ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (36)

  • 柘榴 - kom’s log

    無珍先生がはじめて柘榴をべて、ほおばったその口からつやつやしたルビー色の粒をこぼしながら「メロンとライチの次に好きだ!」と相好を崩している。小学3年生のガキンチョの「おいしい!」と思う心の跳躍は、私なんぞが「おいしい!」と思う心のたぶん100倍ぐらいだ。 時効なので告白。私が子供の頃は柘榴というのは遊んでいる時に喉が乾いてそこいらの棒なんぞで実を叩き落として道に落ちて割れたのを集めてボソボソべるものだった。人の家の壁の上からはみ出している柘榴とかである。端的にいって柘榴泥棒。今回はスーパーでみかけて「おおっ」と思って買ったのだったが、なんか、あの道端に座り込んで頬張る柘榴の味も教えてやりたいけど、無理だよなあ。

    柘榴 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2017/07/08
    あの子がもう小3!って赤の他人だし会ったこともないけれども。
  • 死刑について - kom’s log

    一人の人間が一人の人間を殺すことは、マンガや大藪春彦の世界を除き、普通は死刑とはいわない。十人が殺す場合はどうだろうか?百人だったら?あるいは千人だったら?日の場合は一億人である。一億人が一人の人間を殺すことに合意している場合は、一般常識として死刑と呼ぶ。実際、日では8割が死刑に合意しているので、社会的な合意のもとで殺人がおこなわれることに肯定的なコンセンサスのある社会となっている[1]。 「イスラム国」は自称国家である。実体は山賊であり、しかも非常に邪悪な山賊である。宗教がどうか、以前に邪悪であり、人を誘拐しては平気で殺してしまう。で、2015年1月24日には身代金2億ドルを安倍首相に要求したのに72時間以内にまともな返答がないから日人を一人殺したとのことである[2]。これは彼ら自称国家にとっての死刑である。身の毛もよだつ犯罪である、理屈が邪悪だ、とか国家ではない、といった意見はと

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  • フランクフルトの税関 - kom’s log

    このところフランクフルトの税関で立て続けに演奏家のバイオリンが課税対象になってその場で払えない高額であるため没収された、という件が話題になっている。 http://matome.naver.jp/odai/2134941753199027401 http://nofrills.seesaa.net/article/296070497.html あららー、と思っていたら10日前私が日からドイツに戻ってきたとき、見事にフランクフルト空港ターミナル1の税関で引っかかった。私は近年税関で捕まることは滅多にないのだが、今回はいかにも移民風な安い布製のでかいスーツケースにボロい小さなボストンバックだったんで、怪しい、と思われたんだろうな、と捕まった瞬間に思った。以前はかなりヨレヨレの格好していたからよく捕まっていたものである。 とはいえ今回なにが問題になったかというと、スーツケースに一杯入っていた両

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    t-hirosaka
    t-hirosaka 2012/10/09
    ドイツに行く予定はないが、なんだかなあ。
  • 三回忌 - kom’s log

    6月の終わりから7月のはじめにかけて日に行った。用事はいろいろあったのだが、もっとも重要だったのは3月末にしそびれてしまった無珍先生の母親の三回忌である。震災がある前に飛行機の仮予約などもすませて、義理の妹ともども三人で3月末に日に行く予定だったのだが、原発がどうなるかわからなかったので、震災の数日後にはキャンセルした。そんなわけで、他の用事にあわせて3ヶ月遅れの三回忌になったのである。 無珍先生が三回忌にいないのもなんだよなあ、としばし迷ったものの、わざわざリスクを負わせる必要はないだろう、と思って結局連れていかなかった。我々をとても気にかけている(我々、というか無珍先生である)こちらの友人一同にしてみれば、もし連れて行くならば「感情的な行動」と映るだろう。日の方々はしらんかもしれないが、国連によるリスク評価によれば原発事故後の日は紛争地帯に相応するリスクレベルなのである。3月に

    三回忌 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/07/22
    この境地まであと三年かかるのか。
  • ■ - kom’s log

    オチがあるわけではない、たんなるメモ。 ドイツの文学者エーリッヒ・ケストナーに『飛ぶ教室』という名著がある。そのまえがきがすばらしい。 どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう?そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?(この機会に私はみなさんに心の底からお願いします。みなさんの子どものころをけっして忘れないように!と。それを約束してくれますか、ちかって?) この人生では、なんでかなしむかということはけっして問題ではなく、どんなに悲しむかということだけが問題です。子どもの涙はけっしておとなの涙より小さいものではなく、おとなの涙より重いことだって、めずらしくありません。誤解しないで下さい、みなさん!私はただ、つらい時でも、正直でなければならないというのです。骨のずいまで正直で。 人

    ■ - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2011/06/21
    ケストナー『飛ぶ教室』
  • 2011-03-22

    東北南部、関東の放射線率の大域分布がどこにもみあたらないので、等高線プロットした。 使ったデータは、文科省発表のものを機械可読化したデータを使用した。 そのままではきわめて読み込みにくいPDFのテーブルから、可読な形に変換しているのは三重大学の奥村さん*1、NTTデータのスタッフなどのボランティアの努力によっている。もとのデータはおそらくエクセルなどのスプレッドシートに文科省の担当者はまとめているはずなのに、書式にこだわってだかなんだか、この重大なデータの汎用性がさがっている。このあたりどうにかできないものか。 18日16時 20日16時 21日16時 22日16時 また、この文科省のデータからはなぜか福島県と宮城県のデータが省かれている。福島県庁のウェブサイトにいけば、データがあるのだからなぜ他の県と同じようにまとめてくれないのか、とも思う。うえのプロットには、福島県庁のサイトのデータも

    2011-03-22
  • 秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log

    英語を喋りながら車に近づき、運転席に入ろうとすると自動的に体は車の左側に向かってしまう。扉をあけようとするとハンドルがないので、反対側に苦笑しながらぐるっとまわって右側のドアを開ける。日語を喋りながらだったらこんなことはまずない。妙なものである。何回かやってしまってからは意識して間違えないようになったけれど。 わすれないうちに彼女のことをいろいろ書きとめておこう、とおもっているうちに死んだ日から半年もたってしまった。書こうと思うとはた、と止まってしまう。まったく書けない。書きたくないのではなく、彼女のことを書こうとするとその存在のリアルさに圧倒されて書けない。死が生のリアルさを際立たせてしまうのかもしれない。文字にできない。ならない。でもなぜか英語だったらできる。日語だととても難しい。でも日語で書きたい。彼女と日語を喋っていたからかもしれない。そうこうするうちに忘れてしまうか

    秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log
  • ムカシのネット - kom’s log

    院生のころネットに載せたおちゃらけ文章が出てきたんで掲載。 ロング・インタビュー - なぜ、三浦氏はシャツを燃したのか。 インタビューアー・冬木 - F:シャツを燃すのが趣味なわけ? M:いや、そーゆーわけじゃないんだけど。あのときはたまたま。というか、ある程度、必然的ではあったと思うんだけど。 F:必然的っていうと。 M:久しぶりに svnseedsにあった日だったし、IとかKとか荒くれな人間がいたしなあ。 山河でさんざん真露飲んだあとだったし。  真露はすげー酒だよ。つるつる飲んで、うまいよこれ、とかいってると腰くだけるからなあ。 F:ようはメンバーと、酒っつーことかなあ。 M:それだけじゃなくて、ミヒャエル・エンデが死んだことも関係しててさ。 F:へえー。 M:ミヒャエル・エンデは物欲が全くなくて、結局自分の肉体に対する未練もなくなって、死ぬ瞬間まで精神としての自分の存在を死とは無関

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  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

    彼女が死んだ。 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2009/04/07
    嗚呼。
  • 合成音声 - kom’s log

    大学の脳神経外科緊急外来の病室に日参し、夜は赤ん坊の世話をしている。”最小意識状態”の彼女は臓器にさまざまな問題が発生し、なかなかリハビリ病院にうつることができないでいる。日中は彼女の健康保険会社が払ってくれるお金で来ているお手伝いさんが掃除洗濯、赤ん坊の面倒をみてくれている。週末にはしばしばパリにすむ姉が助けにくる。夜はバーゼルの友人仕事をうちゃって頻繁に泊まりに来てくれている。交代でミルクをやる。夕飯は友人一同が交代で運んでくる。さまざまな国の家庭料理べているが、特にトルコ料理の奥深さに目を見張っている。赤ん坊の散歩や世話も交代制。日語、英語ドイツ語、フランス語、スペイン語、トルコ語、イタリア語、ルーマニア語、ハンガリー語であやされるこの赤ん坊はいったいどんな大人になるのだろうな、と思う。赤ん坊でも男、だからかどうやらやはり若い女が好きである。さまざまな国の美女におちんちんを

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  • The Formula of the End In Itself - kom’s log

    めずらしく雪の積もった街を急ぎ足で歩く。 彼女と7年間一緒に暮らし、寝ていたネコが死んだときいたのは、どうしょうもなく忙殺されていたそのさなかだった。私も好きな黒くて、足の先が下を履いたように白い小さなネコだった。すこしだけ忙しくなくなった今、いつネコが死んだのかが気になってあらためて電話をかけてみた。2月5日だった。彼女が脳死で死ぬはずだった日だ。愕然とした。そんなこともあるのだな、と思った。ちょうど彼女が脳神経外科のICUに担ぎ込まれた1月下旬、350キロ遠方に暮らすネコは、彼女が昨年12月半ばの引越しの際に忘れていったにおしっこをしたそうである。通常そんな行儀の悪いことをするネコではないのだが、その直後にネコは倒れ昏睡状態になった。2月5日に息を引き取った。 彼女はほぼ植物状態に近い状態になる。二日前におこなわれた10日ぶりのCTスキャンで驚くべきことが明らかになった。CT,MR

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  • 近況 - kom’s log

    彼女の説得工作に見事に負けて私は11月下旬に結婚し、12月中旬にその彼女は私の家にやってきた。一緒に暮らすのも楽しいなあ、と思い始めた1月下旬に子供が産まれ、その5日後にくも膜下出血で産院から神経外科に緊急入院した。2週間後の今、5日前に確実に脳死しますと宣告された彼女は(ドイツの医師はこのあたり容赦ない断言をする)酷なる状況を見事にギリギリでサバイブした。脳幹の大規模な梗塞で意識を取り戻す見込みはない、という程度の所見にまでに回復した。 うれしい。彼女が存在していること。 負け戦をボロボロになって闘ったのは彼女である。でも私は彼女を救ったような気さえしている。幾度にも渡る過酷な決断に直面して飯を忘れたせいか、指がやせ細って手を洗っただけで彼女が私に押し付けた結婚指輪がずり落ちるようになってしまった。そもそもこんな拘束具みないなものしたくないなあ、と思っていた。別にしなくていいのだろうけれ

    近況 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2009/02/13
    がんばって!
  • 近況 - kom’s log

    私の子供を産んだ人は今危篤にある。クモ膜下出血発症後、なんどか軽微な血管れん縮(vaso spasms)を起こしたが、11日目にして右脳全体にわたるれん縮が起こり、大きな浮腫もみられる。脳圧が高まって薬学的な対応が不可能になったので、減圧開頭法なる過激な手術を三日前におこなった。理屈は単純で、該当脳半球の頭蓋骨を除き、圧力を物理的に開放させる、という方法である。一時的にこれは小康状態をもたらしたが、1日後にふたたび膨張がはじまった。発病直後より継続してきた血圧を上昇させて脳に酸素を行き渡らせる処置ももはや無駄ではないか、と思われるほどに左脳、脳幹が圧迫され、瞳孔反射も左右で異なるようになっており、脳ヘルニアが始まっている兆候とのことだ。家族を呼んでください、と医者に告げられた。ドイツの脳死と死亡判定の関係についてよくしらなかったのだが、脳死は即そのまま死亡ということになるらしい。医者がその

    近況 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2009/02/05
    何とか助かりますように。ドイツと「日本と死の定義をめぐる事情が違う」、「このあたり詳しい方がいたら簡潔にコメントしていただけるとありがたい」とのこと。どなたかおられますか。
  • 近況 - kom’s log

    先週から人の親になった。親になった気分に戸惑う間もなく、私の子供を産んだ人が産んだ数日後に蜘蛛膜下出血で意識不明になり、ICU送りになった。異常を発見し、医師を呼び、救急車で搬送される人事不肖の人を見送り、タクシーを待って茫然としているときに看護婦が声をかけて抱きしめてくれた。涙が溢れて止まらなかった。産院と大学病院の神経外科の間をいったりきたりしながら経過を逐次追い、いくつものパラメータが表示されるLCDをにらみ、数日の間にさまざまな情報を読んでずいぶんとこの病気について詳しくなった。オシメ換えも寝不足で意識が朦朧としていてもこなせるようになった。口をパクパクさせる赤ん坊を眺め、これじゃミルク飲みすぎだよ、と思っておしゃぶりをくわえさせると、ニ三度吸ったあとにぽいっと口から吐き出す。そのたびにやっぱりおっぱいじゃないとダメなのかな、と情けない気分になる。途方にくれる。

    近況 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2009/01/28
    お大事に。頑張ってください、としか言いようがありませんが。
  • 歴史認識・デリダ・ハーバーマス - kom’s log

    合意形成の話はひとまずおいておいて、そもそもの問題の起点にまたもどる。「デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる/言うということはデリダを裏切る」という東浩紀氏発言について昨年にひきつづきいくつかリンク。 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ 三島憲一 (PDF 早稻田政治經濟學誌No.362,2006年1月,4-18) 90年代のデリダとハーバーマスの対立の経緯、および00年代になって収束した対立について詳しく書かれている。これを読んでみると、東浩紀氏が自身の歴史認識のありかたをデリダを通ったせいにするのは誠意がないなあ、と思う。少なくとも「80年代のデリダを通過した私には」ぐらいに限定したほうがよいだろう。冒頭に掲げられたデリダの言葉を眺めるだけでもよい。 「しばしば,この脱構築の時代と啓蒙とが対置されることがありますが,それは違うのです。私は啓蒙の味方,進歩の味方であり,􌔗進

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  • 歴史の記述 - kom’s log

    小学六年生の時に、それまで私が生きた12年間の経験、起こったことをすべてノートに書き記そうと思い立ったことがある。記憶をすべて書いてしまおうと思ったのだ。分厚いノートを用意して、いざはじめてみたもののしばらくしてとても困ってしまった。すべてを書くにはあまりに時間がかかる。多分一生かかってしまう。ライフワーク。そのことに気がついた私は机に突っ伏した。挫折である。おかげで小学六年生以前のことを私はずいぶん忘れてしまった。比較するにはあまりにくだらない例でもうしわけないのだが、 野家は、そうした「忘却の穴」は「神の眼」でしか見通せないからこそ「物語りえぬことについては沈黙しなければならない」と言う ... 「語りえない」ものと「語りうる」ものの可能性の中で主体は分裂しているが、他方で「語りうるもの」と「語りえない」ものの間にこそ「証言」の主体はあるのだとアガンベンは言う。 ... 「語りえない」

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  • バカの身振り - kom’s log

    問題は、情報社会の発展により「言論の自由市場」が淘汰の場としては失効しているということ。東氏が島宇宙という(用語自体は宮台真司に由来。ただし、東氏においては若者文化論ではなくこれが全面化した状態が想定されている)のはそういう状態。それが、東氏における世界認識であり、かつ、ポストモダニズム系リベラルとして擁護する社会の姿でもある。 歴史認識問題じゃないんだよね http://blog.sakichan.org/ja/2008/12/15/not_issues_on_the_interpretation_of_hist ”「言論の自由市場」が淘汰の場としては失効している”のかもしらんが選択の場としては有効。選択のしかたにそれぞれの個人の”実感”が大きなファクターになるので、これが当の”大きな物語”の終焉、島宇宙の始まり、ってなことになるわけだけど、これまたよくできたお話ですな、と私は思う。参

    バカの身振り - kom’s log
  • 本のリンク ホロコーストとポストモダニズム - kom’s log

    デリダを通ってしまうと、歴史的真実とか言えなくなる/言うということはデリダを裏切る このあたりの話のことだけど、東氏の”実感”はさておいて次のにデリダ、ポストモダニズムとホロコーストの関係が詳しく書かれているみたいなんで(2004年出版だそうです)、今回「ポストモダニズムは敵」と思ってしまった人は読んでみたらいいかもしれない。 ポストモダニズムとホロコーストの否定 (ポストモダン・ブックス) 作者: ロバートイーグルストン,Robert Eaglestone,増田珠子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2004/09/28メディア: 単行購入: 3人 クリック: 28回この商品を含むブログ (13件) を見る というかわたしは読もうかな、と思っている。ユダヤ人のデリダがそんなに軽く「ホロコーストは真実とはいえない」ということは当然ないだろうし、究極の他者である"死者"、というところか

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  • 識者の言葉を考えてみる。 - kom’s log

    中学生の娘に売春強要、母起訴 「体売って携帯代作れ」 http://www.asahi.com/national/update/1114/OSK200811140031.html 識者のコメント 大阪府知事・橋下徹さん 「携帯電話で話すことを選んだのはその中学生人ですから、こうした結果になったのは当然です。この母親は立派です。友達と話すのだったら、自転車に乗って直接会いにいけば話すことができるはずです。そうした選択肢があるにもかかわらず、この中学生はなぜ携帯電話を使うのをやめなかったのでしょうか。世の中は厳しいものです。この中学生はあまえすぎです。」 − 中学生には少々厳しすぎませんか。 「もし不満があるのだったら、政治家になって日を変えてください、といいたい。」 若者の献血離れ深刻 20年で半減 「関心ない」も半数 http://www.nikkei.co.jp/news/shaka

    識者の言葉を考えてみる。 - kom’s log
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2008/11/14
    まさか、本当に言うとは思えないけれど、いかにも言いそう。
  • ベタがベタでなくなったとき - kom’s log

    紆余曲折して結局いまや再び「科学者の職業は真理の追究である」って言ってもいいんじゃないか、とわたしは思っている。「真理の追究」なんてこというと「まさか」という時代もありました。「科学者の職業は真理の追究である」って言うのってホントつらいというか恥ずかしいというか、アホですかバカですか、と穴に入りたくなるような気分になるけれど。 近代の文脈が見失われたらそもそも議論ってのは成り立たない。「まさか」は退行して「証拠見せろ」になるわけである。こうした状況はもう、あきれるほどあちらこちらで顕在化している。結局「真理の追究」、ベタがベタではなくなったので、普通に主張すべき内容になってしまったのである。研究の結果、かくかくしかじかなる結果でございました、と述べたときに「証拠見せろ」といわれてさんざん説明して「長すぎる、三行でわかるように」とかいわれたら、「大学で勉強しなおしてください」とでもしかいえな

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