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ブックマーク / president.jp (9)

  • ミス無く高速処理「総務部勤務・92歳エクセルの達人」が机に向かうとき絶対にしないこと 速さとクオリティの高さを同時に実現するスゴイ技

    世界最高齢の総務部員、玉置泰子さんは、現在もエクセルやパワポを使いこなし、働き続けている。複数の業務を同時に抱える玉置さんが、速さと正確さを両立するための仕事術とは――。 ※稿は、玉置泰子『92歳総務課長の教え』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。 その仕事は誰かの役に立っているか どんな仕事にも、締め切りがあります。 ビジネスをとり巻く環境がめまぐるしく変わっている現代では、昔と比べると締め切りも早まり、スピード感を持って仕事にとり組まないと、満足にこなせないような状況になっています。

    ミス無く高速処理「総務部勤務・92歳エクセルの達人」が机に向かうとき絶対にしないこと 速さとクオリティの高さを同時に実現するスゴイ技
    t_sabaku
    t_sabaku 2022/05/29
  • あおり運転しか生きがいがない56歳男性の怒りのトリガー 車が好きで運転の仕事に就いたが…

    2019年8月。高速道路上で高級外車に乗った中年男性が執拗にあおり運転を繰り返し、車を停車させて男性を殴った「常磐自動車道あおり運転殴打事件」。同乗の女性が携帯で動画撮影をしたことがワイドショーでも注目を集め、危険な行為として社会問題化した。しかし、以降もあおり運転での逮捕は相次ぎ、ついには運転中に歩行者をエアガンで撃つ者まで現れた。 これらの問題を受けて、政府は同年12月、「あおり運転」について危険運転致死傷罪の適用拡大や免許取り消しといった厳しい行政処分を科す方針を打ち出した。一般では対策としてドライブレコーダーの搭載が一気に広まるなど、まさに2019年は“あおり運転元年”といえるかもしれない。同章では、そんな“心の貧困”とも呼べる人たちを見ていきたい。 東京都に住む会社員の林弘重さん(仮名・56歳)は、そんなあおり運転をやめられないでいるひとりだ。ここ5年間で4度の接触事故を起こし、

    あおり運転しか生きがいがない56歳男性の怒りのトリガー 車が好きで運転の仕事に就いたが…
    t_sabaku
    t_sabaku 2020/08/25
  • 「もう限界」関西屈指の人気寺が"納骨制限"に踏み切ったワケ 宅配便を送り返す「送骨」も頻発

    「納骨の受け入れを制限します」。関西屈指の参拝者を誇る一心寺が、先日、こんな新聞広告を出した。一心寺ではこれまで「1万円から」という格安の費用で納骨を受けてきたが、納骨件数の急増で対応しきれなくなったのだ。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「宅配便で遺骨を勝手に送りつけてくる遺族もおり、一心寺はそうした『送骨』は送り返している」という――。 多くの寺院経営は厳しいのに「納骨受け入れ制限」する理由 今月、ある新聞広告が目についた。広告主は、大阪市天王寺区にある一心寺という浄土宗寺院である。宗教法人が墓地分譲などの新聞広告を出すことは珍しくはないが、この広告は真逆であった。来年2021年以降、納骨の受け入れを制限するというものだ。 私は「いよいよ、そうせざるを得ない状況になってきたのか」と、複雑な心境になった。背景には、昨今の改葬や墓じまいの増加がある。 これだけを聞けば「墓じまいが進み、足元

    「もう限界」関西屈指の人気寺が"納骨制限"に踏み切ったワケ 宅配便を送り返す「送骨」も頻発
    t_sabaku
    t_sabaku 2020/01/25
  • 「奇跡のワイン」に世界が驚嘆! カプコン創業者、異業種参入の軌跡

    「奇跡のワイン」のオーナーはゲーム会社、カプコンの創業者――。カプコンの辻憲三会長が個人事業として、「ケンゾー エステイト」を世に送り出したのは2008年。通常、ボトル140万円を超えることもある「カルトワイン」並みの品質でありながら、1万~2万円ほどの手頃な価格に抑えたこのワインは、たちまち話題をさらった。「ストリートファイター」「バイオハザード」「モンスターハンター」など、数々のヒットゲームを手がけてきたカプコン創業者はなぜ突如として個人でワイン事業に参入し、成功をおさめることができたのか。そのブランドを育てるまでの軌跡を追った。 カプコン会長兼CEO憲三(つじもと・けんぞう) 1940年生まれ。奈良県立畝傍(うねび)高校の定時制卒業。63年菓子卸売業「辻商店」を開業。74年ゲーム機製造販売会社アイ・ピー・エムを設立。83年カプコンを創業して社長に。2007年に会長兼最高経

    「奇跡のワイン」に世界が驚嘆! カプコン創業者、異業種参入の軌跡
    t_sabaku
    t_sabaku 2016/05/18
    アイルーの違和感すげえ
  • 帰ってきたバッタ博士[後篇]

    バッタ博士・前野ウルド浩太郎は京大白眉プロジェクトの内定を獲得した。 来年4月からは、安定した収入を得て研究活動を続けることができる。これから博士は何をどのように研究していこうと考えているのか。 京都大学での内定式ルポと合わせて、博士へのインタビューをお届けする。 ご結婚の予定は? 来年4月からバッタ博士は「京都大学白眉センター年俸制特定教員(助教)」となる。すなわち京都大学の職員だ。健康保険も使える。博士に「給料はいくらですか」と聞くと、「いや、まだ自分もよくわかってないです」とのことなので、「国立大学法人京都大学特定有期雇用教職員就業規則」内「第2章 年俸制特定教員/俸給」を見てみると、A=40万円からV=170万円までランクが分けられており、「額については、雇用される者の経験及び能力に応じて決定するものとする」と書いてある。ということは、博士は最低でも月40万円の給料を得ることになる

    帰ってきたバッタ博士[後篇]
    t_sabaku
    t_sabaku 2013/12/18
  • 帰ってきたバッタ博士[前篇]

    あのバッタ博士・前野ウルド浩太郎が帰ってきた。6月、連載《バッタ博士の「今週のひと工夫」》が始まったとき、博士は「33歳、無収入、職場はアフリカ」と名乗りを上げた。未来は何も約束されていなかった。 そして今、われわれの前に再び現れた博士は、32.2倍の超難関を突破して、自らの力で定期収入とベストの研究環境を見事手に入れていた。 その名は「京都大学白眉プロジェクト」。 バッタ博士はいかにして難関を突破し、無収入の苦境を脱したのか。 「これで、研究を続けることができます」 12月10日、日出版倶楽部で開催された「第四回いける大賞」授賞式にて。今回は3作品が受賞。左から『永続敗戦論』(太田出版)の白井聡さん、バッタ博士、『永山則夫――封印された鑑定記録』(岩波書店)の堀川惠子さん。堀川さんの受賞スピーチの前半は「バッタ博士に会いたくて今日はここに来た」という取材者魂と愛情にあふれる内容だった

    帰ってきたバッタ博士[前篇]
    t_sabaku
    t_sabaku 2013/12/17
  • 33歳、無収入、職場はアフリカ

    バッタ博士、前野ウルド浩太郎。サハラ砂漠の国・モーリタニアで働く33歳。カネはない。安定した将来の約束はない。だが、研究への情熱がある。バッタへの愛がある。ピンチはアイデアで乗り越える。厳しい環境下で働くすべての戦士たちに捧げる「サバイバルのためのひと工夫」、連載開始。 取り返しのつかない生活を送っています 私は雪国・秋田育ちにも関わらず、灼熱のサハラ砂漠でバッタを執拗に追いかけ回すことを生業にしている男です。一般に博士号を取得した研究者は、就職が決まるまでポスドク(ポスト・ドクター)と呼ばれる1、2年程度の任期付の職を転々としながらいつなぎます。私もポスドクです。政府が2年間の任期で若手研究者を外国に派遣する制度を利用し、このアフリカ滞在中の成果を引っさげて、安定した給料が得られる常勤の昆虫学者になる可能性に賭けました。モーリタニアの国土は日の3倍で日人の民間人が私一人だけという孤

    33歳、無収入、職場はアフリカ
    t_sabaku
    t_sabaku 2013/06/23
  • なぜ、若い主婦はクックパッドを見てミツカン酢を買うのか

    主語がミツカンでは口コミは起こらない! 1990年代に入ってから「さしすせそ(砂糖・塩・酢・しょう油、味噌)」と呼ばれる基礎調味料の需要は減少傾向にある。家庭用酢の分野で約8割のシェアを誇るミツカンにとっても、これは深刻な事態だった。 ミツカンMD部MD企画 前田哲也 ウェブを含むメディアへのプロモーションを担当。「穀物酢や米酢の購入者は、圧倒的に50代以上が多い。若い主婦に魅力を伝えるには、マス広告だけでは難しいんです」 「原因は、核家族化が進み調理の文化が若い世代に受け継がれにくくなったこと。結果、20~30代の調理スキルが落ち、酢を使いこなせなくなってきた。昔は『一汁三菜』が常識でしたが、最近では小鉢がはじかれて主菜のみという献立が増えていますよね。お酢のメニューは副菜が多いので、たいへん影響を受けます。魚から肉中心の生活に変わってきたことも大きい要素です」(ミツカンMD部MD

    なぜ、若い主婦はクックパッドを見てミツカン酢を買うのか
  • なぜ日本HPは中国から東京に工場を移したか

    海外でつくるより国内製が強い理由 円高=産業の空洞化――。 史上空前の円高水準が続く状況を目の前にして、マスコミは常套句のようにこの公式を口にしている。しかし、円高になると産業が空洞化するというのは、当なのだろうか。 筆者が記憶している最古の円高は、1985年のG5によるプラザ合意の後の円高だ。1ドル235円だった円が、わずか24時間後には20円も値上がりし、1年後には1ドル150円台での取引が日常の風景となった。 あのときもマスコミは、「日の輸出産業は壊滅する。生産拠点の海外移転は必須だ」と喧伝した。円高=産業の空洞化を力説したわけである。 たしかにあの時代、生産拠点の海外移転が進んだのは事実だろう。日のメーカーが東南アジアに工場を建てることが当たり前になった。昨年、大洪水に見舞われていたタイのニュースを見ても、これほど多くの日企業が進出しているのかと驚かされることしきりである。

    なぜ日本HPは中国から東京に工場を移したか
    t_sabaku
    t_sabaku 2012/02/17
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