関東大震災の復興事業として、横浜市助役だった楢岡徹らが、市内の瓦礫などを使って海を埋め立て造成することを発案。1930年(昭和5年)3月15日に開園した。当時の六大都市のうち、横浜市は人口当たりの公園面積が最小であり、震災前からの公園計画が応用された[2]。 開園当時は現在の沈床花壇部分が泊地になっており、その名残が氷川丸の横にある小さな橋に見られる[3]。 開園後40年にわたり、公園前面の海面を埋め立て埠頭とする計画が提出されるも、これは実現せず、のちに東の隣接地に山下埠頭が造成された。なお現在、同海面地下にはトンネル構造の臨港幹線道路が計画されている[4][5]。 歴史[編集] 1863年頃:フランス波止場完成(現:山下公園中央部)。 1923年 9月20日:震災後の市の復興試案の中で海岸遊歩道として立案される。 10月10日:震災の折に発生した瓦礫の集積場として指定される。 10月1