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ブックマーク / aketekure.hatenablog.com (30)

  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    昨年あたりに放映していたスコラ(ベートヴェンの回)を見ていて思ったのだけど、ベートーヴェンが今の時代にいたとしたら、その性格と人当たりはまるっきり平沢進そのものだっただろうということが容易に想像がつく。 二人の共通点: 気難しい【ツンツンデレデレおれカネゴン】 流行りのダンスミュージックができない、する気がない。 同じ曲を形を変えて何十年にも渡って改造・再編成し続けている。 小品から始まって、時と共にだんだん壮麗になっていく。 後世のテンプレになる音楽の形式を作ってしまった。 楽器がうまい。 作品数がやたら多い。 一人で篭って音楽を作る。 プログレ好き。 見た目がいまいち。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2011/04/16
    『ベートーヴェンが今の時代にいたとしたら、その性格と人当たりはまるっきり平沢進そのものだっただろうということが容易に想像がつく。』
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    玄米はなぜミネラル不足になるか。 玄米を長く続けて体がおかしくなった人や短命になった人をたくさん見てきました。フィチン酸の排出作用は強力なものです。だから病気の症状が消え、ガンさえ治るのです。玄米にミネラルが多いから病気が治るのではないのです。玄米のアクが毒素を引っ張って出すのです。 甘い物を全くべない玄米菜に徹底している人や子供に虫歯になる人が多いのも玄米のフィチン酸のミネラル排出作用によってカルシウムも奪われるからでしょう。 結論を申し上げますと玄米より白米の方が人間の主として適しているということです。 http://www.global-clean.com/html/akude-minerarubusoku_01.html 健康品は数ヶ月から一年以内で止めないと体のミネラルがどんどん奪われ寿命を縮めていく原因となります。 このような一品主義健康法はあまりにも片寄った健康法な

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2010/11/16
    「玄米食はなぜミネラル不足になるか。」の紹介
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    タルムード名言集。 現実的であれ 理想を信じる http://bodywise.hp.infoseek.co.jp/hhpp/talmudo.htm この二つは一見矛盾しているように見えてしまうのだけど、子どもたちは身につけた論理能力を残らず発揮して、この二つを論理的に統合し、おのれの身体と淡蒼球に刻み込まなければならない。 大人どもはついつい、単に現実的でさえあればOKというように楽な方へと考えがちで、もともと鍛えられていない論理能力をさらに錆び付かせまくっているのだけど、たとえ現実にぴったりと寄り添わなければ生きていけない境遇にあったとしても、その背後で常にひっそりと理想を信じていなければ、現実の生き方はいくらでも堕落してしまう。そういうわけで、カネゴンにとってこの二つは一ミリたりとも矛盾していません。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2009/09/14
    「現実的であれ/理想を信じる」タルムードより
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    読書猿Classisの精選エントリ: 一人で読めて大抵のことは載っている教科書 自室でできるレファレンス・ワーク 最初の1歩 とある医学生のための新書リスト(岩波新書篇) とある医学生のための新書リスト(岩波ジュニア新書篇) 日史を学ばなかった人のためのブックリスト 他にも続々ある様子。 カネゴンが20年間探し求めていたのがついにここにあったと断言いたします【取経の旅とおれカネゴン】。文庫が多いので全部買っても全然大した額にならないところが重要。某編集学校の塾長が勧める1001冊のとおそらく一冊もかぶっていないところも重要。これで人類が最早無駄な回り道をすることもなくなるだろうか【さんざん回ったおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2009/09/14
    基本書リストのリスト。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    あまり思い出したくないのだけど、カネゴンは20年前にP-MODEL(のような音楽)を聴くことをさる筋によって禁じられていたことがあった。カネゴンのよくない部分が増幅されるからというのがその理由【ある意味ほんとのおれカネゴン】。それ以来歯をいしばって一瞬たりとも聴かず、頭音として頭蓋内に鳴り響くことすら起きないようにと24時間態勢で警戒を続けていた【努力の向きがおれカネゴン】。 それがここ半年でついに我慢できなくなり、堰を切ったようにこの種の音楽を激しく求めるようになってしまった【毎夜求めるおれカネゴン】。 しかしそれはある意味平沢進自身もそうだったのかもしれない。初期中期のP-MODELでは人間嫌いをベースとした皮肉を発することに自他共に囚われっぱなしで、そうでない音楽を作るなど当人を含め誰一人思いもよらなかった。 当時の平沢進の場合、心の奥底では実はとってもリリックなものを愛しているの

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2009/01/27
    聴きたくて仕方がなくなるような平沢進論。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    芸術とは、我らが隣人の営為である。作品鑑賞の際に、この前提を失念してはならない。 若い頃は、常人には及びもつかない天賦の才に恵まれた者だけが、芸術作品を制作できると信じていた。それ故、欠点が目に付くと、どうしても批判的にならざるを得なかった。天才なら完璧なものを作れと。しかし、今でははっきりとわかる。芸術作品の大半は、知性も感性も、一般市民とそう大して変わらぬ者たちが苦労して作り上げているのだと。どうしても意に満たぬ所、技巧の及ばぬ点が現れてしまう。これは、人間の営為である以上、必然的な結果であり、責めるわけにはいかない。むしろ、作品を鑑賞する側が、不足する部分を補完するように努力すべきである。すなわち、芸術作品とは、現実には存在しない完璧なものを目指して、芸術家と鑑賞者が共同作業によって作り上げていくものである。くれぐれも、あら探しばかりする愚かしい批評家くずれに成り下がってはならない。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2009/01/27
    『「才能のある人には批評と称してどんなひどいことを言っても許される」みたいな雰囲気』それはつまり『人には及びもつかない天賦の才に恵まれた者だけが、芸術作品を制作できると信じて』いることの裏返しですわね。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    今更になって告白するのだけど、かつて大島弓子の漫画のよさを理解したくてさんざん読んでみたにもかかわらず、カネゴンついにわからなかった【壊れたアンテナおれカネゴン】。くらもちふさこや山岸凉子などは大好きなのだけど、大島弓子は「普通に面白い」という感じで、人生を棒に振ってまで入れ込むポイントをついに見つけ出すことができずにいる。 カネゴンは同じく、どれほど聴き込んでもショパンの良さが未だに分かった気がしないのだけど、この辺にポイントがあるような気がしないでもない。 大島弓子とショパン、どちらも女心を構成する基物質のようなので、カネゴンが女心を隅から隅まで理解できるようになり、数千人の女子を手玉に取れるようになったら一気に突破口が見出せるかもしれない。今後どんな修行を積めばよいのか思案中【おかまに弟子入りおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2008/07/16
    大島弓子とショパンが大好きですがモテませんでした。ただし、自分の心に乙女が住んでいることはよくわかっています。最近は年をとってオバサンになってきましたけれど。
  • 2008-05-02

    サラリーマンNEOで不気味な体操を指導している近藤良平を「からだであそぼ」でも見かけ、近藤氏が実は詩人として超一級の腕前であることに今頃気付く。カネゴンは現代詩のことなど知る由もないのだけど、現代詩の代表として近藤氏と「幸せについてチンコ出して考えてみた」を一方的に選ばせてもらう。 なおカネゴンは、昔も今もネタを盛り込んだ詩でないと読む気がしません【末期の症状おれカネゴン】。 同じく「からだであそぼ」の「踊る内臓」のコーナーで、これまで見たことがないほど抜群に舞踏のうまい人を見かけて度肝を抜かれる。既にファンになっている家人から「森山開次」という名前であると教えてもらう。 カネゴンはこれまで舞踏を隙間産業みたいなものと思い込んでいたのだけど、その先入観を思い切り恥じる【なんぼ恥じてもおれカネゴン】。身体の動きだけで見る人をもれなく魅了するその力量は、野球で言うならイチロー、相撲で言うなら千

    2008-05-02
    synonymous
    synonymous 2008/05/02
    からだであそぼ、に言及。あれはいい番組。
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - Led Zeppelin とかっこよさの非加法性について

    みなはどう思っているかわからないけど、カネゴンにはレッドツェッペリンの音楽はこれっぽっちもブルースと思えない【石持て追わるるおれカネゴン】。それ以上に、ブルースっぽいかどうかということは、レッドツェッペリンの音楽の異様さと完成度の高さについて何の関係もないとも思う。そして、ボーカルのロバートプラントはいつも苦し紛れに曲の間を埋めているだけだとも思っている(譜面にしたら何の意味もない歌しか歌っていない)。 「かっこよさ」は数学的対象となることをこの世の終わりまで拒むことが予想されるのだけど、その原因としてかっこよさは加法性を持たない(値を持たず、順位のみを持つ)ことが考えられる。人間の「馬鹿」という性質も、同様に加法性を持たないことはカネゴンの中でのみ思い知らされている【豊富に有するおれカネゴン】。ほかにも「エロさ」など、加法性を持たないがゆえに理論的研究を拒絶する分野はいくらでもある。 上

    あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - Led Zeppelin とかっこよさの非加法性について
    synonymous
    synonymous 2007/07/05
    ↓の東京猫さんの指摘が鋭い希ガス。
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - Led Zeppelin とその音楽の危うさについて。

    YouTubeでLed Zeppelinを探しては見まくり、改めてこのバンドの音楽の作られ方がほかのバンドとあまりに異質であることを痛感。当人たちすら当時と同じことが二度とできなかったということからわかるように、音楽の組み立てがはらはらするほど危うく、再現性が異常に悪いがために、うかつにコピーすると悲惨なことになってしまう。どんなにいいパーツを集めても同じものを組み立てられない自動車のよう。 コピーが許されるのは、音楽の組み立てられ方が同じぐらい危ういクイーンぐらいしかないかもしれない【単に危ういおれカネゴン】。

    あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - Led Zeppelin とその音楽の危うさについて。
    synonymous
    synonymous 2007/07/05
    『音楽の組み立てがはらはらするほど危うく、再現性が異常に悪いがために、うかつにコピーすると悲惨なことになってしまう。』たしかに、そこであげられているカバーはかなりアレだ。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    イギリス政府の主任科学アドバイザー、ロバート・メイは1995年、「大衆がまじめな科学研究を笑いものにする恐れがある」と、イグノーベル賞の運営者に対しイギリス人研究者に今後賞を贈らないよう要請した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E8%B3%9E#.E6.89.B9.E5.88.A4 笑われたぐらいで吹っ飛んでしまいそうなぐらいにひ弱な科学研究というのはどんなものなのかということもさることながら、うっかり「イギリス人だけ免除ね」と言ってしまったあたりにブリティッシュな中華思想というか他所の国なら笑われても痛くも痒くもないというか何というかそういうものを感じてしまう【小馬鹿にされるおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2007/06/09
    ネオリベが吹き荒れたころのイギリスでは、アカデミズムを守るのに精一杯だったのかもしれない。
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 「交換の社会学」の結論のうち、目に付いたものを表現を改めてピックアップ

    「交換の社会学」の結論のうち、目に付いたものを表現を改めてピックアップ【つまんでうとはおれカネゴン】。 人は、結局自分と同じような種類(地位)の人間と付き合おうとする。特にプライベートの付き合いで。 地位の低い者が地位の高い者をパーティに呼ぶということは、(たとえそのつもりでなくても)よばれた地位の高い者からすると自分を引きずりおろそうとしているように思われてしまい、(同じ地位の低い)同僚からは抜け駆けしようとしているように思われる。 釣りバカ日誌の背景にある力学がようやく見えてきたような気がする。寺沢武一の漫画にあった「たまにはバカな女と付き合った方が勉強になるぜ」という台詞を未だふと思い出す【勉強不足のおれカネゴン】。 地位または能力の低い人は、いじけてすねることによって消極的に抵抗する。しかしそれによってその地位の低さがますます確定する。 リーダーは、会社組織で下から恐れと尊敬を受

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  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    すごくつまらない言い方をすると、芸術の質は「説得」ただそれだけで、それ以外の要素は何にもなくてもいいことになる【何か言うとるおれカネゴン】。説得力があれば、それが科学であってもアダルトビデオであっても老いたヤクザの後姿であっても皆芸術ということにしてしまったらまずいだろうか。 どさくさに紛れて書いてしまったけれど、科学の質も説得にあり、論理も統計も実験もこの説得を支援し強化するためにあるようなものだったりする。だからこそ、論理も統計も実験もすっとばして説得力だけで持たそうとする疑似科学の出現を阻止することは質的に困難だったりする。 そして芸術を所有し鑑賞する人は、どれほどの地位と教養と体力と運動神経とイケてる顔と高い身長と失うものがあっても、その瞬間は一人残らず「説得されたい服従したい」心からの奴隷であり、その芸術を作り出した人は、他の実用的な分野では負け負けのポンコツのルーザーの独

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2007/04/02
    『学の本質も説得にあり、論理も統計も実験もこの説得を支援し強化するためにあるようなものだったりする』欧米での科学のあり方の一面をよく捉えている。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    太田蛍一のサイトに掲載されていた上野耕路との対談で、重要な指摘を発見。 上野:でも音楽的に見ると、ピストルズはブルーノート(スケール)を使ってないんですよ。ペンタトニックとかも出てこない。ファズギターのバンドだと、大抵ブルーノート、ペンタトニックとか出てきてハードロックみたいになっちゃうんだけど、サウンドはあんな感じなのにドレミファ音楽みたいで面白かったな。スコットランド民謡みたいな感じで。 「ドレミファ音楽」という言い方がかわいい。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2007/03/01
    セックスピストルズの楽曲におけるブルース的要素の欠如を上野は指摘した。
  • あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 選良を自認することなき選良意識について

    例の読書猿の新しいメールマガジンが届く【狙い打たれたおれカネゴン】。 それについて何か書こうと思ったのだけど、同メルマガのバックナンバーに、カネゴンが最近思っていたことがコンパクトにまとめられていたので思わず引用【瞬時の目移りおれカネゴン】。 「難しいを読める」という文化を持った人は、を読まない人、読む時間・理由・動機・習慣等々がない人、を読めない人がいることを、しばしば視野の外に置く。しかし「古典を読むのは当たり前」というのは、誰でもわかるように、ちっとも当たり前ではない(昔の人はもっとを読んだというのも大ウソである。出版部数や進学率の変遷を見れば、読書家なんてのは人口のごくごく一部でしかなかったことはすぐばれる。連中は自分たち内輪の経験を過度に普遍化しているにすぎない)。 希少なものを「当たり前」にすり替える主張は、自分たちだけが《人間》だと言っているに等しい(一種の詐術だ

    あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 - 選良を自認することなき選良意識について
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    古典的な戦略ゲームで「RISK」というのがあるのだけど、これを68K Macintoshに移植したバージョンでカネゴンよく遊んでいた。このゲームで、自分以外の国(コンピュータが担当)を全部中立(Neutral)に設定すると、どんなことをしても勝てなくなってしまう。 この動作にすると、自分以外の各国は次のような原理で動作する: 基的に他国をまったく攻めない 自分の番がきたらひたすら軍備を拡張する(兵隊アイコンを増やす) 中立国のいずれかが攻撃されたら、中立国が一致協力して、攻撃を仕掛けた国をタコ殴りにする 現実の戦争なら、中立国同士の同盟を壊すように外交/スパイで仕向けることで対応可能かもしれないのだけど、シミュレーションにはそんな手段は提供されていないので、こうなってしまうともう勝ち目がない。 これだけ見ると「中立国同盟戦略」というか多国籍軍みたいな方法は結局一番有効に見える。専門家たち

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2007/01/25
    戦略ゲーム"Risk"と集団的自衛権について。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    何で読んだのか忘れたのだけど、どことなく印象的な話。 日の小学生とエジプトの小学生が交流する機会を持った。日の小学生たちは、まだ見ぬエジプトの夜空を想像してそれを絵に描いた。 それを見せてもらったエジプトの小学生たちは、皆口々に「この星って何の星?」と、夜空に描かれている星を指差して尋ねた。星を適当にちりばめて描いた日の小学生たちは誰も答えられず困惑するばかり。 エジプトの小学生にとって、「星を描く」ということは常に夜空に見える具体的な星座の配置を描くということであり、適当に星を並べるということは思いもよらなかった。 それだけ星が重要で身近なのだとも言えるし、その分地上の風景が単調ということなのかもしれない。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2007/01/19
    『エジプトの小学生にとって、「星を描く」ということは常に夜空に見える具体的な星座の配置を描くということであり、適当に星を並べるということは思いもよらなかった』
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    専門家がどれほど口を酸っぱくして説明しても、ニセ科学にすがる人が後を絶たないらしい。 カネゴン以前からこんな様子をどこかで見たような気がしていたのだけど、たった今わかった【お仕事中とはおれカネゴン】。 旧約聖書の全篇にわたって、エホバが「偶像を拝んではならん」と何度となく怒りを顕わにし、違反者を時には十万人単位で殺戮し、ついにはイスラエルを見捨てて「契約を守らぬ貴様らなど滅びてしまうがよい」とまで毒づいても、人々は金の仔牛を作って拝むことをついにやめなかった、あの姿。 色川武大も言うとおり、旧約聖書は「人々がいかに他人の言うことを聞かないか」ということを実に効果的かつ徹底的かつ壮大に記した、空前絶後の書物であることを痛感【最も聞かぬおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2007/01/10
    『旧約聖書は「人々がいかに他人の言うことを聞かないか」ということを実に効果的かつ徹底的かつ壮大に記した、空前絶後の書物であることを痛感』
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    オタク・イン・USAのあとがきにあった、町山さんによるパトリックへのしごき: てめーの意見とか、くだらないアメリカン・ジョークなんか誰も読みたかねーよ! てめーの文章は単調で、生き生きとした描写に欠けてる!それに文体が退屈で、やたらもったいぶってて、ノロノロしてんだよ! 「ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する」を読み始めてみて、カネゴンもまったくこれと同じ感想を持ってしまった【人の意見でおれカネゴン】。 関係ないのだけど、英語圏のこの種のはやたら分厚く、前書きと後書きの分量を何とかして増やそうとする傾向があるような気がする。を分厚くさせるインセンティブとやらがあるとしか思えないのだけど、主張をコンパクトにまとめると10ページにしかならないのがバレないようにするためだとしたらどうしよう【どうもせぬとはおれカネゴン】。

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2006/09/26
    そうそう、何で英語人はあんなに長くて内容が薄い文章をだらだら書けるのかがわからない。
  • ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記

    最上先生のメモがあまりに素晴らしいのでまるまる引用します【いただきますとはおれカネゴン】。 弱者の思想 私達は傷つけられた。ゆえに贖われなくてはならない。 私達は持たない。ゆえに奪わなくてはならない。 私達は権利を与えられていない。ゆえに責任を持たない。 強者の思想 私達は強い。ゆえに傷つけないように気をつけなくてはならない。 私達は持っている。ゆえに与えなくてはならない。 私達は責任をもつ。ゆえに実行するための権利を勝ち取らなくてはならない。 社会の中枢はそれが健全であれば、弱者の思想をもった人間を受け入れないように出来ている。社会の中枢に入りたいなら「この門の前まで来られた私達は十分強い。だから強者の思想に従って生きる」と考えを改める必要がある。 被害者意識というものに重大な問題があることが、今初めてカネゴンに明らかになった【知らずに今までおれカネゴン】。もっと正確に言えば、被害者意識

    ■ - あけてくれ -- おれカネゴンの『算数できんのやっぱり気にしすぎとや』日記
    synonymous
    synonymous 2006/07/24
    『社会の中枢に入りたいなら「この門の前まで来られた私達は十分強い。だから強者の思想に従って生きる」と考えを改める必要』