はしくれ美大生@gnckのつぶやきが、横須賀市議会議員のフジノさん(@FujinoHideaki)にRTされての波紋。 美術館の公共性、正統性(なぜ税金を投入するのか?)が問われているのではないでしょうか。美術関係者からの反論が待たれます。
![美術館に税金を投入するべきか? から派生してのいろいろ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e080d62d85c7d90c5ae399053862b4db25e3af3a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F2f687151a798d54519b9628b9e3675f8-1200x630.png)
マラリア原虫の電子顕微鏡写真 戦争マラリア(せんそうマラリア)は、第二次世界大戦時の沖縄県で、有病地に強制疎開させられた一般住民や、駐留した日本軍の軍人・軍属等が罹患したマラリアである。戦争という状況の下で発生したマラリアであるため、平時のマラリアと区別して戦争マラリアと呼ばれる[1]。 概要[編集] 沖縄県の八重山列島では「八重山熱」と呼ばれたマラリア発生地域が各地に存在することが古くから知られ[2]、琉球王国時代からその地域に年貢増収を見込んでの開墾を意図した強制移住が行われては全滅する、という歴史が繰り返されていた。特に石垣島の北側(裏石垣)と西表島はその意味で恐れられた地域である。現在ではマラリアは一掃されているが、第二次世界大戦時にはまだ発生地域は多かった[注 1]。 第二次世界大戦時、沖縄本島周辺では激しい戦闘が行われた。八重山諸島においては米軍の上陸こそ無かったものの、空襲や
《戦争マラリアとは何か?》 撮影・文 山本宗補(2005年9月記) ・「戦争マラリア」の記憶が風化する前に 日本で唯一の地上戦が戦われた沖縄では、敗戦の年の6月23日に組織的戦闘が終わり、米軍死者 12500人を含め、死者231000人を出した。わずか90日間あまりの戦闘により沖縄県民の4人に1人が 亡くなったという。この中で、いわゆる「戦争マラリア」の犠牲者は3647人にのぼる。 日本軍が沖縄住民の命など始めから守るつもりのなかった事例は数え切れない。「生きて虜囚の辱 めを受けず」と軍国主義の洗脳教育の徹底で、多数の住民が自決を計っただけでなく、隠れていた壕 を日本軍に追い出され米軍の攻撃にやられたり、スパイ扱いされて斬り殺されるなどの体験談も多く残 されている。 「戦争マラリア」は、戦わずして住民が日本軍に殺された事例のひとつだ。3600人という想像
太平洋戦争末期の沖縄戦では日本国内唯一の地上戦が展開され、県民の4人に1人が犠牲になるという大惨事となったのは周知の事実である。しかしその中で、地上戦がなく空襲の被害も比較的少なかった八重山の戦争の実態は見過ごされがちである。 八重山では、軍による命令で、住民のマラリア汚染地への強制疎開が行われ、2万人以上の罹患者と、4000人近く(人口の11%)の犠牲者を出した。その中で特に波照間島は、全島民が西表南風見に強制疎開、その結果、疎開中もさることながら戦後、帰島後にマラリアが猖獗を極め、島民の98%が罹患し、3人に1人が犠牲となるという悲劇的状況となった。 戦後40年以上を経てようやく八重山の遺族が補償を求めて立ち上った。国の厚い壁に阻まれ補償は認められず妥協的な結果とはなったものの、マラリア被害を後世に伝えるための祈念館建設などがどうにかして認められた。 しかし、昨99年、祈念館では開館早
昭和19年、青年学校の指導員として 内地から赴任してきたのが、山下虎雄先生。 ※男と書く人もいて、どっちが正しいのかわかりません。 島の暮らしにもなじみ、平穏な生活を送っていたところへ、 ある日とんでもないことが起こります。 昭和20年3月、 軍からの命令で、波照間島の島民は全員西表島へ疎開しろとゆうんですよ。 ※最初に命令が出ていたのは1月という説も 西表は当時、マラリアがはびこる島でした。 疎開先として候補にあがったのが、南風見の浜。 「そんなマラリアまっしぐらの場所に疎開するなんて反対」 「波照間島には洞窟もあれば、食べ物もある。しかもマラリアの心配はない」 島じゅうに反対の声が上がりましたが、これを一喝したのが、上述の山下先生。 軍刀をギラリと抜き、 「軍の命令に背くものは非国民」と島民たちを威嚇して、 自分の命令に従うよう、強要したのです。 山下が穏やかな人柄の先生というのは仮の
New Entries 深谷の煮ぼうとう (05/21) ゼリーフライ (05/21) 雪くま (05/21) 妻沼のいなり (05/21) 新町駅 (05/20) Recent Comment 六辻 ⇒ nog. (06/12) 六辻 ⇒ なんちゃん (06/08) 2010年の抱負 ⇒ nog. (01/31) 2010年の抱負 ⇒ なんちゃん (01/11) 2009年の目標 ⇒ nog. (01/02) 2009年の目標 ⇒ なんちゃん (01/01) あかり風船作品 ⇒ nog. (03/17) ウイルス性胃腸炎 ⇒ nog. (03/17) あかり風船作品 ⇒ なんちゃん (03/16) ウイルス性胃腸炎 ⇒ お母さんです (03/13) Recent Trackback ドレミの歌 ⇒ しまじろう (04/14) しまじろう ⇒ しまじろう (04/14) 井上陽水奥田民生の
あ〜る菊池誠(反緊縮) @kikumaco 「と学会」はただの同好会で学会じゃないけど、「日本マンガ学会」は学術目的の学会だから、一緒にしては「マンガ学会」に失礼ではないかなあ。 RT @shinfujioka「マンガ学会」。「と学会」の轍を踏まぬように。 2010-06-21 10:22:10 伊藤 剛 @GoITO 藤岡さんが「マンガ学会」は「と学会」の轍を踏まぬようと仰ったのをリツイートしたのは、ちゃんと自浄作用を持たないといけないね、というほどの意味でした。と学会のj唐沢俊一擁護はたとえ「ただの同好会」でも正当化できませんよね。@shinfujioka @kikumaco 2010-06-21 11:21:35
>政党CMの出演者について「党首または副党首に限る」との 規定 を無視して小泉進次郎がCM出演しているが、これがすごい。 ”ほどほどの努力では、ほどほどの幸せはつかめない 一生懸命頑張って、一生懸命働いて豊かな一番!の国を創り ましょう” 頑張っても頑張っても豊かになれない国にしてしまった責任を 自民党は、進次郎氏は感じないのだろうか。 優秀で勤勉な国民性と言われて来た我が国が、いわゆる”先 進国”から滑り落ちようとしている悲惨な現状を本当に、分って 言っているのだろうか。 それにもまして、親の七光りを最大限に生かして、政治家として 常に脚光を浴びている(もっともこれはマスメディアの作りだした 虚像と言えば言えなくもないが)一年生議員に努力を云々され る情けなさ。 一生懸命頑張って、一生懸命働いているのに、まだ一生懸命 頑張れと言うのか。 どこまで頑張ったら、この4世議員のお気に召すことや
冴えない田舎医師ボヴァリーと結婚した美しき女性エンマは、小説のような恋に憧れ、平凡な暮らしから逃れるために不倫を重ねる。甘美な欲望の充足と幻滅、木曜日ごとの出会い。本気の遊びはやがて莫大な借金となってエンマを苦しめていく。 たいへん身につまされる小説でした。深みにはまる不倫の恋や莫大な借金っておそろしいね、というのももちろんあるけど、それよりなにより、日ごろ好んで小説なんか読んでるような、夢見がちな人間の救いがたさが描かれているところが一番こわい。現実を物語との二重写しでしか見られず、そこここに運命の恋を見出そうとするエンマは、風車を巨人に見立てて突撃する女版ドン・キホーテのようです。 作者のフローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」と言ったの言わないのというのは有名な話ですが、それを言ったら、小説や映画、その他フィクションのたぐいが三度のご飯よりも好きなあなたや私は、みんなボヴァリー夫人にな
1.パウルの誕生と青年時代 小生の父となるタコは老獪で恐れを知らず、母となるタコは優美で美しかった。 諸兄は、タコの交尾というものをご存知であろうか。なんでも脊椎世界には「くんずほぐれつ」という言葉があると聞くが、たった4本ぽっちの手足しか持たない脊椎動物からそのような言葉が生まれるということ、そこに小生はいささか哀しみのようなものを覚えずにはいられない。 小生の父にあたるタコと、母にあたるタコは海底で出逢うとすぐさま、8本、8本、計16本の足を絡め、ちょうちょう結び、いかり結び、あやとりの東京タワーなどを即興で作り上げながら、性の営みに情熱の限りをつくした。まさに「くんずほぐれつ」である。その記憶はいまも海に漂っており、ふとした海水の流れから当時の彼らの熱狂をうかがい知ることができる。 母にあたるタコが産卵し、小生の人生の出発点となったのは、原発の排水によってあたためられた海であった。
日韓条約について(多分)何でも答えるよ カテゴリ政治 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/07/07(水) 22:19:44.05 ID:TAl9N0ZM0 一応公開されているものに関しての経緯と内容だけだけど。 公開されていない部分も、憶測なら書ける。 仙谷官房長官、「韓国との戦後処理は不十分。日本は個人補償を行うべき」との考え示唆 http://hamusoku.com/archives/3364246.html 仙谷由人官房長官は7日の日本外国特派員協会での記者会見で、韓国との戦後処理について 質問を受け、「一つずつ、あるいは全体的にも、この問題を改めてどこかで決着を付けていくというか、 日本のポジションを明らかにする必要があると思っている」と述べ、従来の政府の対応は不十分だとの認識を示した。 これに関連し、仙谷氏は同日の記者会見で、日韓請求権協定
Thank you for visiting nature.com. You are using a browser version with limited support for CSS. To obtain the best experience, we recommend you use a more up to date browser (or turn off compatibility mode in Internet Explorer). In the meantime, to ensure continued support, we are displaying the site without styles and JavaScript.
生後2か月の女児が死亡したのは、出生後の投与が常識になっているビタミンKを与えなかったためビタミンK欠乏性出血症になったことが原因として、母親(33)が山口市の助産師(43)を相手取り、損害賠償請求訴訟を山口地裁に起こしていることがわかった。 助産師は、ビタミンKの代わりに「自然治癒力を促す」という錠剤を与えていた。錠剤は、助産師が所属する自然療法普及の団体が推奨するものだった。 母親らによると、女児は昨年8月3日に自宅で生まれた。母乳のみで育て、直後の健康状態に問題はなかったが生後約1か月頃に嘔吐(おうと)し、山口市の病院を受診したところ硬膜下血腫が見つかり、意識不明となった。入院した山口県宇部市の病院でビタミンK欠乏性出血症と診断され、10月16日に呼吸不全で死亡した。 新生児や乳児は血液凝固を補助するビタミンKを十分生成できないことがあるため、厚生労働省は出生直後と生後1週間、同1か
【裁判】 赤ちゃん、助産師にビタミンKの代わりに「ふしぎな自然治癒力アップ薬」飲まされ、ビタミンK欠乏になり死亡→母親が提訴 1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★:2010/07/09(金) 10:18:16 ID:???0 ★「ビタミンK与えず乳児死亡」母親が助産師提訴 ・生後2か月の女児が死亡したのは、出生後の投与が常識になっているビタミンKを 与えなかったためビタミンK欠乏性出血症になったことが原因として、母親(33)が 山口市の助産師(43)を相手取り、損害賠償請求訴訟を山口地裁に起こしていることが わかった。 助産師は、ビタミンKの代わりに「自然治癒力を促す」という錠剤を与えていた。 錠剤は、助産師が所属する自然療法普及の団体が推奨するものだった。 母親らによると、女児は昨年8月3日に自宅で生まれた。母乳のみで育て、直後の健康状態に 問題はなかったが生後約
Twitter / 竹熊健太郎: 子供が明らかに減っているのだから、大学が淘汰されてい ... 子供が明らかに減っているのだから、大学が淘汰されていくのもやむを得ないだろう。大学は今後社会人入学をもっと受け入れるしか、生き残りは図れないのでは。 これに関連して。 1)大学進学率と就職率 政府統計の総合窓口 GL08020103(学校基本調査 > 年次統計 ) より作成 大卒の就職率は、1)1990-2000:バブル崩壊を受けて低下が始まり、2)2001-2005:小泉政権の期間中にハドメがかかり、3)阿部・福田・麻生政権中に反転するも、4)08Q4金融危機を経て第二氷期入り。なおオレンジの線は「大学在学者数(院生を含まない)」を見つけられなかったので、あんまし意味ない。院生を増やして経営規模を維持しているのかな。とは思う。 2)在学者の推移 政府統計の総合窓口 GL08020103(学校基
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く