系譜[編集] 父:武内宿禰[6] 母:葛城国造荒田彦女・葛比売[1] 妻:不明 男子:玉田宿禰[注釈 1] 男子:葦田宿禰 男子:戸田宿禰 - 的臣・布敷首・生田首等祖[7][8] 男子:腰裙宿禰[8] - 下神氏祖 男子:不明 6男:熊道宿禰 - 忍海原連・朝野宿禰等祖[9] 女子:磐之媛 - 仁徳天皇皇后、履中天皇・反正天皇・允恭天皇母 なお武内宿禰の系譜に関しては、武内宿禰が後世(7世紀後半頃か)に創出された人物と見られることや、稲荷山古墳出土鉄剣によれば人物称号は「ヒコ → スクネ → ワケ」と変遷するべきで襲津彦の位置が不自然であることから、原系譜では襲津彦が武内宿禰の位置にあったとする説がある[5]。 伝承[編集] 高知県安芸郡奈半利町の多気・坂本神社では、坂本臣氏の祖として襲津彦が祀られている[10]。ただし、『日本書紀』などでは坂本臣氏の祖は紀角の子孫の根使主であるとされて