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【2009 8/07更新】 2〜3ヶ月に1度程度のペースで更新しています リンク切れチェック 「I'm here with you」・「あっそうか」・「YES,YOU」・「いちばんきれいな星」・「YELL」・「覚えていますか」・「お山の大将」・「買ってちょうだい」・「サッカーボーイ」・「そっくり母娘」・「たいへんだぁ」・「地球の子ども」・「虹色ラブレター」・「ファット・マ・イズ・クリーニン・ザ・ルーム」・「二人ぼっち時間」・「ふるさとのない秋」・「ほたるこい」・「無敵のじいちゃん」・「モッキンバード・ヒル」・「夢の船乗り」・「私のすべて」追加 ■あ■ あ 「ああ おかしいね」・「ああ おかしいね」(動画後半) 「あいこでしょ」 「愛だったんだよ」 「あいつのハンググライダー」 「会いに行くの。」 「愛の旅立ち」 「I'm here with you」 「青い童話」・「青い童話」 「アオゾラ
NHKでさっきやってたけど、与党案「我が国と郷土を愛する(中略)態度を養うこと」、民主案「日本を愛する心を涵養する」とかなんとか。。。 態度をどうするとか心をどうするとか、なんでそんな話になるのか。もってまわった言い方をしてるけど要するに「愛させる」ってことでしょ。おかしいって絶対。 そんなありえない事を言わずに、みんなで愛せる国を作ろうとか、愛するに足る国を作ってみたがどうよとか、そんなふうに言えばいいのに。 トラックバック: http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20060515 「愛国心指導はこうやる」教基法改正巡り首相が熱演 http://d.hatena.ne.jp/ittuan/20060520 http://d.hatena.ne.jp/ittuan/20060911
TBS「コラムの花道」でコメディアン、スティーブン・コルベアのことを話したよ。 http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/ コルベアが晩餐会でやったブッシュほめ殺しの大雑把な日本語訳はコレ↓です。 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060429 で、コルベアがふだん、どんな偽保守ニュース番組をやってるか、YouTubeで見られます。 http://www.youtube.com/watch?v=UQ3CBqs7JVs&search=colbert ブッシュ大統領の支持率が史上最低の32パーセントに落ち込んだことについて、コルベアはお得意の論法でブッシュを擁護する。 支持率が低いのはいいことだ! あのヒットラーが大暴れしていた時、ドイツ国民の99パーセントがヒットラーを支持してたんだ! ということは、我らが偉大なるブッシュは、いち
ドゥボールが言うには、六八年以来、社会はもはや愛されようとすることをやめた。そうした夢はもはや捨てられねばならない。それは恐怖されることを好むようになるのだ。(酒井隆史著『自由論』第5章「恐怖と秘密の政治学」より) 酒井によれば、ドゥボールが彼のいわゆる「統合されたスペクタクル社会」を、このようなものとみなすのは、システムが自らを「情動であふれた社会的摩擦の場」から抽象し、変革のための批判が欠落した成員相互の「鏡映的関係」のうちに自己を閉ざしてしまったためである。 つまり、革命や社会変革といった理念が放棄されたことにより、人々は「摩擦の場」としての社会的空間から退き、相互不信と相互監視が支配する「鏡映的関係」のなかに自ら閉じこもっていくというのだ。 このような社会においては、人々にとって、「恐怖」はたんに(権力によって)強いられるのではなく、むしろひそかに要請され、欲望されているのだといえ
「若者の右傾化」を象徴する存在として近年「ネット右翼」が注目されている。ネット上で、中国・韓国をけなしたり「左翼メディア」をちゃかしたりする人々だ。 彼らは、北朝鮮や韓国、中国が日本の戦争責任を指摘するたびに猛反発し、朝日新聞などの「弱腰」で「進歩的な言説」を馬鹿にしあう。 確かに彼らは愛国心に燃える右翼集団に見えなくもない。だが本質は、右翼と言うよりは「左翼嫌いだ。より正確に言えば、「マスコミに流通する言葉が優等生的な言説ばかりであることにいらだっている」集団である。 だから彼らが国家主義を目指していると考えると、認識を誤る。彼らの多くはメディアの言説が「左」に傾きすぎていると感じ、バランスと取ろうと考えているのだ。 ネット右翼が台頭したきっかけは日韓共催のサッカーW杯だ。「韓国人に日本がどうみられているか」に関する情報が大量に流入し、日本が批判されていると知った人々の中から「日本のメデ
Robert Wyatt performing "Gharbadzegi"
去る09年7月16日のトムラウシ山での遭難事故で亡くなられた方へ心よりご冥福をお祈りいたします。 はじめてご訪問の方はこちら(自己紹介および投稿リスト等)をご覧ください。
今から60年と少し前、拙者はある会社に就職しようとしてその会社が指定する医院で健康診断を受けた。30代と思える医師が痩身の拙者をみて、「だらしない生活を送っていることはこのからだを見ただけで分かる。これでは軍隊に入ってもお国の役に立てないぞ。もっとからだを鍛えろ」と、健康診断ならぬ人格診断を行った。拙者は格別だらしない生活を送っていたわけではない。骨細でひ弱な体格は、幼少期以来だ。この時期に母親が甘いおやつを制限なしに与えたので、ひょろひょろになってしまったのだ、と彼女は述懐していた。そのせいで骨細になったのかどうか、本当のところは分からない。いずれにせよ、成年に達した頃になっていくら鍛錬しても、筋肉がつくだけで骨が頑丈になるとは考えにくい。そこで、このひょろ長い体格をすべてだらしない生活のせいにして、拙者を蔑視し、非難する医師に憤りを覚えた。それだけではなく、立派なからだを作るのが本人の
17日の「その時歴史が動いた」は「リンゴの唄」の話だった。戦中戦後の庶民の哀歓が伝わってくるなかなかよい番組である。 あまりにも有名な曲なので、私も当然「リンゴの唄」のメロディーを知っている …つもりだった。 だが並木路子さんの歌う「リンゴの唄」を聞いて、自分がこれまでサビの部分で間違った歌い方をしていたことに気付いた。 私はこれまで「りーんごーのきもちーはー」と緩急を付けずだらしなく歌っていた。 正しくは「りーんーーごっのきもちぃはー」と歌うのである。「んー」を長く伸ばして「ごっのきもちぃ」を短くまとめる。 正調では「んーー」のタメが「ごっのきもちぃ」で一気に解放される感覚があり、当時の国民が抱いた「盧溝橋事件満州事変から十数年続いた戦争がやっと終わった!」という実感にシンクロしているかのようだ。 私が間違って覚えていた「りーんごーのきもちーはー」というメリハリのない歌い方は、平和な時代
護憲が護憲を呼び集めるのは、それほど難しくはないのではないかと私は思っている。護憲集会の会場が満席になりましたというような報をよく聞くが、無論、その成果と情報は十分に政治的な価値と意味があるけれど、しかし重要なのは、護憲が集まることではなく、改憲を護憲に変えることだ。護憲でも改憲でもない立場の者を護憲に変えることであり、改憲の立場の者を中立に変えることである。人々の政治意識を実際に変えないといけない。九条改正の世論は、朝日新聞では賛成が43%で反対が42%になっている。毎日新聞では賛成が49%で反対が41%となっている。昨年は九条改正に反対が世論の多数だった。「九条の会」の地域での奮闘にもかかわらず、新聞の調査では逆転を許し、九条改正反対は現実に少数派の立場に転落している。そしてマスコミの改憲プロパガンダは一日も休むことなくシャワーされ、今、この瞬間にも世論動向は「九条の会」にとって不利な
朝のラジオで田村高廣が亡くなったと聞いてネットで確認したところ、併せて植田重雄の死を知った(参照)。十四日のことであったそうだ。 直に学んだこともなくお会いしたこともないのだが、いつも心のなかで植田重雄先生とお呼びしていた。お別れ会は日本キリスト教団早稲田教会でとのことだが、やはりカトリックではなかったのかなと少し思った。そうした面についてはあまり知らない。 死因は胃がんとのことだが、八十三歳、天寿に近いと言ってもそう間違いではないように思う。年号年齢早見表 極東ブログ・リソース 2006年版(参照)を見るに、大正十二年か十三年の生まれ。吉本隆明とほぼ同じ世代の人になる。 とすれば、昭和三十五年には三十七歳ということになる。書架にある植田重雄「旧約の宗教精神」をお書きになったのは、三十六歳ころであったか。しばし感慨に打たれる。 早稲田大学出版部から出た同書はすでに古書店にもないか、あるいは
オウム事件とその余波についてはこれまでも書いてきたし、あらためて書くこともないような気がしていたが、このところまた多少気になることがあり、その無意識のひっかかりにぼんやりと思いに沈んでいた。うまく書けることではないし、黙っているほうが賢いのだろうが、この問題のとてもタッチーな部分で書くことを促すものがある。いや、促されるものがあるというべきだろう。あるブロガーの力でもあるが。 ひっかかりは、こういう言い方も誤解を招くだろうが、とりあえず島田裕巳問題としよう。もう古い話になるのかと思うが、宗教学者島田裕巳が当時上九一色村のオウム施設を見てその陰謀を看破できず結果としてオウムは安全だとお墨付きを与えたかのようなできごとがあった。このため彼は社会的なバッシングを受けることになった。私はこのバッシングに与するものではない。また、率直に言って島田裕巳を宗教学者としてはそれほど評価はしていない。が、こ
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