ブックマーク / saruta.exblog.jp (8)

  • 「日本に生まれた幸運」。 | サルタ先生との日々

    今日の「天声人語」。先の見えないフクシマの事態や、それでも原発を手放そうとしない電力会社や政治家や経団連の動きを報道しつつ、よくもこんなことが書けたものだ。 日の新聞は「愛国的」で、海外事件事故をトップ級で伝えることは少ない。先週末、それが珍しく続いた。ノルウェーの連続テロ、中国高速鉄道の衝突事故だ。一報に接した印象は前者は「まさか」、後者は「やっぱり」だった▼乱射と爆破で約80人を殺害した容疑者の男(32)は、イスラム教に敵意を燃やす極右だという。ゆがんだ憎悪は、移民に寛容な現政権に向けられた。平和が薫る国での暴発は不気味だ▼列車事故も悲惨だが、テロほどの意外性はない。ざっくり言えば、メンツで急いだ高速化のツケ。発展の順序を踏まない、国家による「スピード違反」である。雷神の気まぐれで脱線するような代物に、人民を乗せてはいけない▼半世紀で新幹線網を整えた日に対し、中国はその4倍を数年

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  • 「ファシスト的公共性」の魅力。 | サルタ先生との日々

    ●佐藤卓己『ヒューマニティーズ 歴史学』(岩波書店) 佐藤卓己の『キング』論は、台湾文学研究でもよく使われるので。 『わが闘争』を引用した後で、次のように述べているところが印象に残った。 そもそも「市民的公共性」と日語訳される「ブルジョア的公共性」は、階級性を強く示唆する概念である。このブルジョア的公共性との対比で、総力戦体制以後の大衆的公共性は「ファシスト的公共性」と呼ぶことができる。ファシスト的公共性(圏)とは、大衆が運動=総動員の中に「参加」と「自由」を感じる社会関係(空間)である。総力戦体制は、「財産と教養」というブルジョア的公共圏の壁を打ち破って、「言語と国籍」を入場条件とする国民総参加=総動員の公共圏を成立させた。それは「理性的な討議により輿論を生み出す読書人のブルジョア的公共圏」に対して「参加感覚とその共感により世論を生み出す社会関係」と定義できる。この公共性の構造転換にお

  • ホロコーストとシニシズム。 | サルタ先生との日々

    ※先日読んだ岡真理の『アラブ、祈りとしての文学』のなかに、こんなことが書かれていた。 ホロコーストを体験したユダヤ人がなぜパレスチナ人に同じことを繰り返すのか、という問いをよく聞く。パレスチナ人がパレスチナから物理的に排除し、そこに「ユダヤ人国家」を建設するというシオニズムの思想は、歴史的にホロコーストに先んじて存在していた。シオニズムにおいては当初より、パレスチナ人に対してユダヤ人と対等な人間性がそもそも否定されていたのであり、パレスチナ人の人間性の否定の上に建国されたイスラエルがユダヤ人国家維持のためにパレスチナ人に対して行使する暴力において、パレスチナ人の人間性が顧みられないのは、実はきわめて当然のことなのだ。だとすれば、先の問いは、ホロコーストというレイシズムによる悲劇の経験を、私たちはいかにして、イスラエルのユダヤ人がパレスチナ人に対するレイシズムを克服する契機となしうるか、と言

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  • 「轉型正義」をめぐって。 | サルタ先生との日々

    ●『思想 5 轉型正義與記憶政治』(聯經出版公司) ●『思想 2 歷史與現實』(聯經出版公司) ※最近ボチボチ読んでる雑誌。 台湾のニュースを見ていると、「轉型正義」ってキーワードみたい。手近なところで読むのはないかと探したところ、ずっと前から買いためていたこの雑誌が目に入った。 「轉型正義」の特集号では、江宜樺「台灣的轉型正義及其省思」や陳芳明の「轉型正義與台灣歷史」など。でも第2号に掲載された吳乃德論文「轉型正義和歷史記憶-台灣民主化的未竟之業」の方が、アカコには刺激的だったけどね。 そもそも「轉型正義」って、日語では耳慣れない言葉だけど、台湾の維基百科には、ちゃあんと載ってる。 これって“Transitional Justice”の中国語訳なんだけど、日語にはまだ決まった訳語がなくて、「移行期の正義」とか「移行過程における正義」あたりが使われているみたい。 ぴったりする訳語が定着

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  • スッキり、明快。 | サルタ先生との日々

    ●笠原十九司『南京事件論争史-日人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書) ※「南京事件」をめぐる、歴史修正主義者との「論争」の歴史を整理したもの。学術的な意味での「論争」は、とっくに決着済みであることが明快に示されているんだけどね。 それにしても、歴史修正主義者たちの「隠蔽」「改竄」のいじましさといったら。まあ、彼らのために「弁護」するならば、「意図的」な「歪曲」だけじゃなくって、あのヒトたちには資料をちゃんと読みこなすガクリョクさえ不足しているのかも知れないけれどもね(「被告×××の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」(p.249)。 問題は、こうした「隠蔽」「改竄」まみれのクズが、いまだに大量に流通し、それなりに読者を獲得しているってことだな。 このへんは、昨日買った『「皇国史観」という問題』の著者である長谷川亮一の問

  • 膨大な一次資料に脱帽。 | サルタ先生との日々

    ●戸ノ下達也『音楽を動員せよ-統制と娯楽の十五年戦争 越境する近代 5 』(青弓社) ※「筆者はあの時代を知らない世代であるがゆえに、これまでの論文では徹底して一次資料にこだわり主観を排して時代を再構成することに注力してきた」(p.250)って書いてある通り、膨大な一次資料に基づく論述に圧倒される。史料だけではなくて、関連分野の先行研究も、とても幅広く押さえているし。 「企業勤めの日常からしばし離れて、休日か深夜だけしか論文に向かい合えない」(p.261)と言いつつ、こんな成果を出せるなんて、怠惰なアカコには想像もできない。 15年戦争期に、音楽がどのように総動員体制に組み込まれていくのかが、書全体を通じて明確に論じられているんだけど、アカコにとってとりわけ興味深かったのが、第5章の「音楽の「大東亜共栄圏」」。 「南方諸民族の児童達にウタとエホン、即ち耳と目からによって大東亜共栄の大理想

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  • 勉強んなった、けど。 | サルタ先生との日々

    ●丸川哲史『台湾における脱植民地化と祖国化-二・二八事件前後の文学運動から』(明石書店) ※戦後初期の台湾文学って、アカコはあんまり知らないので勉強になった。ここに収録された論文は、掲載時に読んでたけど、一冊にまとめられると、より全体像が把握しやすくなるしね。 ただ「外行」の分際で言うのもなんだけど、先行研究に対する丸川さんのまとめ方(p.30、p.34、p.118、p.159など)には、ちょっと違和感。 陳映真・曾健民・藍博洲など「人間出版社」グループ(言わずと知れた統一派)の仕事は、確かに貴重なものだろうけど、単行だけではなく台湾人大学院生の修論や博論に目を配れば、もう少し違った評価になるんじゃないかなあ?だって丸川さんの言うとおり、コトは単なる文学研究のレベルにとどまらないんだものね。↓ この一九四〇年代後半の時期にかかわる研究が一九九〇年代から現在に至るまで、台湾における最も大き

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    t-hirosaka
    t-hirosaka 2007/09/26
    丸川哲史『台湾における脱植民地化と祖国化-二・二八事件前後の文学運動から』(明石書店)
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    t-hirosaka
    t-hirosaka 2007/05/17
    『大和民族を中核とする世界政策の検討』
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