哲人あるいは詩人と呼ばれ、あるときは孤高あるいは異端と形容され、生前から神話化されていた建築家、白井晟一(1905-1983)。戦後日本のモダニズムの潮流からスタンスを置き、初期の木造建築から黙示的な原爆堂プロジェクト、そして代表作の親和銀行本店から以後の展開に至るまで、象徴的で物語性に満ちた形態と光に特徴づけられる独自の建築を生み出しました。同時代の建築家とは明らかに異質で、かつ高度に完成された彼の作風は、一体どこから生まれたのでしょうかー多くの分析や批判が試みられましたが、謎は謎のまま残っています。20代後半ドイツに留学した白井は、1928年から33年のヨーロッパにあって独自の教養を身につけていきます。当時世界は全体主義への流れの中にあり、近代は輝かしいものではなくなっていました。ハイデルベルク大学のヤスパースの下やベルリン大学で白井が学んだドイツ哲学は、その近代を理解し対峙する手立て