そのことによってブログで何かを言っている人(ブログ主)の「恨み」を買わない・引きずらない、という点にあります。 劣化ウラン弾関係では、少し他のブログの人をネタにしすぎたせいで俺としては失敗してしまいましたが、他人の素朴な間違い・勘違いというのはつい滑稽の対象にしがちなもの。ましてその記述をしている人=ブログ主が割と声の大きな人だったりする場合*3はなおさらです。ただ「実名あるいは他ブログを運営している名(ハンドル)で批判行為をやる」というのは、デメリットや危険が多すぎるわけですね。 批判している相手
木下昌明です。 ぼくは拉致問題の専門家ではありませんが、どうにも納得のいかないことがあります。それは横田めぐみさんのお母さんがブッシュに会って訴えたことです。それが日本のマスコミで大々的に報道され、多くの人々の共感を呼びました。 しかし、ぼくが不思議におもうのは、アフガンやイラクで何万人もの人々を無差別に殺戮し、大地を劣化ウランなどの化学兵器で不毛にしたブッシュ--イラクで死んだ兵士(息子)のことで面会を求めたひとりの母親にさえ会おうとしなかったあのブッシュ--、ウソの戦争で2300人もの兵士の母親にさえ謝罪しないあのブッシュがですよ。そんな相手に会うってどういうことなのでしょうか? それとこれとは別問題とでもいうのでしょうか? ましてやブッシュは、北朝鮮を金融制裁で苦しめ、戦争状態をつくり出しています。そんな北朝鮮を敵としている国に助けを求めることはどんな意味をもつのでしょう。ブッシュを
私は1985年よりアメリカ、サンフランシスコ在住です。 Neil Youngの新譜「Living With War」の全曲ストリーミングは5.8.06米国発売の一週間前より開始され、現在でも Living With War Today、 Neil Young - MySpace より全曲聞く事が出来ます。 歌詞はhuman_highway.orgなどに掲載されています。 Neil Youngの「メッセージを今伝えたい」意図を日本の方々に伝えたく、5.7.06全和訳を掲載しました。サンフランシスコはラディカルな街で、私の周囲の方々もこのCDと同じ立場に立って運動をしています。アメリカの反戦運動に限定されず、世界の平和を唱えるメッセージととらえています。 CDは全10曲、40分強と短く仕上がっています。随所に一発録りのような勢いを感じます。「Roger And Out」の原詞の素晴らしさに加え
クーリエジャポン5・18号に掲載されていた「マッカーシズムの再来か? "反ブッシュ"教師を追放へ 右翼学生たちの陰湿な『密告』」という記事が興味深かった(元は『ガーディアン』紙の記事)。 記事全体の流れとしては、最近アメリカの大学において右派学生や右派教員たちによる左派教員への攻撃が増している、というもの。この「攻撃」の手段としては、左派の動向を知るための監視組織を作ったり、あるいはネット上に糾弾サイトを作って実名での人格攻撃を行ったりする、といったことが含まれている。攻撃の対象となった一部の教員は、この現象を一過性のものと見ているが、一過性のものとしては放置できないとする教員もまた存在している。 イェール大学アフリカ系アメリカ文化研究学科だったポール・ギルロイは、最近よく似た経験をした。発端はイラク戦争についての討論会で行った発言だった。 「クラスター爆弾やウラン弾、デイジーカッター弾と
前回新田次郎によろしくで、藤原正彦さんの著作群から、その思考を私なりに抽出してみました。 結果、簡単に言えば、欧米に対する劣等感と父親への激しい敬慕が藤原さんの近年の思考を形作っているのではないか、と言うのが私見です。 さて、この根深い問題へ対処するための提言をカリスマから頂きたいと思います。 「ソープへ行け!」 北方謙三 “女の子はいつまでもかわいく、やさしく、また話し相手にもなってくれそうだ。それに、いつまでも一緒に風呂に入ってくれるかもしれない。”(『休憩時間』151p) “私は麗しい娘たちに自分がほめられた如くうれしくなった。「いや、三人の息子は大変です。毎日、風呂で四本もオチンチンを洗わねばならない、僕の悲劇を考えてください。」歩道の三しまいは、どっと声を上げて笑った。意気揚々と家に戻り報告したら、女房がまなじりを上げて下品をとがめた。”(『ケンブリッジ』179~180p) ソー
今日のイギリス南西部は最高の一日でした。ほどよく晴れて、気温は夏並み。町ではパブの外にイスを並べて日差しの下でビールを飲んでいる光景が。 さて、いろいろと竹島関連のことを書いている間に、香港人や中国本土人のコースメイトたちと話をして面白いネタを仕入れておりましたのでここで放出しておきます。 今日のニュースで「中国とバチカンの仲がますます険悪」というものがありました。発端は中国側がバチカンの承認を得ずに勝手に司教を任命した、ということですね。 もちろんこれにいたるまではかなり長期の歴史的な経緯があるわけですが、おとといあたりにこのコースメイトたちと夕食をともにしていたときにもこういう話題がでました。 私たちがこのときに話題にしていたのは「中国共産党政府がもっとも恐れているものは何か?」というもの。 バングラディッシュ人の友人は、「インドはどうよ?」とこの場に同席していた中国本土人の彼(共産党
はじめに) 以下、『若き数学者のアメリカ』(新潮社・81年)を(アメリカ) 『数学者の言葉では』(新潮社・84年)を(言葉では) 『数学者の休憩時間』(新潮社・94年)を(休憩時間) 『遥かなるケンブリッジ』(新潮社・95年)を(ケンブリッジ) 『父の威厳 数学者の意地』(新潮社・98年)を(威厳意地)とします。 ※はじめに、(7)(8)に目を通していただけると、(2)~(6)の意味が分かりやすいと思います。又、(言葉では)と(休憩時間)の間に、イギリス留学が挟まれていることを念頭に目を通して頂くと、(7)で指摘した変化に気づき易いと思います。 (1)略歴(エッセイの記述からまとめたものなので、年齢と出来事の対応について若干の間違いがあるかもしれません。) 1943年、満州国中央気象台の課長をしていた藤原寛人とていの間に次男として生まれる。 三人の子供のうち、父親にもっとも似ており、もっと
朝日新聞にせよ、毎日新聞にせよ、五年前や十年前の世論調査では護憲派が改憲派を確実に数で上回っていたのである。それが、毎年、少しずつ変化して護憲派が少数になり、今年は遂に九条改正反対まで少数派に転落した。いわゆる国民の政治意識の変化だが、これは具体的な人間の判断を考えた場合、ある時にドラスティックに護憲が改憲に立場転換するのではなく、まず「護憲」から「どちらでもない」とか「わからない」に変わり、そこから数年して「改憲」に変わるという漸次的な態度変容を想定するのが正確な見方なのではないかと思われる。国民全体の意識が徐々に変わるように、個々人の意識もまた徐々に変わり、年に数センチずつ立ち位置を右に寄せているのである。そこには、無論、右派に占拠されたマスコミや論壇でのプロパガンダのシャワーの影響もある。個々人にとって、その立場転換はまぎれもなく転向であり変節なのだが、それを自己合理化し自己正当化し
憲法記念日に関する報道の中で気になったのは5/3の朝日新聞の記事で、一面に世論調査の結果が出ている。ご覧になった方も多いと思うが、憲法9条について「変える」が43%、「変えない」が42%となり、朝日新聞の調査では初めて9条改正に賛成が反対を上回った。昨年は9条改正に反対が51%で、賛成36%を大きく上回っている。朝日新聞によれば、昨年と今年で質問を変えており、それが影響したと記事の中で弁解しているのだが、9条改正に反対が少なくなるように意図的に質問設定を変更して数値結果を出したということは、普通に考えれば、朝日新聞の転向と変節の暗示的表明を意味する。憲法記念日の記事として、9条改正賛成が改正反対を上回った「事実」を象徴的に国民に宣告しようとしたのである。この世論調査報道については、恐らく社内で深刻な激論があったはずで、記事の行間に何やら躊躇の様子が垣間見える。右派に押し切られたのだろうが、
毎年、この時期になると、丸山真男の「憲法九条をめぐる若干の考察」に自然に手が伸びて読み返すのが習慣になっている。この論文は未来社から1982年に出た「後衛の位置から」に所収されていて、私は本を渋谷駅地下二階の旭屋書店で購入した。まだ年も若かった。周知のとおり、「後衛の位置から」は「現代政治の思想と行動」の追補を薄い一冊にしたものである。論文は1964年に憲法研究会で行った講演を文章にしたもので、作品としては短い。九条擁護について積極的な説得力を求め、理論的確信を得ようとしたときに、この本のページを捲っている自分がいて、そして恐らく、そのようにしてきた人間が日本中に数多くいたはずで、現在も事情は同じであるはずで、丸山真男に知恵を授かろうとしているのに違いない。だから私も何十回も読み返してきたはずなのだが、実はビビッドに説得力を感じ始めたのは最近のことで、若い頃はそうではなく、どちらかと言うと
見出しが曖昧でスーダンの南北問題を含めたようなぼかしだが、記事は朝日としては概ねこれでいいのではないかと思った。ただ、一年前に書けた社説だし、ブッシュのというか米国民の運動の功績は大きい。 アラブ人が主体の中央政府は、民兵が反政府勢力と戦っているだけだとして、関与を否定している。だが、実際は政府が絡んだジェノサイド(集団殺害)ではないのか、との国際的な非難が高まっている。 朝日がそれを言えただけでもマシだ。はてなとかにも腐っているプチサヨクどもは、ダルフール危機についてfinalventバッシングにかこつけてダルフールのジェノサイドを事実上否定しまくる言動をぶちまけていた。いや、ぶちまけてはいないというなら、そこは、お行儀良く沈黙していた。 ポルポトが虐殺をしつづけていた時も、毛沢東が虐殺をしつづけていた時も、スターリンが虐殺をしつづけていた時も、サヨクは黙っていた。イデオロギーの前にヒュ
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