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ブックマーク / eboli.exblog.jp (9)

  • 値踏みする目線 : 漂流生活的看護記録

    考えるところあって、去年あたりからまた改めて看護学を勉強しなおすことになった。(それでこちらの方でまとまった文章をあまり書けなくなっていたのだが)その中で...考えるところあって、去年あたりからまた改めて看護学を勉強しなおすことになった。(それでこちらの方でまとまった文章をあまり書けなくなっていたのだが)その中で死生学を取ることになり、レポート作成のため必要になって今読んでいる資料に「ラモン・サンペドロの遺書(スペイン語)」というものがある。これは2004年のスペイン映画「Mar adentro」(邦題「海を飛ぶ夢」として日では2005年に公開)のモデルになった、スペインで最初に尊厳死を求めて訴えを起こした人物の遺言である。ラモンは25歳のとき海の事故で頸椎を損傷し、首から下が麻痺した状態で「29年4ヶ月と数日間」(遺書より)を生きた。わたしはその遺書を読みながら、あの話に似てるなあ、と

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    tetzl 2012/09/17
    「尊厳」について。反対側にどんな分銅を持ってくるか、またはそもそも天秤にかけること自体について。リソースについて。まだ語り得る何も持ってないけれど「躊躇い」の無い人にはなりたくないと思う。
  • 「正しい」被害者 : 漂流生活的看護記録

    3年前の年の暮れ、ボリビアから帰国する前にしばらくのんびりしようとペルーのリマに立ち寄っていた。ある夜、現地で知り合ったアメリカ人男性とリマ旧市街のカフェ...3年前の年の暮れ、ボリビアから帰国する前にしばらくのんびりしようとペルーのリマに立ち寄っていた。ある夜、現地で知り合ったアメリカ人男性とリマ旧市街のカフェで飲んでいたら、店先の通りでペルー人男性二人が白人女性を無理やりタクシーに押し込もうとしているのを見かけた。その女性はテラス席で飲んでいたわたし達を見ると「助けて!」と英語で助けを求めて走り寄ってきたので、わたしは彼女を自分の後ろに庇いながら「何をしようとしてるの!?彼女嫌がってるじゃない、やめなさいよ」と男達に言うと、彼らは「ホテルの場所がわからないと言うから送っていこうとしているだけだ、邪魔するな!」とわたしに掴みかかってきた。わたしは胸倉を掴まれながらも店にいた他の客達に向か

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    tetzl 2012/09/07
    マニュアルに従った場合「名誉被害者」になれる、ような気がしている。あるいは、「碌な死に方をしない」というような呪詛が効果的に効いていることの裏返しなのかな、とも思う。
  • 漂流生活的看護記録 : 売名

    しぶしぶたたかうかんごふさん。今から20年ぐらい前、作業療法士の専門学校に行っていたことがあった。どうしても医療系の仕事につきたくて大学を中退し、受験しなおしたのだ。しかし両親は大反対していて、必死に説得したところ、学費だけは出してもらえるが生活費は自分で稼ぐという条件で入学することはできた。今思えばかなり無茶な条件だったと思う。入学時に教務から「アルバイトは不可です。いえ、不可能です」と言われたぐらいのきついカリキュラムで有名な学校ではあったのだが、それでも当時はどうにかなる、いやどうにかすると思いアルバイトしながら学校に通っていた。しかし2年目をむかえる頃、そろそろ限界が見えてきた。正直な話、成績を最低限ラインでキープしようとすると生活が最低水準ラインをキープできなくなるという状態で、ここはもう親に頭下げてでも援助してもらえばよかったのかもしれないが、その当時のわたしの意地がそれを許さ

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    tetzl 2012/06/21
    「だから頑張っていきなさい、そしてもし、またこの分野でやっていこうと思ったときに困ったらいつでも言ってきなさい、僕は同じところで待っているから」中井久夫さんとかの言う、コ・プレゼンスだなあ。
  • 漂流生活的看護記録 : 呪いの肉じゃが

    しぶしぶたたかうかんごふさん。休日・夜間外来には人間ドラマがある。 この時期になると、指をざっくり切った若い女の子が彼氏らしき男の子に連れられてやって来ることが多い。ある時など立て続けにやってきて、外来に置いてある縫合セットを使い切ってしまい、病棟から持って降りてきたぐらいである。 それがまたみんな同じような状態で、料理をしていて指を切ってしまったという。どうも新しい環境で最近つきあい始めた男に手料理披露しようとしたらこうなったのだと。いいところ見せようとしたのか男が要求したのかは知らないけれど、不慣れなことは安受け合いしないほうがいいんじゃないかなぁ、と思った次第。何作ってあげようとしたの?カレー?肉じゃが?と聞いてみると、皆一様にうつむいて小さな声で「肉じゃがです・・・」と答えたのである。 ジャガイモやカボチャなどは意外と切るのに力が必要で、勢いあまって手を切ったりするとかなり深く切

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    tetzl 2012/05/07
    肉じゃがの事故率が高いのか母数が多いだけなのか。まあでも「皆同じ色のリクルートスーツ着た入社式」でもないので定型句に自分を落としこむことないよねえ|「肉じゃが作って」「チッ」みたいな関係性が良いと思う
  • 漂流生活的看護記録 : 希望

    しぶしぶたたかうかんごふさん。栄養士をしていた母が「昔は看護婦さんが病棟で経管栄養の素をぬるま湯で溶かして調合してたもんよー、これが油臭くってねえ、とてもやないけど飲んでみようて気になれるもんやなかったわ」と言っていた。わたしが看護師になった10年前はまだ缶やアルミパウチに入った経管栄養をイリゲーターという吊り下げ式のボトルに入れて使っていたところもあったが、今はほとんどがこうした個別のパックになっていて、ディスポーザブルのルートを接続してぶら下げて胃ろうや経鼻胃チューブにつなぐだけのものが主流になっている。昔に比べれば味もずいぶん改良されていて、経口でそのまま飲めるぐらいのものもあるが、毎日これだけ多量の経管栄養を扱っているもので、調子の悪い日などはパックを開封したときに立ち上る甘ったるい匂いに胸がつかえる感じがすることがある、わたしにはどうも無理だ。 ケニアで一緒に働いていたデンマーク

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    tetzl 2012/02/26
    生きていることと、死んでいないことの間みたいなものを考える
  • 漂流生活的看護記録 : やればできるさ

    しぶしぶたたかうかんごふさん。イタリアには「精神病院」はない、とどこで聞いたのだか忘れたがなぜか以前から知ってはいた。1978年に公布されたバザリア法によって精神科病院の新設と既存の精神科病院への新規入院が禁じられ、実質上の廃絶がなされたからである。今日から日で公開になる「人生、ここにあり!」というイタリア映画があるのだが、これはバザリア法施行後、地域に戻り、生活を始めた患者たちの生活とその変化の映画である。 去年ベルリンに行ったとき、市街地北部のプレンツラウアー・ベルクという地区の「キーツカンティーネ」というカフェに是非行ってみたいと思っていた。プレンツラウアー・ベルクは小洒落たカフェがとりわけ多いエリアなのだが、その店は精神障害のある人たちが地域で働く場を提供するというプロジェクトに基づいて経営されているカフェで、日でもこういったプロジェクトはよくあるし、わたしもこれまでに実習やボ

  • 漂流生活的看護記録 : きいてください、看護婦さん

    しぶしぶたたかうかんごふさん。毎年5月12日はフローレンス・ナイチンゲールの誕生日にちなんで「看護の日」ということになっている、らしい。この時期になると週末などに看護協会が中高生を対象にした看護体験会とかイベントをどこかしらでやってたりするのだけど、実はこの日は特に制定されているわけではなく、ただ看護協会がそういってるだけだったりする。まあ他の国でもこの日はどうやら「看護の日」で、アメリカでは1982年に当時のレーガン大統領によってNational Recognition Day for Nursesとして宣言されているし、ベネスウェラで看護学校の教員をしている友人からは「Feliz día de Enfermeria!(看護の日おめでとう!)」というカードが来ていた。わたしとしては「医師の日」があってもいいし「介護の日」があってもいいと思う。もうあるのかな。 そして毎年「看護の日」のポス

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    tetzl 2011/06/01
  • 漂流生活的看護記録 : 「日常性」の力

    しぶしぶたたかうかんごふさん。ケニアに医療支援活動に行っていたときのこと。電気も水道もない村で現地家庭にホームステイし始めて一週間、不便な生活にはすぐ慣れた、体を洗うのにバケツに水を汲んで担いで帰り、その一杯の水だけで髪も体も全部洗うことも、日が落ちてしまってからは小さな石油ランプの明かり一つが頼りであることも、家の外にある鍵もドアもない掘っ立て小屋の中に穴を掘っただけのトイレも。しかしどうしても慣れることができなかったのは、どこへ行っても好奇の目でじろじろ見られることだった。なんせケニアの中でもかなりの僻地で外国人なんて誰も見慣れていないところに、新聞や雑誌でもあまり見ないアジア系の外国人である。(アジア系でもインド人なら佃煮にできるほどたくさんいたのだが)大げさな話ではなくわたしを見物するために村中から人が集まってきていたような状態だった。何もかも揃った先進国の病院から昨日今日いきなり

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    tetzl 2011/04/24
    「人はパンのみにて生くるにあらず」という視点を忘れちゃだめだよね|確かに「非日常」に身を浸してる人ほど日常の大事さを皮膚で知ってるような気がする。
  • 漂流生活的看護記録 : 危機介入

    しぶしぶたたかうかんごふさん。新人の頃働いていたリハビリテーション病院に交通事故で脊髄を損傷し、下肢機能全廃の二十歳そこそこの男の子が入院してきた。 事故から間がないにもかかわらず、妙にさばさばとした明るい男の子で、入院時の機能測定をしたPTが「まだ機能回復が望めると思っているのかもしれませんね」と言っていたが、人は「もうこれ以上よくなることはないと知っている」と、やはり元気にわたし達のアナムネに答えていた。わたし達はその明るさになんだか違和感を感じていたのだが、彼はまったく泣き言も言わずリハビリにも熱心で、自室でのトレーニングも欠かさず、他の患者とも仲良くやっていける、当に「いい患者」だった。まだ若いし、これからの自立した生活に必要な準備を万端整えてから退院かと思っていたら 「必要最小限のことでいいんです」 と言って、自己導尿(脊髄損傷の度合いが高いと自力での排尿コントロールが難しく

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    tetzl 2011/02/28
    災害もだけど自殺報道にしてもやっぱりだめなものがいっぱいある訳で、ダメだダメだと言うのは簡単なんだけど、やっぱり周りにいる人に何がどうダメなのかこつこつ石拾いをしてかなきゃいけないんだよなって思った。
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