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【レビュー・書評】〈死の欲動〉と現代思想 [著]トッド・デュフレーヌ - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)
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【レビュー・書評】〈死の欲動〉と現代思想 [著]トッド・デュフレーヌ - 書評 - BOOK:asahi.com(朝日新聞社)
〈死の欲動〉と現代思想 [著]トッド・デュフレーヌ[掲載]2010年9月19日[評者]斎藤環(精神科医)■精神... 〈死の欲動〉と現代思想 [著]トッド・デュフレーヌ[掲載]2010年9月19日[評者]斎藤環(精神科医)■精神分析の二度目の“死”に照準 20世紀は「精神分析の世紀」だった。いまや精神分析は、効果の疑わしい過去の治療法として、共産主義よりは緩慢な死を迎えつつある。 精神分析は二度死ぬ。一度目は治療の技法として。二度目は批評理論として。心理学者ハンス・アイゼンクらの手によって、一度目の死は確認された。問題は二度目のほうだ。思想や批評理論における精神分析の影響は、いまだきわめて大きい。 デュフレーヌは賢明にも後者に的を絞った。この領域ではフロイトが“発明”した〈死の欲動〉こそが諸悪の根源なのだ。 フロイトは、そのもっとも思弁的な論文「快感原則の彼岸」において、孫の遊びに注目する。糸巻きを投げては引き戻す遊びを、母親の不在の苦痛をあえて再演する行為と考え、そこに自己破壊衝動、すなわち〈死の欲動〉