2008年12月22日のブックマーク (7件)

  • きまぐれな日々 「新自由主義」への批判と対照的な「佐藤優現象」への無批判

    このところちょっと話題になっているのが、これまで新自由主義を信奉していた人たちの「転向」である。 小渕恵三内閣(1998?2000年)の「経済戦略会議」で議長代理を務めていた中谷巌が、近著の『資主義はなぜ自壊したのか 「日」再生への提言』(集英社、2008年)で、規制緩和を推進してグローバル資主義を信奉してきた自らの誤りを認めた。その中谷巌のインタビューが、『週刊現代』の12月27日・1月3日合併号に出ている。 もっとも、ここに出ている中谷巌の言い訳は、眉に唾をつけて読んだ方が良い。 中谷巌は、1969年に留学した時にアメリカの中産階級の豊かさに魅せられ、市場原理主義によってそれがもたらされたと思ったが、豊かさは実際にはケネディやジョンソンといった民主党政権の元でもたらされた政策によるものだったことにあとから気づいたという。だが実際にアメリカが新自由主義政策を取り始めたのはレーガン政

  • コルネイユ『舞台は夢』 - charisの美学日誌

    [演劇] コルネイユ『舞台は夢』  新国立劇場・中ホール (写真右は、クランドール(堤真一)とイザベル(秋山菜津子)。写真下は、イザベル、マタモール(段田安則)、リーズ(高田聖子)) モリエール、ラシーヌ、コルネイユなどのフランス古典主義演劇は、あまり上演される機会がないので、貴重な体験だった。かなり前に劇団・円の『イリュージョン・コミック』を見たときには、面白い劇という感想しか持てなかったが、今回、鵜山仁の優れた演出『舞台は夢』によって、「バロック喜劇」の面白さを教えられた。コルネイユは普通フランス古典主義演劇の作家と目されているが、彼が29歳のときの作は(1635年)、まだ古典主義が確立する以前の「バロック喜劇」というべき作品なのだ。 物語は、家出した息子クランベールの行方を嘆く父親が、洞窟で魔術師によって、息子の人生のその後を映像で見せられる。クランベールは、ほら吹きの隊長マタモー

    コルネイユ『舞台は夢』 - charisの美学日誌
  • 【主張】教育再生 道徳教育拡充に踏み出せ - MSN産経ニュース

    政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)が第2次報告で、豊かな情操や道徳心の育成につながる題材を教科書に増やすよう提言する。道徳、情操教育の充実は、学力向上とともに公教育再生のカギである。提言を教科書づくりにぜひとも反映させてほしい。 道徳教育の充実は中央教育審議会などで過去に何度も議論されながら、教育現場にはなかなか反映されない。小中学校で週1時間ある道徳の授業は生徒指導や別の教科に流用されてきた。一部教職員組合の反対で道徳の授業が行われていない学校さえあった。 いじめ問題や少年非行の低年齢化など公教育の危機の中で、規範意識や公共心をはぐくむ教育の充実は欠かせない。再生懇談会の前身の教育再生会議は昨年、徳育の教科化を提言した。形骸(けいがい)化した道徳教育の現状を変えるねらいがあったからだ。 道徳教育に対しては「価値観の押しつけ」といった反対が根強い。教科化すれば、教科書がつ

  • いろいろ。 - ちゃずけのはてなにっき

    最近の大不況報道がいつも「この世の中にはこんなかわいそうな人たちがいるんですよー」一色でなんだか変。 現実に困っている人たちにこれから先の役に立つアドバイスをちゃんとしているように思えなくて腹が立つ。 それに「まだクビになっていないあなた方はクビにさえならなければこの先どんなことがあっても我慢するように」と臭わされているようだ。 私の幼なじみの父親はまだ10代で戦争に行かされて命からがらかえって、それから無一文で汗水垂らして小さな鉄工所を1代で築いた。 だからなのかここ10年の大不況時、仕事がなくて機械を止めているときでも、することがなくて従業員が日がな職場でトランプをしていても 決して従業員のクビを切らなかった。給料も安くはあってもきちんと払っていた。(その代わり採用は10年一人もナシ。) 一人、また一人と「定年」で見送って、30人いた従業員も15人に減って、最近少し仕事も増えてきたかな

    いろいろ。 - ちゃずけのはてなにっき
  • 透明になりたいと思うことと、巨大化したいと思うことは、なんだか似ている。 - 柱無いリユース

    『聖☆おにいさん』をきらいならともかく、おもしろいと思っている漫画政治的理由からそういわないという態度は、ちょっとひねくれすぎているんじゃないか。 ぼくは、可能なかぎりそういう「漫画を巡る政治性」から離れて、無邪気に好きな作品を好きといいたいですね。 ある作品をおもしろいと思ったら、それが社会的にどういうふうに扱われている作品であれ、素直におもしろいといえる自分でありたい。 漫画を使ってセンス競争はしたくないですよ。 漫画でセンス競争はしたくない。 - Something Orange ってあるんだけど、 “「漫画を巡る政治性」から離れて、無邪気に好きな作品を好きといいたい” っていうのが、そういう政治性なんじゃないの? 全共闘世代やその下の世代が、作ってきた文化、オモシロ主義やサブカルや、そっから別れたおたくだとか、アンチとしてのエンタメ主義みたいな考えの流れの中に書いた人はいるん

    透明になりたいと思うことと、巨大化したいと思うことは、なんだか似ている。 - 柱無いリユース
  • 『日本の論点』がすごいことになっていた - 猿゛虎゛日記

    2004年に、旧猿虎日記でもとりあげたのですがhttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/6142/0401.html#22、文藝春秋が出している『日の論点』というがあります。このは、毎年出ている、自称「文藝春秋が誇る日で唯一の年刊論争誌」なのですが、リンク先でも書いたように、前からなんとも気持ちの悪いでした。 このは、学校のディベートの授業か何かのテーマ選び、参考資料などとして使われたりしているようですが、どういうかというと、さまざまな「論点」について、対立する複数の立場の論者による論文(たまに1しか載っていない場合もある)を集めている、というものです(後述するように、正確には「でした」)。対立する立場、っていうのは、だいたい「右」対「左」みたいになっているのですが、まあ文藝春秋が明らかに「右」なわけなので、「左」の論文は、ぶっちゃけ「か

    『日本の論点』がすごいことになっていた - 猿゛虎゛日記
    t-hirosaka
    t-hirosaka 2008/12/22
    一方聞いて沙汰するな 、じゃ。
  • 『<佐藤優現象>批判』をめぐって - Arisanのノート

    前回、金光翔さんのことについて書いたが、その論考『<佐藤優現象>批判』について、ちょっと他の場所でやりとりをした。 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html そのなかで、この論の論調は、左派文化人の批判に集中するあまり「主要な敵」を見失わせるものではないか、といった評を聞いた。 これは、ぼくは違うと思う。 どう違うのかを、書いておかなくてはいけない。 金光翔による批判の意図するところ ぼくの考えでは、逆に金光翔(以下敬称略)は、あの論考で「主要な敵」を明示しようとしたのだ。 あの論考で示唆されていたように、左翼が変質して(もしくは従来の不十分な主張の延長として)、国家による少数者や弱い立場の人の排除、また戦争の遂行に加担するような姿勢を示すなら、そうした変質の構造こそが批判されるべきものであり、「主要な敵」を見えなくさせているものであると

    『<佐藤優現象>批判』をめぐって - Arisanのノート