タグ

2019年1月23日のブックマーク (2件)

  • 東大生やその母親が語る「合格体験記」の信頼性が高くない理由(畠山 勝太) @gendai_biz

    先日、「東大生やその母親が語る教育論、ハーバードの学生やその母親が語る教育論、ないしはエリート校や有名校の校長が語る教育論(以下、まとめて「東大合格体験記」とする)は、エビデンスに基づく教育と比べて、どれぐらい信頼できるのか」と尋ねられることがあった。 稿では、なぜ「東大合格体験記」の信頼性は高いと言えないのか? それにもかかわらず信頼性が高く聞こえてしまうのはなぜなのか? なぜエビデンスに基づく教育は信頼性が高いのか? エビデンスに基づく教育を行えば我が子の学力は向上するのか? について議論したい。 「東大合格体験記」の信頼性は高いと言えない 「東大合格体験記」の信頼性が高いと言えない理由は、義務教育の理科の知識があれば理解できる。 中学理科で習う「光合成対照実験」を覚えているだろうか(参照: https://www.zkai.co.jp/jr/mihon/VS1_support.pd

    東大生やその母親が語る「合格体験記」の信頼性が高くない理由(畠山 勝太) @gendai_biz
  • 母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note

    去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ

    母が毒親の一線をこえたあの日、子供時代が終わってしまった|瀧波 和賀|note