政府は福島第一原子力発電所の建屋から汚染水が海に流れだすのを防ぐ「氷の壁」の建設工事を断念し、別の方法を探り始めたことが8月13日、わかった。19日に開かれる原子力規制委員会の検討会で、建設を継続するかどうか判断する。 タービン建屋の配管やケーブルなどが通るトレンチ内には、事故直後に流出した高濃度汚染水、約1万1000トンが溜まったままとなっている。この汚染水が海に流れだすのを防ぐため、東京電力は2、3号機タービン建屋とトレンチの接続部分に氷の壁をつくり、汚染水を抜き取る工事を進めていた。
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新発見の手記が伝える原爆の被害 8月11日 17時40分 昭和20年8月9日に長崎に原子爆弾が投下されてから69年。 原爆の被害の甚大さを今に伝える建物が長崎市に残されています。 爆心地から西に500メートルに位置する旧城山国民学校の校舎です。 奇跡的に助かった教頭が被爆直後の学校の様子を書き残した手記が、新たに見つかりました。 手記は私たちに何を語りかけるのか、長崎放送局の山元康司記者が取材しました。 すべて無くなった場所に残った校舎 長崎市の住宅が立ち並ぶ地域の一角に城山小学校があります。 戦前は「城山国民学校」と呼ばれ、鉄筋コンクリートの校舎の中でおよそ2000人の小学生が学んでいました。 昭和20年夏、子どもたちは戦況の悪化で自宅待機を命じられていました。 昭和20年8月9日、子どものいなくなった学校には、先生たちと事務所を構えていた三菱兵器製作所に動員された若い女性た
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