2005年9月30日のブックマーク (3件)

  • 田代砲的動員と「やれやれ」な態度 ―プラグマティズムとラディカリズム(についての反省) - 荻上式BLOG

    「自己決定(選択自由)を認めない自己責任論/かくも不自由な新自由主義」とも関連して、リベラリズム、というかプラグマティズムとラディカリズムについて考えています。 例えばラディカルな立場をとる者が、BLOGで特定の気に入らない記事を取り上げては簡単な表象文化や言論分析をする。あるいは自分がラディカルでなくともその立場に共感する者が、特に熱心な批評をせず、リンクを貼って「やれやれ」という意味のコメントを加える(実感では後者のほうが圧倒的に多い)。一方でそのブロガーは、パブリックコメントを送るとかメールを送るというアクションを特にしないでいる場合。 意地悪な見方をすれば、そのBLOGはただ管を巻いているだけの「癒し」を求めていて、それ以上でも以下でもないと見ることも出来る。「癒し」を悪いとしなくても、「やれやれ」とただ言いたいだけのそのエントリーで、「やれやれ」な内容であるはずの記事のgoogl

    田代砲的動員と「やれやれ」な態度 ―プラグマティズムとラディカリズム(についての反省) - 荻上式BLOG
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2005/09/30
    「やれやれ」について
  • 体罰ではなく懲罰を - モジモジ君のブログ。みたいな。

    体罰問題関連、いろいろ見ていて、次のような記事を発見。なんで体罰が問題になるのか分かった気がする。 「教師が語る 体罰はなぜ−四国新聞社」 「授業を進めるために、その子供を放って置くと、学習権を放棄させたとなるから、お手上げだ。」とか言う状況なんだそうな。「アホか」と正直思った。先のエントリについては、「現場教師の無能」という言い方はさすがに酷だったかもしれない。問題は学校管理に向けた、主に管理職連中の戦略の欠如にあり、第一に無能なのはこういう上に立っている連中だと言わねばならない。そうなると、現場教師は管理部門からの支援をまったく受けられないままに、抑止力もなく、教室で孤立させられているわけだ。教師にストレスで精神的に病んでしまうケースが増えているそうだが、当然だろう。いや、ほんとに、教師の個々人に矛先を向けるべきではなかった。 だからといって、先のエントリの内容を修正するつもりはない。

    体罰ではなく懲罰を - モジモジ君のブログ。みたいな。
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