「自己決定(選択自由)を認めない自己責任論/かくも不自由な新自由主義」とも関連して、リベラリズム、というかプラグマティズムとラディカリズムについて考えています。 例えばラディカルな立場をとる者が、BLOGで特定の気に入らない記事を取り上げては簡単な表象文化や言論分析をする。あるいは自分がラディカルでなくともその立場に共感する者が、特に熱心な批評をせず、リンクを貼って「やれやれ」という意味のコメントを加える(実感では後者のほうが圧倒的に多い)。一方でそのブロガーは、パブリックコメントを送るとかメールを送るというアクションを特にしないでいる場合。 意地悪な見方をすれば、そのBLOGはただ管を巻いているだけの「癒し」を求めていて、それ以上でも以下でもないと見ることも出来る。「癒し」を悪いとしなくても、「やれやれ」とただ言いたいだけのそのエントリーで、「やれやれ」な内容であるはずの記事のgoogl