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ブックマーク / takekuma.cocolog-nifty.com (5)

  • パンダとポニョ(1): たけくまメモ

    日はまず『カンフー・パンダ』について書きたいと思います。先日、俺はこの作品について「見る気が起きない」ということをうっかり書いてしまいましたが(→★)、その後いろいろな人から「結構面白いですよ」とのご指摘があり、思い切って見ることにしました。 結論から言えば、見てよかったです。映画として面白かったことはもちろんですけど、それ以上に、『ポニョ』という作品を考えるうえでも『カンフー・パンダ』は見ておいてよかったと思いました。どういうことかといいますと、あらゆる側面から考えて、『パンダ』と『ポニョ』は正反対の場所に位置する作品だと思うからであります。 かつてレオナルド・ディカプリオが記者会見の席上、自分が出演した映画の話そっちのけで『千と千尋の神隠し』を絶賛したことがあります(横にいたスピルバーグ監督まで『千尋』を絶賛)。このときのレオ様の言いぐさが 「まるで別の惑星で作られた映画を見ているか

  • ポニョ2回目: たけくまメモ

    ポニョの2回目を見てきました。感想を書こうとおもうんですが、その前に全然関係ないんですけど、今やっている『カンフー・パンダ』をどうにも見る気がしません。ポニョ見に行ったらイヤでもポスターが目に付くじゃないですか。たぶん、見たら面白いだろうとは思うんですよ。制作もドリームワークスだし、少なくとも退屈しないだろうと思うんです。 でも俺としてはどうも、パンダがカンフーしているだけで『らんま1/2』を思い出してしまって。内容が違うのはわかってるんですけどね。パンダがカンフーして何も悪いことはないんですよ。コロコロと太ったパンダがアチョーとか飛んだり跳ねたりしたらお子様は大喜びでしょう。しかしそろそろ48歳にもなる中年男が、一人で映画館行って「パンダ一枚」と1800円出す姿が、どうしても思い浮かばないんです。 そんなこと言って、おとといもチケット売り場で「ポニョ。大人一枚」って買って中に入りました。

  • 独学に勝る勉強はない(1): たけくまメモ

    ※追記:最初にアップしてから少し書き足してあります。 今回書こうと考えているのは、「学校の勉強」についてです。俺は、自分が高卒だから言うのではないですが、「学校の勉強」というのは、当は小学校の六年間で充分ではないかと考えてます。俺自身、胸に手を当ててみても、47年間の人生当に役に立った、と思えるのは小学校で習った「読み書きソロバン(算数)」だけで、これには感謝しています。 でも中学以降の勉強となると、因数分解なんてすっかりやり方を忘れてますし、英語も中二レベルくらいからだいぶあやしい。それ以外の学科の内容もほとんど忘れちゃってる。高校の授業も同様です。中学高校の勉強も、大学以降に気で学問しようと考えたら絶対必要なんだと思いますけど、すべての人間が学者になるわけではない。俺ばかりでなく、ほとんどの人には「受験勉強」以外の意味はあんまりないのではないでしょうか。 でも学校をさぼった記憶

  • たけくまメモ : 【著作権】とんでもない法案が審議されている

    先週あたりから一部で話題になり始めているので、すでにご存知の人もいるかもしれませんが、著作権法の改定を視野に入れたとんでもない法案が日国政府関係者によって審議されていますので、ご存知ない方のためにこの場で報告したいと思います。 「とんでもない審議」というのは、もちろん俺自身が「とんでもない」と思っているわけですが、もしこの審議に基づく著作権法改定がなされた場合、俺だけではなく、およそ表現行為をするもの全員にとって、プロアマ問わず等しく重大かつ深刻な影響を与えることになるのではないかと思われます。 今の動きをかいつまんで書くなら、「著作権法の非親告罪化」に向けた準備が政府機関によって進行しているいうことです。これまでも現在も、著作権侵害というものは「侵害されたと思う側」が民事裁判に提訴するなり、あるいは刑事告訴をしない限り逮捕することも裁判を起こすこともできない「親告罪」とされているわけで

  • たけくまメモ : まだ最悪ではない

    たぶん俺は楽天的性格なのだと思う。昨年暮れ、2度目の脳梗塞を発症して開頭手術を行い、意識を取り戻して、最初に思ったことが「まだ最悪ではない」という言葉だった。なぜかといえば、とりあえずはまず、生きているということ。これだけでもう最悪ではない。そして病気は俺から歩行の自由を奪い発語もやや不自由になったが、それでも他人と不都合なく話せるし、論理的思考にも問題はなさそうだ。目も見え、手先も一応動くので、ワープロを打つこともできる。つまり俺にとって、、仕事やブログに復帰するための障害は何一つないということである。 こうなると、俺のもともとの性格である楽天性が首をもたげる。その次にかんがえたことは、なんとかして「たけくまメモ」を再開できないかということと、自分の病気をギャグにできないかということだった。ブログで「脳梗塞のラブリーな言い替え方募集」をしてみようと思ったり。俺もちょっと考えたが、「脳づま

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