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2006年3月15日のブックマーク (5件)

  • [徳力] 経産省部長のブログ炎上で職務専念義務違反はひどくないですか?

    asahi.com: 経産省部長ブログ「炎上」 PSE法巡り書き込み殺到 – 社会を読んで。 御手洗さんのブログ経由で知ったのですが、PSE法の関連で経済産業省の谷部長のブログが「炎上」して、閉鎖に追い込まれていたそうです。 御手洗さんもブログで「行政に携わる方と非常に近い対話の機会が増えることは、住民のニーズに近い行政サービスを実現する上で、非常に価値のあることでしょう」と書いていますが、国の省庁の生に近い意見を聞けるブログがあるなんて実に画期的なことだったと思います。 私個人はPSE法について無知なので、法律自体の是非は分かりませんし、谷部長がどういう人だったのかは良く分かりませんが、それにしても対話をしようと努力をしてくれる窓口があったのに、そういうブログが存在したのに、その窓口が炎上して閉鎖に追い込まれてしまうというのは実に悲しいことです。 こういうことがあればあるほど、「結局ネッ

    [徳力] 経産省部長のブログ炎上で職務専念義務違反はひどくないですか?
  • 昔****に所属していた問題 - 量産型ブログ

    松永氏が告白して局所的に大騒ぎになっているわけですが。 正直どうでもいい。松永氏のエントリーが面白ければそれでいい。俺には。 ESPIO: 欺瞞情報 http://espio.air-nifty.com/espio/2006/03/post_bdae.html 野田氏にはblockquoteを覚えてもらいたいと思った。激しく読みにくい。 そもそも「けちをつける」 も何も、「有名ブロガー」として活躍しようがしまいが、世間の 人はブロガーなんぞに何の関心もないに違いない。 だったら何故雑誌で取り上げるんでしょうね? 不思議な人だなあ。

    昔****に所属していた問題 - 量産型ブログ
  • オウム憎んで人憎まぬために : 404 Blog Not Found

    2006年03月14日13:13 カテゴリPsychoengineering オウム憎んで人憎まぬために だからこそ、松永氏を「元河上イチロー」として扱ってはいけない。 BigBang: 「ことのは」の背負ったもの----許さなければならないこと。許してはならないこと。 私たちが許してはならないものは何か。それは二度とこうした惨事を私たちの社会に引き起こすあらゆる可能性を排除することである。残念ながら当時の思想をほとんどそのまま残しながらこの団体の趣旨を引き継ぎ活動している者の数は十人や二十人ではない。ここで松永氏、と書いたが、これは「元オウム真理教信者の誰でも」と言い換えてもよい。 オウムのような「大社会に害を成す小社会」に対する方法というのは、基的に二種類しかない。 弾圧と統合、だ。 弾圧メソッドの日本代表は織田信長だろう。彼は文字通りまつろわぬ者を鏖し(みなごろし)にした。彼の後継

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    t2-news
    t2-news 2006/03/15
    まっとう。こういう正論を言える人は少ない
  • 捨てたもんじゃないブログの世界 | 5号館を出て

    あまり細かく知りたくもない話でしたのでそれほど良く理解しているわけでもないし、ちょっとフォローが遅れていたので書くのもちょっと気が進まないところもあるのですが、なにしろ我々が大切にしなければならない日ジャーナリズムの将来を担うことになっていると私が信じている泉あいさんの危機とも感じられ、ちょっとドキドキ心配していました。 上にも書いたようにいろいろ調べたわけではないのですが、とりあえず以下のサイトを見るとすべてがわかると思います。 もっとも大きな一撃は名前の通りBigBangさんの、「民主党ブロガー懇談会・アーレフ関与問題----GripBlogと松永氏に問う」なのだと思います。 それに前後して泉あいさんからのヘルプ・コールが発信されております。 ネットジャーナリズムの弱点に直面しています~取材再開へ向けて オウムとは無関係です 取材活動ができなくなる可能性~お願い そこへ、弾さんから「

    捨てたもんじゃないブログの世界 | 5号館を出て
    t2-news
    t2-news 2006/03/15
    いいまとめだ。
  • [R30]: 言葉の磁場

    以前のエントリにも書いたことがあるが、93年にタイで出家していたことがある。その理由は、1つには高校時代のホームステイ先のホストマザーを喜ばせたいということだったが、もう1つはこちらのサイトで彼が書いているようなこととそっくりな理由だった。彼が91年、そして僕が93年だから、京都と東京という違いはあれど、あれはちょうどあの時代の共通な空気だったのかも知れない、と思う。僕はたまたまタイで出家ができた。彼はそれを日でやりたいと考えた。違いはそれだけだったのだろう。 僧侶だった間、僕はずっと自分と世界とのかかわりの法則について考えていた。当時の僕の頭の中は、マルクスとかデカルトとかカントとかヘーゲルとかヴィトゲンシュタインとか、そういうものでいっぱいだった。そして、タイで先輩僧侶に向かって「マルクスはこう言っている」とか「ヴィトゲンシュタインはこういう説を述べている」とか、つたないタイ語で必死

    [R30]: 言葉の磁場