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斎藤環に関するthe_drunkenのブックマーク (13)

  • 東浩紀「一般意志2.0」書評 政治の未来図を描き出す想像力|好書好日

    一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル (講談社文庫) 著者:東 浩紀 出版社:講談社 ジャンル:一般 一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル [著]東浩紀 東浩紀、待望の新刊である。単著としては実に二年ぶり、思想を語るとしては四年ぶりだ。 書の主張は実にシンプルだ。要するに未来の民主主義はツイッターやニコニコ生放送(いずれもインターネット上のサービス)のようになり、政府はグーグルのような存在になる、と。それは一つの「夢」として語られる。 キーワードは「一般意志」。フランスの思想家ジャンジャック・ルソーの創出した奇妙な概念だ。ナショナリズムやファシズムにも親和性が高いこの概念は、世論のような「全体意志」とは決定的に異なる。それは人間ではなくモノの秩序に従い、コミュニケーションではなく数学の秩序に属する。 決して分かりやすいとは言えないこの概念を、東はアクロバティックな剛腕をふる

    東浩紀「一般意志2.0」書評 政治の未来図を描き出す想像力|好書好日
  • 宇野常寛「リトル・ピープルの時代」書評 小さな物語に依存「拡張現実の時代」|好書好日

    リトル・ピープルの時代 [著]宇野常寛 書は『ゼロ年代の想像力』で華々しいデビューを飾った若手批評家の三年ぶりの書き下ろし評論集である。テーマは再び「想像力」だ。議論の構えは大きい。震災後の現状をふまえ、宇野はまず村上春樹を参照する。ビッグ・ブラザーが体現していた「大きな物語」が失効し、人々は目先の「小さな物語」に依存しようとする。 『1Q84』で村上が描いた「リトル・ピープル」こそは、意図も顔も持たずに非人格的な悪をもたらす「システム」の象徴だ。今必要なのは、制御不能におちいった「原発」のような巨大システムに対する想像力なのだ。 しかし宇野は、村上作品に頻出する、男性主人公の自己実現のコストを母なる女性に支払わせるというレイプ・ファンタジィ的な構造を批判する。その構造に潜むナルシシズムが、リトル・ピープルの悪を隠蔽(いんぺい)してしまうからだ。 ここに至って、書の中核をなす二つのテー

    宇野常寛「リトル・ピープルの時代」書評 小さな物語に依存「拡張現実の時代」|好書好日
  • 「安心ひきこもりライフ」書評 けしからんが必読なのだ|好書好日

    安心ひきこもりライフ [著]勝山実 実にけしからんだ。 ひきこもりの第一人者(笑)たる評者の著書を「可もなく不可もない」と一刀両断。政府のひきこもり対策事業を「ひきこもり関ケ原」などと巧みに茶化(ちゃか)す(うっかりニヤニヤしたのは秘密だ)。この“名人”に「就労など煩悩に過ぎない」と言われては、治療者として返す言葉もない。 ほかにも「腐れチャレンジ」「働かざること山の如く」「半人前理想主義」「自立とは正しく落ち込むこと」「月見草でいいじゃないですか」など名言金言が目白押し。目指すは罪の意識なく、のびのびひきこもる生活。そのための福祉サービス利用法、甥(おい)っ子とのつきあい方など、当事者ならではの超実用的なアドバイスまである。 「可能性を広げるとは、堕(お)ちること」と主張する書は、現代の小さな「堕落論」だ。なのに書の「笑い」には逆説的な希望、評者には決して示し得ない希望がある。けし

    「安心ひきこもりライフ」書評 けしからんが必読なのだ|好書好日
  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
  • 【レビュー・書評】ウェブ×ソーシャル×アメリカ―〈全球時代〉の構想力 [著]池田純一 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    ウェブ×ソーシャル×アメリカ―〈全球時代〉の構想力 [著]池田純一[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2011年6月5日著者:池田 純一  出版社:講談社 価格:¥ 840 ■ウェブ思想の根底なす問いとは ウェブは透明で中立な媒体だ。そう信じている人が書を読めば、ネット上の景色は一変するだろう。ウェブは中立どころではない。Google、Apple、Facebook、Twitter……、普段何気なく利用しているサービス全てに、創設者の特異な思想や政治性が埋め込まれているのだ。 例えばAppleの創始者にしてCEOのスティーブ・ジョブズの「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉と、Googleの創設者セルゲイ・ブリンによる「邪悪になるな」という社是とでは、基となる構想が全く異なる。 ハッカー文化とカウンターカルチャー(「意識の拡大」!)との関係はよく知られているが、ウェブの思想的背景はそれ

  • 紀伊國屋書店 イベント案内

    第171回 芥川賞・直木賞の受賞作が決定!芥川賞ダブル受賞:朝比奈秋さん『サンショウウオの四十九日』松永K三蔵さん『バリ山行』/ 直木賞:一穂ミチさん『ツミデミック』(2024/7/17)

    紀伊國屋書店 イベント案内
  • 【レビュー・書評】スピノザの方法 [著]國分功一郎 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    スピノザの方法 [著]國分功一郎[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2011年4月10日著者:國分 功一郎  出版社:みすず書房 価格:¥ 5,670 ■哲学を可能にした「方法」を問う 神に酔える哲学者、スピノザ。汎神(はんしん)論やコナトゥスといったその“肯定性の哲学”は日でも人気が高い。超訳ニーチェに続き超訳スピノザが売れたとしても私は驚かない。 ところで書は単なる「スピノザ入門」ではない。その哲学を可能にした「方法」をひたすら問うこと。それがこの異様にリーダブルな哲学書の通奏低音である。 私はこれまで、デカルト的二元論の「切断性」にスピノザ的な「連続性」を対立させて考えていた。しかし著者によれば、これはよくある誤解らしい。デカルトの哲学は説得のための哲学である。スピノザは説得を放棄することでデカルトの限界を乗り越えようとした。スピノザは命令しない。ただ「一緒にやりましょう」と誘惑す

  • 【レビュー・書評】科学の科学―コレージュ・ド・フランス最終講義 [著]ピエール・ブルデュー - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    科学の科学―コレージュ・ド・フランス最終講義 [著]ピエール・ブルデュー[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2011年1月9日著者:ブルデュー  出版社:藤原書店 価格:¥ 3,780 ■科学の現場の「構造」、明らかに 1998年、新3種混合ワクチンの接種が自閉症の原因となるとする論文が発表され、大きな反響を呼んだ。ところが最近の調査で、この報告が執筆者である医師のでっちあげだったと判明した。なぜ科学者がこうしたスキャンダルを起こすのか。 私たちは科学を厳正かつ中立な、自律性の高い学問だと考えている。しかしその科学にすら政治や人間関係といった不純な要因が影響を及ぼしてしまう。 社会学者ブルデューによれば、それは科学の現場が来的にはらみ持つ、構造的な問題だ。この最後の著作の書で、ブルデューは彼の思想のキーワードでもあると言うべき「界」「ハビトゥス」「文化」といった諸概念を自在に駆使して

  • 斎藤環氏×ひろゆき氏との特別鼎談で得た視点【前編】「“親が優しい”と引きこもり率は高くなる?経済不況だけじゃない世界中でパラサイト急増の理由」

    通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。1997年から日の「ひきこもり 」界隈を取材。東日大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したの かを調査。新刊は『ルポ「8050問題」高齢親子〝ひきこもり死〟の現場から 』(河 出新書)  他に『ルポ ひきこもり未満』(集英社新書)『ひきこもる女性たち』(ベ スト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『あのとき、大川小学校で何 が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。KHJ全国ひきこも り家族会連合会部広報担当理事。東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会 委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』 「引きこもり」するオトナたち 「会社に行けない」「働けない」――家に引きこもる大人たちが増加し続けている。彼らはなぜ「引きこもり」するようになってしまったのか。理由とそ

  • 【レビュー・書評】〈死の欲動〉と現代思想 [著]トッド・デュフレーヌ - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    〈死の欲動〉と現代思想 [著]トッド・デュフレーヌ[掲載]2010年9月19日[評者]斎藤環(精神科医)■精神分析の二度目の“死”に照準 20世紀は「精神分析の世紀」だった。いまや精神分析は、効果の疑わしい過去の治療法として、共産主義よりは緩慢な死を迎えつつある。 精神分析は二度死ぬ。一度目は治療の技法として。二度目は批評理論として。心理学者ハンス・アイゼンクらの手によって、一度目の死は確認された。問題は二度目のほうだ。思想や批評理論における精神分析の影響は、いまだきわめて大きい。 デュフレーヌは賢明にも後者に的を絞った。この領域ではフロイトが“発明”した〈死の欲動〉こそが諸悪の根源なのだ。 フロイトは、そのもっとも思弁的な論文「快感原則の彼岸」において、孫の遊びに注目する。糸巻きを投げては引き戻す遊びを、母親の不在の苦痛をあえて再演する行為と考え、そこに自己破壊衝動、すなわち〈死の欲動〉

  • 【レビュー・書評】書評委員お薦め「今年の3点」 斎藤環 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    書評委員お薦め「今年の3点」 斎藤環[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2010年12月19日斎藤環さん著者:阿部 和重  出版社:講談社 価格:¥ 1,995 (1)ピストルズ [著]阿部和重 (2)半分のぼった黄色い太陽 [著]チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ [訳]くぼたのぞみ (3)身体の歴史(1〜3) [監修]アラン・コルバンほか [監訳]鷲見洋一ほか (1)は形式主義的な手法を自在に操る作家・阿部和重が、満を持して放つ神町サーガの第二部。あらゆるフィクションが多重レイヤー化される中で、「女性性」の視点からの語り直しによる「歴史の重層化」をもくろむ作家の試みは一頭地抜きんでた。 (2)は阿部より若い世代の作家による、古典的かつ重厚な構えの歴史大作。60年代後半に起きたビアフラ大虐殺を背景として展開する真摯(しんし)なラブストーリーは、私の中の「アフリカ」の風景を一変させるとともに

  • 斎藤環と茂木健一郎の往復書簡「脳は心を記述できるのか」 第1信 「価値のクオリア」は存在するか?(斎藤環)

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 はじめまして。 はじめておたよりします。斎藤環と申します。 茂木さんの著書は何冊か読ませていただきましたが、その精力的な活動のすべては、とうていフォローし切れていない点をまずお詫びいたします。 そのかわりといってはなんですが、妙なエピソードからはじめさせていただきます。 じつは私は、茂木さんとこれまでに何度かニアミスしているんですよ。たとえば、私は2006年の夏休みにフライブルクに行ったんですが……(といえばピンと来るかも知れませんね)、ルフトハンザ機内で私たち家族の斜めうしろに茂木さんが座っておられました。驚いたのは、往路だけならまだしも、復路の機内でもほぼ同じ位置関係で、なんというか、この「偶有性」には驚かされました。思えばあの時点で、この企画は萌芽的かつ徴候的に成立しつつあったのかもしれませんね(笑)。 私の茂木さんへの親近感はこれに留まりません。私たち

  • 【レビュー・書評】切りとれ、あの祈る手を―〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 [著]佐々木中 - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)

    切りとれ、あの祈る手を―〈〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話 [著]佐々木中[評者]斎藤環(精神科医)[掲載]2010年11月28日著者:佐々木 中  出版社:河出書房新社 価格:¥ 2,100 ■「すべてが情報」疑う 躍動する文体の挑発 著者のデビュー作『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』(以文社)は、超重量級の思想書であるにも関(かか)わらず、まるで小説のように広く読まれた。かつて浅田彰の、あるいは東浩紀の処女作がそう読まれたように。 コンパクトで語り口調の書は、より多くの読者を獲得するだろう。そしてなにより、この「文体」である。小説すら文体を失いつつある昨今、この著者の確乎(かっこ)たる文体は際立っている。そこには反復と回帰が、躍動する挑発が、厳粛な切断とシリアスな笑いがある。書くこと、そして読むことは、常に身体的な経験なのだと今更ながら思い知らされる。 前作にひきつづき、

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