2008年12月21日のブックマーク (3件)

  • Web評論誌『コーラ』6号のご案内 - シャ ノワール カフェ別館

    ★転載可★ ■■■Web評論誌『コーラ』6号のご案内■■■ 誌は〈思想・文化情況の現在形〉を批判的に射抜くという視座に加えて、 〈存在の自由〉〈存在の倫理〉を交差させたいと思います。そして複数の 声が交響しあう言語‐身体空間の〈場〉、生成的で流動的な〈場なき場〉 の出現に賭けます。賭金は、あなた自身です。 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html ★Web等での誌のご紹介も、よろしくお願い申し上げます。 ●シリーズ〈倫理の現在形〉第6回● 「みんな」にとって公平な運動と社会を創るために 〜社会運動内部の権力について考えてみる〜 ひびの まこと http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-6.html 海外では、数万人から場合によっては数十万

    Web評論誌『コーラ』6号のご案内 - シャ ノワール カフェ別館
  • 歴史の記述 - kom’s log

    小学六年生の時に、それまで私が生きた12年間の経験、起こったことをすべてノートに書き記そうと思い立ったことがある。記憶をすべて書いてしまおうと思ったのだ。分厚いノートを用意して、いざはじめてみたもののしばらくしてとても困ってしまった。すべてを書くにはあまりに時間がかかる。多分一生かかってしまう。ライフワーク。そのことに気がついた私は机に突っ伏した。挫折である。おかげで小学六年生以前のことを私はずいぶん忘れてしまった。比較するにはあまりにくだらない例でもうしわけないのだが、 野家は、そうした「忘却の穴」は「神の眼」でしか見通せないからこそ「物語りえぬことについては沈黙しなければならない」と言う ... 「語りえない」ものと「語りうる」ものの可能性の中で主体は分裂しているが、他方で「語りうるもの」と「語りえない」ものの間にこそ「証言」の主体はあるのだとアガンベンは言う。 ... 「語りえない」

    歴史の記述 - kom’s log
  • コジェーヴ 『ヘーゲル読解入門』から - 遠方からの手紙(別館)

    学生にとって「学ぶ」ということは、なにも偉い先生が教壇から説いて聞かせるご高説を拝聴することだけではないだろう。その場に「先生」を批判する人が現れ、そこにおいて真面目な討論が行われたなら、それに耳を傾けることも「学ぶ」ということになるはず。 大学において「学ぶ」ということの目的が、ただ先生のご説を拝聴して、卒業のために「単位」を取得することだけにあるというのなら、また話は別だが。それに先生にしたって、なにも自分の小型エピゴーネンをせっせと大量に生産したいがために、わざわざ講義をしているわけでもないだろうし。 ところで、この先生が言っているらしきことをあちこちで見聞きしていて連想したのは、もとは亡命ロシア人であり、戦前のフランスで、ヘーゲル哲学、とりわけ彼の「精神現象学」について講義をしたアレクサンドル・コジェーヴという人。この人の講義には、サルトルやメルロ=ポンティ、ラカン、バタイユなど、

    コジェーヴ 『ヘーゲル読解入門』から - 遠方からの手紙(別館)