先月、私はインドに訪問致しました。 チベット仏教最大宗派「ゲルク派」トップから「金剛大阿闍梨(あじゃり)」の位を授与致しました。 この位は、仏教の最高ランクで、ゲルク派側からは、日本人で同位を授与された人は過去いないと言われ、空海(弘法大師)と同じステージらしいです。 特別選任されたので、平成の弘法大師として、世の中を良くしていきたいと思います。 近い将来、都内に「中松寺(ちゅうしょうじ)」を設立して、 私のテーマである創造や頭脳に御利益があるようなパワースポットにしたいです。
先月、私はインドに訪問致しました。 チベット仏教最大宗派「ゲルク派」トップから「金剛大阿闍梨(あじゃり)」の位を授与致しました。 この位は、仏教の最高ランクで、ゲルク派側からは、日本人で同位を授与された人は過去いないと言われ、空海(弘法大師)と同じステージらしいです。 特別選任されたので、平成の弘法大師として、世の中を良くしていきたいと思います。 近い将来、都内に「中松寺(ちゅうしょうじ)」を設立して、 私のテーマである創造や頭脳に御利益があるようなパワースポットにしたいです。
今からおよそ1200年前の弘仁7年(816年)、弘法大師の名で知られる空海が、真言密教修行の道場として開いた高野山。今も「お大師様」は御廟で生きておられる―。そんな言葉が抵抗なく語られる天空の宗教都市で、静かな時間の流れを感じてみた。 高野山 1/8 1:聖地の表玄関 夕日に照らされる大門の金剛力士像 高さ約25メートル、宝永2年(1705年)に再建された「大門」(だいもん)。高野山の表玄関に当たるこの門をくぐった瞬間に、人は俗世から、真言密教修行の道場へと足を踏み入れることになる―。 高野山までは、大阪のなんば駅から南海電鉄の特急列車とケーブルカーで約100分。途中、和歌山県へと入り、紀ノ川を渡った辺りから緑の山や峡谷が車窓いっぱいに広がるが、それでも「旅」と呼ぶにしてはあっという間だ。 空海が高野山を開いたころ、都からここまでは3日の道のりだったという。一方、特急電車から乗り換えたケー
空海が持ち帰った文献の目録を収めた図録。「三教不齋論」の記述がある(中央)=大津市で2010年1月22日、森園道子撮影 真言宗の開祖で知られる平安時代の弘法大師空海(774~835年)が中国・唐から持ち帰ったとされ、その後行方不明だった文献「三教不齋(さんごうふさい)論」の江戸時代末期の写本が、東京都立図書館所蔵の諸橋轍次(もろはし・てつじ)文庫にあるのを、藤井淳・高野山大学密教文化研究所委託研究員が確認した。空海が初期の著作「三教指帰(さんごうしいき)」で、仏教の重要性を説いた持論を裏付けたものとみられており、空海の研究に重要な発見となりそうだ。 空海は「三教指帰」を24歳の時に著し、儒教、道教、仏教を比較した中で仏教が最高とする主張を展開した。空海は804年に唐に渡り、806年に帰国。その際空海が持ち帰った膨大な文献などの目録で朝廷に提出した「請来目録」が残っており、「三教不齋論」もそ
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