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ブックマーク / www.udiscovermusic.jp (9)

  • インディ・ミュージックの歴史:アウトサイダーによるはみ出し者のための音楽

    ゴスと同様に、インディ・ミュージックはポップ・ミュージックの中でもきわめて捉えどころのないジャンルだ。通常は、「メジャー」に対しての「インディー」という枠内で活動する数多のバンドが「インディー・ロック」または「インディー・ポップ」と括られるが、現実においては、その言葉の定義するところはもっと広い。そもそも、インディ・ミュージックという概念は、「インディペンデント(独立した)」という言葉から生まれたということを忘れてはならない。ここでいう「インディペンデント」とは、パンク・ミュージックのDIY(自分自身でやる)精神に触発された、低予算で運営される小規模なレコード・レーベルを意味する。そこから、商業的なロックの世界を拒否した独立独行のアウトサイダーによるはみ出し者のための音楽がリリースされるのだ。 インディ・ミュージックの夜明け インディ・ミュージックは、1977年の4月にリリースされたバズコ

    インディ・ミュージックの歴史:アウトサイダーによるはみ出し者のための音楽
  • 今こそ考えたい「史上唯一、グラミー受賞を取り消されたアーティスト」ミリ・ヴァニリのこと

    ヒップホップやR&Bなどを専門に扱う雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー』改めウェブサイト『bmr』を経て、現在は音楽映画・ドラマ評論/編集/トークイベント(最新情報はこちら)など幅広く活躍されている丸屋九兵衛さんの連載コラム「丸屋九兵衛は常に借りを返す」の第21回。 今回は1990年にアメリカ音楽業界を震撼させたミリ・ヴァニリ(Milli Vanilli)による大事件とその後について。*コラムの過去回はこちら。 <関連記事> ・第64回(2022年)グラミー賞全ノミネーション ・2019年最大の新人ビリー・アイリッシュが大成功をおさめた現代的な8つの理由 ・史上最高のグラミー・パフォーマンス18選【動画付き】 ・「史上唯一、グラミー受賞を取り消されたアーティスト」ミリ・ヴァニリ その事件が起こった1990年11月から「ちょうど30年」という時期を逸し、タイミングに悩んでいたわたしのと

  • 「史上最高のロック・アルバム」ランキング・べスト100【動画付】

    何百時間も頭を悩ませ、数え切れないほどレコードを聴いてついに完成した、これまでで最も野心的で、 (願わくは) みなさんを最もわくわくさせてくれる ―― そんなリストをご覧に入れよう。史上最高のロック・アルバムのランキング・べスト100である。 はじめにその選定にあたって定めたルールを説明しておこう。まずリストにおいて、できる限りロックの歴史を網羅するが、一方でそれぞれのアルバムがリリースから数年経ってもまったく色あせていないことを条件とした。また”ロック”の定義をかなり限定的に解釈し、主にギターを中心とした音楽としている。しかしながら、それがあまりにも重要なアルバムであった場合には、少数だが例外としたセレクトしたアルバムもある。 要するに、基的にはブルース、カントリーやR&Bは (それらがロックに与えた影響の重要性は認めつつも) このリストに含まれていない (厳密にはR&Bに分類されるよ

    「史上最高のロック・アルバム」ランキング・べスト100【動画付】
  • ルーツ・ミュージック:ボブ・マーリーの家系図

    1971年、ボブ・マーリーは「Small Axe」という曲を録音した。これは、彼が思うところのジャマイカ音楽界の‘ビッグ・ツリー’(スリー)、すなわち大物プロデューサー3人を攻撃する曲だった。「大きな木(ツリー)を小さな斧(アックス)で切り倒してやる」 ―― ボブ・マーリーの言葉遊びのおかげで、この曲はそんな印象に仕上がっていた。 彼の挑戦は成功した ―― 誰もがそう言うだろう。70年代半ばには、ボブ・マーリーは第三世界最大の音楽スターとなっていた。彼はジャマイカ文化を世界に伝える代表者として活躍し、レゲエという音楽を世界に知らしめたが、1981年にボブ・マーリーは36歳という若さで亡くなってしまった。彼亡きあと、誰がレゲエの代表者として頭角を現すのか ―― 先行きは不透明だった。それからしばらく時間はかかったが、結局のところそんな心配は無用だった。なぜならボブ・マーリーはそうした点につい

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  • ベリー・ゴーディ:モータウンを創設し、黒人向けの音楽を全米に届けた先駆者

    800ドルを借りてスタートした会社は、20世紀の音楽を形作った。それはもちろん、1959年1月12日にベリー・ゴーディ・ジュニアが設立したモータウン・レコードのことである。彼自身は1929年11月28日にデトロイトで生を受けた。この街デトロイトの名前は、やがてゴーディ自身の偉業によってソウルの代名詞と見做されることになる。 <関連記事> ・モータウンのグループ達:デトロイト発、一大レーベル創世記 ・デトロイトからカリフォルニアへ:70年代以降のモータウンとアーティスト達 ベリー・ゴーディは1950年代後半に活躍した黒人ミュージシャン、ジャッキー・ウィルソンに「Reet Petite」や「Lonely Teardrops」といった自作の楽曲を提供、その作曲家としての成功を土台に、自身の帝国を築き上げていった。当時、自動車産業が盛んだったデトロイトは、戦後のアメリカの好景気の恩恵に十分に浴びて

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    taskapremium
    taskapremium 2020/11/16
    #utamaru
  • ジャズ・ピアニスト、マッコイ・タイナーが81歳で逝去。その半生を辿る

    Photo: Tyner and Coltrane, courtesy of Joe Alper Photo Collection/UMe ジャズ史上最も影響力のあるピアニストの1人であり、ジョン・コルトレーンの1960年代の画期的なカルテットのキー・プレーヤーであったマッコイ・タイナー(McCoy Tyner)が、2020年3月6日に81歳で亡くなった。彼の親族がソーシャルメディアにて下記のコメントとともに彼の死を伝えた。公式な死因は報じられていない。 「ジャズの伝説であるアルフレッド・マッコイ・タイナーが亡くなったことをお知らせするのは、とても心が痛いです。彼は、芸術、家族、精神性に人生を捧げ、そこからインスピレーションを受けたミュージシャンでした。マッコイ・タイナーの音楽と遺産は、これまでファン、そして未来の才能を刺激し続けることでしょう」 彼が所属していたレーベル、ブルー・ノート・

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  • エドマール・カスタネーダ:ハープという楽器の概念を覆す超絶的プレイ!上原ひろみを驚愕させた、ハープ奏者とは?

    ハープという楽器から、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか。華麗、繊細、上品、優雅・・・・リズミカルというよりもメロディアスなプレイが似合い、ビートの利いた曲よりもソフトなバラードで聴き手を夢心地にさせる、ちょっと“高嶺の花”的な楽器。奏者はドレスアップして椅子に座り、指を軽やかに弦の上へと走らせてゆく。 その概念に刺激を与える男が今、熱い注目を集めている。彼の名前はエドマール・カスタネ―ダ、1978年コロンビアのボゴタに生まれた気鋭だ。13歳からハープを始め、南米の伝統音楽“ムシカ・ジャネーラ”を学んだ後、1994年ニューヨークに移住。父親の仕事の都合による渡米だったそうだが、この大都会で彼はジャズという音楽を“発見”する。なかでも伝説的サックス奏者のチャーリー・パーカー、現在も幅広い活動を続けるピアノ奏者チック・コリアのプレイには深い感銘を受けたという。そして高校や大学のジャズ

    エドマール・カスタネーダ:ハープという楽器の概念を覆す超絶的プレイ!上原ひろみを驚愕させた、ハープ奏者とは?
  • “ヘヴィメタル編み物世界選手権”で「うしろシティ」の金子学率いる「GIGA BODY METAL」が初代世界王者に決定

    Source : Heavy Metal Knitting Facebook / Pictures by Markkinointitoimisto Tovari 2019年7月11日にフィンランドの都市ヨエンスーで初めて開催された“ヘヴィメタル編み物世界選手権”(Heavy Metal Knitting World Championships)にて日のお笑い芸人「うしろシティ」の金子学氏が率い、TBSラジオで放送中の冠番組「うしろシティ星のギガボディ」内で出演を決めた「GIGA BODY METAL」が優勝を果たした。 *大会の概要や主催者のコメントなどはこちら 決勝戦には、ラトビア、スウェーデン、イギリス、ロシア、デンマーク、アメリカ、そして日など世界中から集まった全12組が争った。競技としてはそれぞれのニッター(編み物をする者)がバンドの演奏によるヘヴィなリフが鳴り響く中で、最高の

    “ヘヴィメタル編み物世界選手権”で「うしろシティ」の金子学率いる「GIGA BODY METAL」が初代世界王者に決定
  • D姐の洋楽コラム:第3回 プリンス回顧録、最初の妻、マイテ・ガルシアの書籍について

    アクセス総数5億ページ超の大人気サイト「ABC振興会」を運営しながら、多数のメディアで音楽やセレブに関する執筆やインタビューなどをこなす米国ハリウッド在住の「D姐」さんの連載コラム「D姐の洋楽コラム」第3回です。コラムの過去回はこちら。 第3回 プリンス回顧録、最初の、マイテ・ガルシアの書籍について 今年4月中旬ロサンゼルスの地元局のモーニング・ワイドショーに、どこかで見たことがあるような、ないような、綺麗な女性が出演していた。ジェニファー・ロペスをちょっと若くして、あのギラギラを完全に差し引いて、ハリウッドのホールフーズでグリーンスムージーを買い、ビバリーヒルズのバーニーズの売り場でリアルによくいるようなナチュラルなセレブ感を醸し出している。テレビでインタビューされているのだから“有名人”には間違いなかったが、一瞬誰だかわからなかったというか、そもそもタレントなのかわからなかった。が

    D姐の洋楽コラム:第3回 プリンス回顧録、最初の妻、マイテ・ガルシアの書籍について
    taskapremium
    taskapremium 2019/04/22
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