コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス(左)が、独立教会のトモスを、エピファニウス氏に手渡す。儀典上、キエフ(キーウ)総主教が独立した瞬間である。2019年1月6日。 「ロシアがウクライナで行っている戦争は、宗教的なものでもあります」。 歴史家のアントワーヌ・アルジャコフスキー氏は分析する。 2018年12月、キリスト教の正教会に、大激震となる出来事が起きた。 ウクライナの首都キエフ(キーウ)で開催された協議会によって、ウクライナ正教会の独立が決まったのである。 それまでウクライナ正教会は、ロシア正教会に属していた。330年以上も。それを、正教会の中で最も象徴的な権威をもつコンスタンティノープル正教会が、独立を認めたのだった。 ウクライナの信者をモスクワ総主教の直接の監督下に置くという勅令がくだされたのは、1686年のことだ。それを「撤回」したのだった。 既に2カ月前の10月、承認が
ボルガ沿岸の要衝 ロシアでは、それぞれの街が誕生した日が正式に決まっていて、地元ではその誕生日を、かなり盛大にお祝いします。今回取り上げるカザンの場合は8月30日が街の誕生日ですので、つい先日それがお祝いされたところです。 さて、そのカザン(よりロシア語らしく読めばカザーニ)は、タタルスタン共和国の首都。タタルスタン共和国は、ロシア内陸部のボルガ川沿いにある重要地域です。もちろん、「共和国」と言っても、独立国ではなく、あくまでもロシア連邦を構成する一つの地域にすぎません。 ロシアには少数民族の共和国が20あまり設けられていますが、人口が最も大きいのが390万人のタタルスタンです。石油化学、機械などを中心に、強力な経済力を誇っています。ソ連崩壊直後には、この共和国にもロシアからの独立志向があり、連邦政府はかなり神経を尖らせていましたが、今日ではすっかり連邦に忠実な優等生地域になりました。 タ
遠征の対象となった非キリスト教の人々は、様々な時代のものを含めると以下の通りである。 リューゲン島・ポンメルン・メクレンブルクのヴェンド人およびリューゲン人(1147年にデンマーク、後にザクセン公国、ポーランド王国によって征服) 現在のフィンランド人 1154年に(議論もある)フィンランド南西部(Finland Proper)がスウェーデンによってキリスト教化(西方教会)された(1155年または1157年とも)。1249年頃にハメ、1293年にカレリアがスウェーデンの傘下に入った。後者の地域の人々は東方教会のノヴゴロド公国が奉じる正教会の傘下に入っていたが、カトリック教会を奉じるスウェーデンからの干渉と弾圧を受けた。3分の2の正教徒が東方に亡命したが、3分の1はなおカレリアにとどまり、抑圧にもかかわらず正教の信仰を守る者も居た。現在のフィンランドは、カレリアを除いて構成されているが、フィン
こんにちは、モデル・定住旅行家のERIKOです。2019年2カ国目の定住旅行が始まりました!今回の定住先は、ロシア連邦国内にある「カルムイク共和国」です。ロシアは22の連邦国によって形成されている巨大な国ですが、カルムイク共和国はその中の一つです。 カルムイク共和国ってどこにある? ロシアの地図を見ても、一体どこにどの共和国があるのかわかりませんね。 カルムイク共和国は、上の地図でいうと8番に位置している国です。 カスピ海の北西に位置し、ダゲスタン共和国やチェチェン共和国と国境を接しています。 面積は北海道よりやや小さめで、カスピ海側は砂漠、内陸側は湿地が広がっています。人口は約30万人、どこに行っても子どもだらけなのが特徴です。 日本からどうやっていくの? 日本からはモスクワ経由で、アズィムット航空という航空会社を利用して、首都のエリスタまで飛びました。飛行機は毎日運行しているわけではな
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "モロカン派" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2009年10月) おそらくモロカン派であると思われるロシア人入植者。アゼルバイジャン、ムガン・ステップ。Sergei Mikhailovich Prokudin-Gorskiiにより1905年から1915年の間に撮影。 アルメニア、フィオレトヴォのモロカン派の村人 モロカン派の長老 モロカン派(1870年代) モロカン派(ロシア語: Молока́не、英語:The Molokans)とは、1550年代にロシア正教会から生まれたロシア農奴の運動である。モロカン派は王権神授説を否
皆様、こんにちは。 今回からはヨーロッパの旅行記となります。 7月16日、約5カ月半いた中南米の旅に終止符を打ち、ブラジルのサンパウロから長時間のフライトの末、ヨーロッパ最初の国となるポーランドに降り立ちました。この記事では、その後移動したウクライナ滞在の様子についてお伝えします。 ウクライナには、7月26日から8月5日までの11日間滞在しました。ウクライナという国について、皆様はどのようなイメージをもたれているでしょうか。私にとってウクライナは、「美女が多いらしい」というイメージ以外、ほとんど知らない未知の国でした。 ウクライナの歴史を辿ると、ソ連崩壊に伴い1991年に国家として独立するまで、近隣の強国に常に脅かされ、その支配を長く受けてきました。故に、ウクライナという国の大きな特徴として、その言語、文化、宗教などあらゆる面において、様々な地域の要素が混じり合っているということが挙げられ
ポロシェンコ大統領は、キリル・ロシア正教総主教は独立ウクライナ正教創設に関して拒否権はない、と述べた。 大統領は、「理想的なシナリオは、ロシア正教を含む全正教会が、ヴァルソロメオス総主教とともに、我々の独立性を確認することである。これが、ウクライナ領土上でロシア軍人、ロシアの扇動家や、ロシアの司祭による罪を浄化する唯一の策である」と述べた。また、独立ウクライナ正教に関するトモス発布について、「キリル総主教を含む如何なる人も、コンスタンチノーポリ総主教の決定に拒否権を有していない。コンスタンチノーポリ総主教はキリル総主教に許可を得たりしない」と述べた。 また、独立ウクライナ正教はウクライナ国家の主要素であり、ウクライナ人の精神を守護している、ウクライナ国家は教会事情に干渉することはない、と述べた。 -------- ポロシェンコ大統領は自信満々ですが、コンスタンチノーポリ総主教のトモスは本当
ワシーリー・スリコフ画「貴族夫人モローゾヴァ」。彼女の掲げる2本指で十字を画く姿勢は古儀式派の主要な特徴であり、ニーコン総主教がギリシャに合わせる形で導入した3本指のそれとは明確に異なる。 ロシア正教会における古儀式派(露: старообрядчество)とは、旧儀派・旧教徒・旧儀式派・スタロヴェールとも呼ばれ、ニーコン総主教による奉神礼改革を嫌って1666年以降にニーコン総主教の率いる主流派から分離した諸教派の総称である。有効な聖職位階の存在を認める司祭派(容僧派)及びそれを否定する無司祭派(無僧派)に大別される。 古儀式派は現在もロシア正教会の奉神礼改革以前の古い祈祷様式を保持する。 分離派教徒(ラスコーリニキ、раскольники、Raskolnik)という呼称は、主流派教会側が使う蔑称であり中立的な立場の者は使用しない。また、近年では主流派教会との関係改善に伴い、主流派教会に
ロシア正教古儀式派教会のモスクワと全ロシアの府主教コルニーリイ ロシア正教古儀式派教会(Русская православная старообрядческая церковь)は、正教古儀式派の教派の一つで、司祭派(容僧派)に分類される。しばしばベロクリニツキー派、オーストリア派とも呼ばれる。 歴史[編集] Modern Russian Orthodox Old-Rite Church Chapel. Davidovo cemetery (Guslitsa), Moscow region Te Deum. Russian Orthodox Old-Rite Church. Elizarovo (Guslitsa), Moscow region, 2008年5月 脚注[編集] 主要参考文献[編集] 中村喜和『聖なるロシアを求めて――旧教徒のユートピア伝説』平凡社, 1990年/平凡社ライ
関連項目[編集] 容僧派 古正教全地信仰と古沿海派非婚派のクリスチャン 古正教沿海派教会 古儀式派 スパソフツィ 主要参考文献[編集] 阪本秀昭, 伊賀上菜穂『旧「満州」ロシア人村の人々―ロマノフカ村の古儀式派教徒』東洋書店,2007年,ISBN 978-4885956751 阪本秀昭「ハバロフスク地方タヴリンカ村の古儀式派住民の生活と信仰」『セーヴェル』(25), 78-90, ハルビン・ウラジオストクを語る会,2009年 清水恵『函館・ロシア その交流の軌跡』函館日ロ交流史研究会, 2005年 塚田力「古儀式派の復活 グローバルなネットワーク」『ロシア文化の方舟―ソ連崩壊から二〇年 』東洋書店, 2011年, ISBN 978-4864590082 中村喜和「銭亀沢にユートピアを求めたロシア人たち -旧教徒たちの夢の跡をたずねて」『地域誌研究はこだて』第 17 号 N.M.ニコリスキー
ロシアと欧米の間で、昨年11月からの反政府デモや大統領の解任、クリミア自治共和国などの帰属をめぐって国際的な緊張が続くウクライナ。日本で遠い母国を思うウクライナ人たちの中には、東京に集う正教会で平和を祈っているクリスチャンたちがいる。 日曜日の3月16日午後12時半、在日ウクライナ正教会の司祭であるポール・コロルク神父は、静寂の中で胸で十字を切り、振り香炉で乳香を焚いて、痛悔・聖体礼儀前の祈りを始めた。 コロルク神父から手渡された1月12日付の米紙ウクライ二アン・ウイークリーには、「東京で創立された聖ユダ・ウクライナ正教ミッション」という見出しでこの教会が紹介されている。 この正教会の聖体礼儀は、原則として2週間に1度、東京タワーの近くにある日本聖公会聖オルバン教会(東京・芝公園)で行われている。同教会の入り口に置かれた椅子の上には、「東方正教会(ウクライナ正教会)聖体礼儀:午後1時より
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