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musicとclassicalに関するtermin2のブックマーク (170)

  • 後の祭

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  • 伊福部昭

    伊福部 昭(1914-2006) 伊福部が交響曲(シンフォニア)と名付けた音楽は2曲あって、1941年のピアノと管絃楽のための協奏風交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)と1954年79年改訂のシンフォニア・タプカーラ(タプカーラ交響曲)である。 伊福部の音楽の中で、これはきわめて少ないといえる。 少ないが、たいへん重要な音楽でもある。特に、コンチェルタンテは生い立ちと経緯が、その後の作品にとても大きな影響を与えているのだろう。 ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲(1941) 伊福部の、事実上5作目の作品。日狂詩曲においてチェレプニン賞を受賞し、その大管絃楽と大打楽器アンサンブルの狂乱の後、その反動で室内楽的編成(14人1管編成)によるフランス作曲家の組曲のようなエスプリの効いた土俗的三連画。その前に、後に日組曲として管絃楽に編曲されるピアノ組曲があり、未録音のもので交響舞曲「越天楽

  • 黛敏郎

    黛 敏郎(1929-1997) 武満のあとを追うように逝ってしまった黛。同じ日の戦後20世紀を代表する作家とはいえ、作風はまるで異なる。例えば同じジャズに惹かれていても、繊細なハーモニーを愛した武満、豪快なスイングリズムを愛した黛、というように。 黛は誰がどうみてもウヨクだった。それも三島由紀夫に通じる文化的最右翼人だった。愛国者というよりかは、私は極端な民族主義者に思える。 しかし思想と音楽は一致しているようで、あまり一致していない。ショスタコーヴィチら旧ソ連の作家よりむしろ、ノーノあたりの純左翼の音楽を聴いてみても、音楽からこの人が左翼だと分かる人は、私に云わせれば超能力者だ。人がいかに音楽に思想を込めようとも、テキストでもろにそれを示せば陳腐になり、かといって音符のみから思想を読み取るのは至難の業だろう。 だから、黛は右翼だから嫌いという人でも、音楽は素直に聴いてみてほしい。この

  • 芥川也寸志

  • YouTube - 芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽 第2楽章/Akutagawa Musica per Orchestra..2Mov.

    交響管弦楽のための音楽(1950) 第2楽章 - Musica per Orchestra Sinfonica 2Mov. Composer / 芥川也寸志(1925-1989) - Yasushi Akutagawa Conductor / 芥川也寸志 - Yasushi Akutagawa 新交響楽団 - The New Symphony orchestra

  • レ-サ-K烈伝

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    termin2
    termin2 2010/10/27
    リトミカまとめ
  • 関西フィル/リトミカ・オスティナータ - 音盤皇女の劇伴日記

  • 芦屋交響楽団/『シンフォニア・タプカーラ』 - 音盤皇女の劇伴日記

  • 伊福部昭 「ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ」

  • Akira Ifukube CD Index

  • あさりのしこう

    termin2
    termin2 2010/10/27
    >聞かずに死ねるか!日本の音楽
  • 松平頼則 - Wikipedia

    松平 頼則(まつだいら よりつね、1907年5月5日 - 2001年10月25日)は、日の作曲家、ピアニスト。 略歴[編集] 子爵松平頼孝の長男として東京市小石川区久堅町(現・東京都文京区小石川)に生まれる。母の治子は公爵徳大寺実則の四女。大叔父に内閣総理大臣西園寺公望がいる。 学習院初等科から暁星中学校に進む[1]。16歳のとき生家が没落し、久堅町の邸宅を手放すことを余儀なくされ、父と別居した母に伴われ、妹とともに青山に仮寓[1]。一高入試に失敗して2年間の浪人ののち、慶應義塾大学文学部仏文科に進む[1]。国立音楽学校に転学したが1年ほどで慶應義塾大学に戻り[2]、叔母の学資援助により、大学時代からピアノをチャーレス・ラウトロプに、和声学と対位法と楽式論をハインリヒ・ヴェルクマイスターに、作曲を小松耕輔に師事。慶應義塾大学在学中、1930年1月に結婚[2]、1931年3月に長男の頼暁が

    松平頼則 - Wikipedia
  • 近現代音楽の作曲家一覧 - Wikipedia

    近現代音楽の作曲家一覧 (きんげんだいおんがくのさっきょくかいちらん)は、生誕がおおよそ1880年以降であるクラシック音楽の作曲家の一覧で、生年の順、生年が同じなら没年の順である。 他の時期のクラシック音楽の作曲家についてはクラシック音楽の作曲家一覧を参照のこと。また、日のクラシック音楽の作曲家一覧、en:Contemporary classical music も併せて参照するとよい。

  • 吉松隆 - Wikipedia

    吉松 隆(よしまつ たかし、1953年3月18日 - )[1]は、日の作曲家。東京都渋谷区生まれ。 人物・経歴[編集] 幕末維新期の国学者・大国隆正の子孫として東京代々木に生まれ育つ。曾祖父・吉松駒造は東宮(のちの昭和天皇)の侍医。幼少時は犬を飼っており、散歩中に発見したがらくたを組み立てることを日課としていたという[2]。 渋谷区立幡代小学校、渋谷区立代々木中学校を経て、慶應義塾高等学校に入学[3]。当初は医学部進学を目指していたが、徐々に作曲に没頭するようになり、やがて交響曲作家に志望を変更。「これからは音楽をやるにもコンピュータは必要だろう」との考えから、慶應義塾大学工学部に進学[4]。大学在学中、松村禎三に弟子入りする。作風において影響は全く受けなかったというが、1974年のピアノ独奏曲「シリウスの伴星によせる」(作品番号1)には、松村を含む現代音楽の影響が濃厚である。和声と対位

  • 原田力男 - Wikipedia

    山口県防府市に生まれ、1943年、義父を結核で失う。 1957年に山口県立防府高等学校を卒業し、浜松市の日楽器KK(ヤマハ)社工場で徒弟制度の下、ピアノ調律の修業を開始。 1959年にヤマハ調律師養成システム(委嘱制度)を終え、防府市の実家に帰り、同市内の玉重楽器店に勤務。 1961年8月に同店を辞職して上京。 1962年、法政大学夜間部に入学。ヤマハピアノ杉並サービスセンターに勤務しつつ同大学に3年余り通学するも、ピアノ調律師としての業が多忙となり中退。 1968年10月、独立して「原田ピアノ調律工房」を設立。以後、フリーのピアノ調律師として武満徹など多数の作曲家と関わりを持った。 1975年上記の人脈などを通じて、8月から約10年間にわたり、私財を投じて「プライヴェート・コンサート」と題する演奏会を主催し、楽閥に属さない若い作曲家の育成に貢献した。このコンサートから巣立った作曲家

  • 音響合成マシンとしてのオーケストラ - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    クラシック音楽の醍醐味の一つにオーケストラのサウンドがある。それは、人間の喜怒哀楽から自然の描写さらには人生や世界まで、すべてを「音響」で描ききる最強の楽器《オーケストラ》が生み出す音響の宇宙である。 この《オーケストラ》、シンセサイザーやコンピュータのなかった時代における「究極の音響合成マシン」と言える。 なにしろ、楽器群(オシレーター:発信回路)があり、その音響を合成(シンセサイズ)するホールがあり、制御する指揮者(シークエンサー)がいる。 そして、それらは作曲家(プログラマー)が記述する「五線譜」という言語で書かれたプログラム(スコア:総譜)によって駆動する。 まさに、生体による音響合成システムそのものなのである。 というわけで今回は、オーケストラという《音響合成マシン》の仕組みと、サウンド合成のノウハウについて探ってみよう。 * ■音源の種類 オーケストラは、4つのオシレーター(発

    音響合成マシンとしてのオーケストラ - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 映画音楽の作り方 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    最近、「ヴィヨンの〜桜桃とタンポポ」という映画音楽を担当した。 太宰治の生誕100年記念として企画された映画で、原作は小説「ヴィヨンの」。監督:根岸吉太郎、脚:田中陽造。主演は、松たか子、浅野忠信。公開に先立ってモントリオール国際映画祭で最優秀監督賞を受賞し、この10月に全国ロードショー公開された。 そこでこの機会に、映画音楽について体験談も交えてお話しておこう。 * ◆映画音楽とは? 「映画音楽」というジャンルが登場したのは、1920年代にトーキー映画が普及してからだから、結構新しい。 当然ながら主立ったクラシックの作曲家は関与しておらず、「映画音楽」というジャンルに音楽を提供したのは、オネゲルやミヨー、プロコフィエフやショスタコーヴィチあたり以降の現代作曲家ということになる。 ただし、〈作曲家〉(および脚家)が中心になって作られていた「オペラ」に比べ、「映画」を統括するのは(

    映画音楽の作り方 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 生の音楽・煮た音楽 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    音楽を聴くのに「生(ライヴ)」が良いか「録音(CD)」が良いか、というのは良く知られた「究極の二択」だ。 まず正攻法なのが、こんな主張。 音楽来の形は「生演奏」であって、レコードに録音されスピーカーから流れてくるものは、音楽を「記録(Record)」したものに過ぎず、生で聴けない場合の代用品に過ぎない。 私の師あるいは父の世代はこれが文字通り正論だった。 例えて言えば、レコードは恋人の「写真」や「肖像画」のようなもの。物がいない時の代用品あるいはいつでも思い出せるアイテムとしては有効だが、「物の恋人」と比べるべくもない。 なるほど。そう言われてしまうと、議論はここでおしまいである。代用品が物にかなうわけがない。 しかし、私はどちらかと言うと「代用品派」である。 なにしろ「生の物」(コンサート)より「代用品」(レコードやラジオ)の方で音楽を吸収して育ったのだから。 そもそも極東の

    生の音楽・煮た音楽 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • BBCフィルとの8年間 - 月刊クラシック音楽探偵事務所

    イギリス・マンチェスターの市街にあるBBC放送局。入口を入って迷路のような通路を抜け、一番奥の大きなスタジオ7に行くと、いつもBBCフィルの面々が指揮の藤岡幸夫氏と共に私の新しい曲のスコアを待っている。 そこでの8年間は、とにかく不思議な体験だった。 作曲家、特にオーケストラとか交響曲とかの類いを書く作曲家は、いつだって「もしかしたら(自分の曲を)生きているうちには聴けないかも知れない」という恐怖と戦いながら作曲を続けている。 なにしろオーケストラという(時には100人近い)大所帯を結集させて鳴らすのだから、至高の音楽表現がそこにある反面、尋常でない手間と経済的負担が必要になる。モーツァルト、ベートーヴェンの時代から現代まで、オーケストラ(最終的にはオペラ)作品を鳴らせるようになる、というのが作曲家として最大の(そして、時には見果てぬ)夢だったと言っていい。 私も、二十代から三十代にかけて

    BBCフィルとの8年間 - 月刊クラシック音楽探偵事務所
  • 水戸室内管弦楽団 - Wikipedia

    水戸室内管弦楽団(みとしつないかんげんがくだん、英: Mito Chamber Orchestra: MCO)は、茨城県水戸市にある水戸芸術館専属の日の室内オーケストラである。ソリストとしても活動を行うような日を代表する奏者に加え、外国人を含めた一線級の音楽家が構成員となっている。 1990年、水戸芸術館の専属楽団として、初代館長吉田秀和の提唱により、開館と同時に設立された。水戸芸術館コンサートホールATMで、年4回程度の定期演奏会を行っている。演奏会では、「指揮者を置かないアンサンブル」そして「指揮者に率いられたアンサンブル」の「2つの顔」から構成されている。 2024年5月現在、定期演奏会は113回を数える。定期演奏会は通常同一曲目で2~3日間行われる他、国内ツアーや海外ツアーを行っている。 また、2011年3月11日に発生した東日大震災を受けて、復興支援の名目で、2011年7月