2008年3月14日のブックマーク (6件)

  • スッキり、明快。 | サルタ先生との日々

    ●笠原十九司『南京事件論争史-日人は史実をどう認識してきたか』(平凡社新書) ※「南京事件」をめぐる、歴史修正主義者との「論争」の歴史を整理したもの。学術的な意味での「論争」は、とっくに決着済みであることが明快に示されているんだけどね。 それにしても、歴史修正主義者たちの「隠蔽」「改竄」のいじましさといったら。まあ、彼らのために「弁護」するならば、「意図的」な「歪曲」だけじゃなくって、あのヒトたちには資料をちゃんと読みこなすガクリョクさえ不足しているのかも知れないけれどもね(「被告×××の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」(p.249)。 問題は、こうした「隠蔽」「改竄」まみれのクズが、いまだに大量に流通し、それなりに読者を獲得しているってことだな。 このへんは、昨日買った『「皇国史観」という問題』の著者である長谷川亮一の問

  • 膨大な一次資料に脱帽。 | サルタ先生との日々

    ●戸ノ下達也『音楽を動員せよ-統制と娯楽の十五年戦争 越境する近代 5 』(青弓社) ※「筆者はあの時代を知らない世代であるがゆえに、これまでの論文では徹底して一次資料にこだわり主観を排して時代を再構成することに注力してきた」(p.250)って書いてある通り、膨大な一次資料に基づく論述に圧倒される。史料だけではなくて、関連分野の先行研究も、とても幅広く押さえているし。 「企業勤めの日常からしばし離れて、休日か深夜だけしか論文に向かい合えない」(p.261)と言いつつ、こんな成果を出せるなんて、怠惰なアカコには想像もできない。 15年戦争期に、音楽がどのように総動員体制に組み込まれていくのかが、書全体を通じて明確に論じられているんだけど、アカコにとってとりわけ興味深かったのが、第5章の「音楽の「大東亜共栄圏」」。 「南方諸民族の児童達にウタとエホン、即ち耳と目からによって大東亜共栄の大理想

    膨大な一次資料に脱帽。 | サルタ先生との日々
  • その「少女」は本当にいないのか? - OAF

    この問題に関して考えるなり議論するなりする上で、まず最初に押えておかなければいけないのは、いわゆる児童ポルノは社会的な悪である、ということが合意されているかどうかということだ。 ここをアイマイに各論(表現の自由とか)に入ったって得るものは何も無い。 多くのブログで言及されてるがくだらないものが多い*1。以下はかなり冷静で信頼できる感じのエントリ。「単純所持の処罰」の項はすばらしい。 ただ個人的にひっかかるところもあるので、そこだけちょっと。必ずしもgood2nd氏の意見に対応するものではないけど。 日ユニセフ協会の「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンの問題点 写実的だろうがなんだろうが、被害児童はいないのです。 特にアニメ・漫画表現における規制に関してこのようなことを言う人が多い。 こういう人達はいわゆる「ポルノ」が社会的に氾濫することがなぜ悪いことなのか分かってないのではないのだろう

    その「少女」は本当にいないのか? - OAF
  • 日本ユニセフ協会の「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンの問題点 - good2nd

    Yahoo! の特集ページにある統計のグラフを見ると、児童ポルノによる検挙数は2005年には470件にのぼっており、決して小さな問題とは言えないでしょう*1。児童ポルノの生産・流通は被害児童に対する重大な人権侵害であり、是非とも撲滅すべき非人間的な犯罪だと思います。 しかしながら、日ユニセフ協会による今回のキャンペーンには大きな問題があり、残念ながら僕はこれに署名することができません。 日ユニセフ協会・特集 子どもポルノから子どもを守るために 問題は大きく3つあります。単純所持の処罰、非実写ポルノの規制、児童を演じるポルノです*2。 単純所持の処罰 児童ポルノの単純所持が違法でない状態では、一旦流通した児童ポルノは消費者の手に残り続けることになります。制作者や販売者が処罰された後でも、それが消費され続けるならば、被害児童は真に救済されたとは言いがたいでしょう。したがって、単純所持自体が

    日本ユニセフ協会の「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンの問題点 - good2nd
  • それでも性的マイノリティとして児童性愛者を見る必要はあると思う - 変身物語

    「小児性愛の何を問題にしたいのか」(モジモジ君の日記。みたいな。)id:demianさんの記事などをうけて、id:mojimojiさんはこの文章で小児性愛について書かれている。そのなかには様々な論点があり、個人的にはほかにも疑問を感じる点があるのだが、ここでは児童性愛者の性的マイノリティ性についてだけ絞って論じたい。さて、モジモジさんは、まず「成人対象の異性愛」という規範からの逸脱としては、同性愛など他の性的マイノリティと小児性愛は迫害の歴史をおなじくするという。しかし、その理由だけから、小児性愛を他の性的マイノリティと同様に扱うわけにはいかないという。その理由は、同性愛などは行為としてなんら問題になることはないのにたいし、小児性愛は児童が性的主体足りうるかという問題点がかかわるからなのだという。確かに、性的マイノリティの権利の問題というものが、性的マイノリティの当事者がその欲望にしたがっ

  • プラトン『国家』メモ・その1 - Arisanのノート

    プラトンの『国家』を読み出したが、滅法面白い。 もっと早く読めば良かった。 国家〈上〉 (岩波文庫) 作者: プラトン,藤沢令夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1979/04/16メディア: 文庫購入: 13人 クリック: 86回この商品を含むブログ (118件) を見る 冒頭に近い部分では、ソクラテスがケパロスという金持ちの老人に、「老い」ということについて尋ねる。 ケパロスの答えは、愛欲や快楽を求めるさまざまな情念(欲望)から解放されたことによって、かえって自分は自由になった、というものである。 そして彼らは、何か重大なものが奪い去られてしまったかのように、かつては幸福に生きていたが今は生きてさえいないかのように、なげき悲しむ。(p21) まったくのところ、老年になると、その種の情念から解放されて、平和と自由がたっぷり与えられることになるからね、さまざまの欲望が緊張をやめて、ひと

    プラトン『国家』メモ・その1 - Arisanのノート