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昭和に関するtangkai-hatiのブックマーク (4)

  • 【アド街にも登場】リアル「三丁目の夕日」? 不動前で「昭和」を味わえるラーメン店

    「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と、俳人・中村草田男が詠んだのは、昭和6年の頃だったという。間に大正を挟んで、明治から20年以上を過ぎ、失われた時代への感慨を含めた句である。 現代をふりかえって見れば、今年で平成も既に27年。最後の昭和生まれ世代は壮年を迎えようとしており、平成生まれの会社員も珍しくはなくなった。 「昭和は遠くなりにけり」と詠っても違和感のない時代である。世界大戦、敗戦、占領、そして復興、バブル景気…昭和という激動の時代と共に生き、そして昭和の面影を残すラーメン店が、不動前に存在する。 『中華 こばやし』 は、今年で創業50年を迎える。この品川の下町で生まれ育った、店主の小林保男さんが、この地に店を構えた年、昭和40年という年はどういう年だったのだろうか。 時は高度経済成長まっただ中、「君といつまでも」「函館の女」が流行し、映画「網走番外地」が公開された。読売巨人軍V9

    【アド街にも登場】リアル「三丁目の夕日」? 不動前で「昭和」を味わえるラーメン店
  • 『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1

    どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした、2005年上映の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編で2007年上映の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観て、「いい時代だったんだな~」なんて思った方も多いんじゃないでしょうか。一方で、「『あの頃はよかった』は全部ウソ!」というキャッチコピーが付いた、2012年発行の「ALWAYS 地獄の三丁目 当は怖い昭和30年代」というが出版されていたりします。 実際にはどんな時代だったんでしょうか。残念ながら著者はそのころにはまだ存在していませんので、YouTubeで動画を探してみました。すると……、あったあったありました、結構アップされているもんですね。ということで、今回はニュース映像にみる、昭和30年代の日常をまとめてみました(それにしても、昔のニュース映像の音楽って、なんかオドロオドロシいですよね)。 ●死の覚悟が必要そうな通勤列車(

    『これ本当に日本?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1
  • 『生きていくの大変すぎ!』と驚愕する昭和30年代の日常まとめ2

    どうも、服部です。昭和30年代を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」や、その続編「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の頃は当に良い時代だったのか、当時のニュース映像で検証した前回記事「『これ当に日?』と驚く昭和30年代の日常まとめ1」の続きです。 前回記事では、鉄道事情・道路事情・タクシーやトラックの運転マナー事情を見て、交通事情に関していえば、昭和30年代は良い時代ではなかったかもしれないと結びました。 今回の記事では昭和30年代の住宅事情、治安、衛生面について書きたいと思います。 ●【住宅事情】引っ越したいけど引っ越せない、超格差な住宅事情(昭和31年) 「大都会を空から眺めますと、立て込んだ家の間にアパートの集団住宅が目立つようになりました」というナレーションでニュース映像は始まります。田んぼや畑が広がっていて、現代に生きる者には、ちょっと大都会には思えませんが……。 団

    『生きていくの大変すぎ!』と驚愕する昭和30年代の日常まとめ2
  • 半世紀残った“謎の高架橋” ひっそりと消える「幻の貨物新幹線」の残骸 大阪・摂津

    大阪府摂津市の東海道新幹線をまたぐ“謎の高架橋”をご存じだろうか。巨大なコンクリート製の構造物は、半世紀前に建設された「幻の貨物新幹線」の残骸だ。かつて東海道新幹線に高速貨物列車を走らせる計画があったことを示す貴重な「遺構」だが、JR東海は高架橋をすべて撤去する方針を固めた。実現していれば、物流の歴史が変わっていたかもしれない壮大な計画。その名残をとどめる遺構は、列車が通ることのないままひっそりと姿を消す。(大竹直樹)二重高架で貨物…地元「知らなかった」 「言われるまで気づかなかった。建設途中にも見えるが、長年あのまま放置されているよ。無駄だね」 新幹線の鳥飼車両基地(摂津市)に近い住宅街。近所の久保強志さん(74)が遺構を見上げた。貨物新幹線の遺構であることを示す記念碑などはなく、地元住民は誰も気にも留めてこなかったという。 JR東海によると、遺構は高さ約15メートルに位置するコンクリー

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