豚の丸焼きや鳥の丸焼きを食べてきた以上、次は牛の丸焼きを食べたいと願い続けていたところ、「丹波篠山味まつり」の10月8日(土)と10月9日(日)のそれぞれ11時から、たんば田園交響ホール西駐車場にて各日500食限定で「丹波篠山牛丸焼き」が食べられるとのこと。これはなにがなんでも行かねばなるまい!ということで、気合いを入れて突撃しに行くことに。 JR篠山口駅に到着、人だらけ 改札を出てすぐにこのような案内が。シャトルバスは300円で会場直行、路線バスは280円で会場近くへ。 シャトルバスは人だらけだったので、裏をかいて今回は路線バスを選択 最寄りは「二階町」なのですが、味祭り開催中の交通規制があるため、迂回するため到着しないとのこと。運転手さんに聞いてみたところ、味祭りで牛の丸焼きを食べに行く人は一番近い「篠山本町誓願寺」で降りれば良いとのこと。 約20分で誓願寺に到着 すぐ目の前が歩行者用
狛犬ならぬ「狛兎(こまうさぎ)」が鎮座し、さらに「招き兎」や「うさぎおみくじ」など、とにかくあらゆるものがうさぎまみれになっているのが京都にある岡崎神社。どうせ初詣に行くなら普通とは違う神社がいい!という人にオススメです。 そんなわけで、岡崎神社がどのような神社なのかというフォトレポートは以下から。 岡崎神社の場所はここ、京都市左京区岡崎東天王町51。 大きな地図で見る そんなわけで雪まみれの京都、岡崎神社に到着 提灯もウサギ 古くからウサギが氏神の使いと伝えられ、うさぎが多産であることから子授けの神として祈願信仰されているそうで。 そんなわけで境内へ 参拝はこっちから すごい雪 京都は雪が積もりまくってとんでもないことに 狛犬が左右にあると思いきや、その手前に何かが…… これが「狛兎(こまうさぎ)」 確かにウサギです どこからどう見てもウサギ 足下の雪と相まって、雪兎みたいな雰囲気に。
こんな会がったので参加してきました。 大正初期に建てられた遊郭跡がそのまま居酒屋さんとして使われています。料理はいたって鍋料理かな。食事は早々に切り上げて建物内の探検を始めました。(写真に空席が多いのはみな探検中^^;) 中庭の見える1階ロビー。 日光東照宮の陽明門。この建物はこんな摩訶不思議な装飾でいっぱいです。(なぜ陽明門?とかいちいち突っ込んでたらキリが無いです) 門をくぐると‥‥。ここは何でしょVIPルーム? 玄関横にある謎の小部屋。 住吉大社っぽい太鼓橋。 橋で中庭を渡ります。 二階建ての建物です。‥‥手すりは三条大橋の欄干? ‥‥三条小橋もある。 廊下いろいろ。 空いている客室も覗かせていただきました。 各部屋は妙なテーマがあるようで‥‥ここは屋形船風。 装飾や壁画などいろいろ。あ、三つ葉葵の紋章だ。 手洗いの天井が花柄だったので驚きました。 最後は建物外観!なぜか南西角だけ洋
2009.10.23 天六阪急ビル カテゴリ:カテゴリ未分類 かつてターミナルビルであったこの「天六阪急ビル」も、当初は新京阪鉄道として開業していた、 とのことで、画像からもその様子がみてとれますね。 長い年月を経て、現在はずいぶん外観が変わってしまいましたが、現在でも当時のまま 残されているものがあります。 例えばこの上下の画像。 比較してみれば、この南側の少し色の違う部分(増築部分)によって、ずいぶん印象の違う 建物になってしまってますが、奥のレンガ部分は当時の面影を残してます。 屋上の、かつては「新京阪電車」の看板を掲げていたであろうポールも、よく見れば 残ってますし。 さらにビルの北側。 かつて電車が乗り入れていたプラットホームがあった場所。 現在はもちろん線路はありませんが、ホーム跡は名残があります。 この角度だとイメージしやすいですね。 高架線路が延びていた当時の様子が、なんと
農園からのお知らせ 更新日 24年2月29日 ◆令和6年春「露地土佐文旦」販売中です! 本年度の露地土佐文旦の販売は1月31日~です。 ※今年はまだ在庫がございます!追加のご注文もお待ちしております。 ●高橋農園オンラインショップにてご注文受付中です ●カタログやご注文書の入ったご案内状をご希望の方は郵送にて送らせて頂きます → 案内状申し込みフォーム 更新日 24年2月25日 ◆文旦フェス2024@東京 開催のお知らせ 3月9日・10日に当園の土佐文旦を使った和菓子が楽しめるコラボイベントが開かれます。詳しくはこちらをご覧ください! 更新日 24年1月24日 ◆温室文旦の栽培状況を更新いたしました。 こちらのページでは随時生育状況を更新しておりますのでぜひご覧ください。 令和6年能登半島地震により被災された皆様へ 令和6年1月1日に発生した能登半島地震により、犠牲となられた方々のご冥福を
昭和初期に発行された大阪の郷土研究誌「上方」の発行人で、町人学者として活躍した郷土史家、南木(なんき)芳太郎(1882〜1945年)の日記が発見され、大阪市史料調査会から発行された。同会は「『上方』は、江戸時代や戦前の大阪を知る貴重な資料。日記を通じ、郷土史研究に大きな足跡を残した人物を身近に感じてもらえれば」としている。 南木は大阪・ミナミ生まれ。道修町の薬問屋に勤めながら、歌舞伎や落語などの芸能関係を中心に、大阪について幅広い分野の資料を集めた。これらは「南木コレクション」として知られ、戦災を免れた一部は大阪城に保管されている。 南木は、大正末期から昭和初期の大阪で御堂筋が拡張されたり、地下鉄が建設されるなど近代化が進んだ一方、伝統や文化が失われていくことを憂い、昭和6年、郷土研究誌「上方」を創刊した。 今回、「南木芳太郎日記−大阪郷土研究の先覚者(パイオニア)−」と題して発行される日
ロンドンで9月に開かれた国際的な食品コンテスト「グレート・テイスト・アワード2009」で、鹿児島県枕崎市の製茶業茅野(かやの)薫さん(68)、ミヨ子さん(66)夫婦が手がけた紅茶「姫ふうき」が、最高の三つ星金賞に輝いた。 日本人として初めての受賞。紅茶に一家言ある英国人をもうならせ、“世界一”をつかんだ陰には、枕崎紅茶の復活にかける悲願が込められていた。 「姫ふうき」は、無農薬、有機栽培で育てた茶葉を手摘みして仕上げた。蜜のような甘い香りや渋み、酸味、甘味が調和した濃厚な味わいが魅力だ。 緑茶産地として知られる枕崎市は1960年代には国内有数の紅茶の産地でもあった。茅野さんは高校卒業後、県の茶業試験場で栽培法を学び、紅茶メーカーに就職。だが、71年の紅茶の輸入自由化を境に、国産の紅茶は安い海外産に押されるようになった。枕崎紅茶は廃れ、茅野さんも緑茶づくりへの転身を余儀なくされた。 約30年
これまで鹿児島経済を牽引してきた岩崎グループだが、最近の業績は芳しくない。2002年に社長となった岩崎芳太郎氏は、04年に900億円あったと言われる有利子負債圧縮のため、積極的なリストラ策(従業員削減、ホテル売却による観光事業からの撤退など)を打ち出した。 しかし一方で、事業拡大(奄美での木材チップ工場新設やサトウキビ栽培など)を推進するなど、あわただしい経営戦略をとっている。また、競合するライバル企業に対しては訴訟を起こすなど、何かと話題になるグループである。本稿では成り立ちと業績、そして現在の動向から、同グループの役目について考えてみたい。 【岩崎産業(株)】 所在地:鹿児島市山下町9-5岩崎ビル 設 立:1928年4月 資本金:2億3,644万円 年 商:(07/3単体)204億4,837万円 【いわさきコーポレーション(株)】 所在地:鹿児島市鴨池新町12-12 南海郵船ビル 設
ビールや酎ハイ、ソフトドリンクなど、氷水に漬けて冷やされた飲み物が飲み放題で、なおかつお弁当やおつまみなどもついてくる船に乗る機会があったので、行ってきました。 その船は何かというと、東京の神田祭・京都の祇園祭とともに日本三大祭の一つに数えられている大阪の「天神祭」において、約100隻の船が大阪市中心部を流れる大川を行き交うクライマックス、船渡御(ふなとぎょ)に参加する船の一つ。今回は花火が夜空を彩る中、それらの船の一隻に乗る機会があったので、水上から祭の様子を撮影してきた、という次第です。 実にお祭りという感じのする景色の写真は以下から。一般の人が乗ることができるのは企業や大学の奉拝(ほうはい)船。船により異なりますが価格は2~3万円程度で、1~2ヶ月前に申し込んで抽選が必要な場合が多いようです。今回は急きょ乗船できなくなった知人からチケットを譲られたので乗船することができました。 これ
創業以来60年を超える 呉の代表的な老舗名門店 (ラーメン) (麺) (お酢) <ひとくちメモ> 非動物系と称される清湯の正体はイリコ等魚介がメインで、 極めて透明度の高いスープは表層の油膜で十分なコクが補完されている。 鯛の骨を焼いたダシが入ると聞いたとおり、芳ばしい魚介の風味が強く引き立っている。 残念なのは強めに効た塩分だ。せっかくの繊細なダシが損なわれている気がした。 麺は表面ヌルリとした食感の純白な中太麺。 ややベチャつき感はあるものの、ゴツゴツした噛み応えが心地よい。 トッピングには味付けの弱いチャーシューが4枚と、太めのメンマが少々。 とちらも強く主張することなく、スープと同化している。 時代を越えて継承される芳醇な一杯だ。 #店側インフォのとおり、卓上のお酢を加えたところ塩分と共に旨味も消えてしまった 味の評価:S テーマ:ラーメン - ジャンル:グルメ
おなじみの丸くて表面カチカチのものとはずいぶん違う、呉の「メロンパン」。中にはみっしりとクリームが詰まっています。 一時期のブームは過ぎ去ったものの、まだまだ根強い人気をもつメロンパン。私の故郷、“旧海軍のまち”広島県の呉市では、昔から名物として「メロンパン」が親しまれてきた。 昭和11年の創業以来全く変わらぬ味で、私の祖父母の代から呉市民に愛され、今でも1日600個が売り切れてしまうほどの人気商品だ。 その呉の老舗パン屋「(有)メロンパン」の「メロンパン」を、先日帰省した際、ひさしぶりに味わってみた。 ただしこのパン、「メロンパン」といっても、ラグビーボール型で、一般的なメロンパンとはあまりにも違う外見。違いはそれだけでなく、手に持ったときのその重さ。ずっしりと重いのだ。 計ってみると、普通のメロンパンが100グラム前後なのに対し、このメロンパンはなんと246グラム。 それもそのはず、中
そうめんを天日で干す谷口明博さん、逸子さん夫妻=大阪府枚方市穂谷3丁目、三島写す 江戸時代から大阪府枚方市で続く「河内そうめん」の生産者が、残すところ1軒になった。農家の副業として始まり、機械をほとんど使わない昔ながらの製法を守ってきたが、後継者が育たなかった。「今年で最後かも、と毎年思う。支えは待っててくれるお客さんです」。谷口明博さん(72)と妻の逸子さん(63)は心を込めて白糸を紡ぐ。 青空が広がった早朝、そうめんを天日で乾かす「かど干し」が始まった。「風が弱いな」「扇風機いりそうか」――。庭に出た2人は乾き具合に気を配りながら声をかけ合い、2本のはしを巧みに使って手延べしていく。1晩寝かせためんが、みるみる2メートルほどに細長く伸びていく。 「一年で最も寒い1、2月に乾いた北西の風が吹くと、締まった最高の品ができます」。谷口さんは日焼けした顔をほころばせた。 河内そうめんは
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