偏見で語る兵器bot @heikihenken 救難艦 コムーナ 記念艦とかいうわけでもなく実用配備されてる1915年生まれの現役艦艇って戦艦の榛名と同い年なんですがそれは…誕生当時はまだロシア帝国海軍とかたまげたなぁ。レニングラード包囲戦ではラドガ湖に沈んだ物資を引き上げていた pic.twitter.com/sI4bmqoX63
ウクライナのゼレンシキー大統領は21日、訪日日程の終わりに記者会見を開いた際に、日本国民へ向けた演説を行った。 ウクライナ大統領府広報室が全文を公表した。ウクルインフォルムによる日本語全訳以下のとおり。 親愛なる日本国民よ! 平和を大切にする世界の全ての人よ! 私は、戦争によって歴史の石に影のみを残すことになってしまったかもしれない国からここへ来た(編集注:ロシアの全面侵略戦争でウクライナが消し去られてしまう可能性を指している)。しかし、私たちの英雄的な人々は、私たちが戦争をこそそのような影にしてしまうべく、歴史を戻している。 私は、世界に戦争の居場所はないと信じている。人類は、とても長い道を通ってきたのであり、血塗られた対立で多くの命を失ってきた。死が空から降ってきて、死が海からやってきた。放射線が死をもたらした。人々は、互いに死を持ち寄ってきた。ある者は、人類の歴史は戦争抜きには想像で
(CNN) ウクライナで育つと、パンくずをテーブルの上に残さなくなる。筆者たちミレニアル世代(1980~90年代生まれ)は、この宗教じみたパンに対する尊敬の念を祖父母から教わった。彼らは1932~33年にウクライナで起きた飢饉(ききん)を生き延びた。「ホロドモール」の名で知られる、あの飢饉だ。 何度となく聞いた話では、1杯のスイバのスープがどうやって祖母ときょうだいたちを救ってくれたかが語られる。同じころ、村から取り立てられた穀物は、鉄道駅で腐るがままにされていた。その小麦があれば多くの命を救えただろうが、「国家」はそれを許さなかった。祖母は生涯、スイバを見るのも嫌になり、食器棚には塩と小麦粉の備蓄を欠かさなかった。 80年代の「グラスノスチ(情報公開)」と、そのすぐ後に起きたウクライナのソ連からの独立がもたらした新たな自由により、この国民的なトラウマを整理することができるようになった。ホ
ウクライナ情勢を巡り、欧米各国は、ロシアが強硬な姿勢を続けた場合制裁を強化する方針を確認しました。一方、ロシア軍は、事実上掌握している南部のクリミア半島で、黒海につながる湾の出入り口に退役した艦艇を沈めていて、ウクライナ海軍の動きを封じ込めるねらいがあるとみられます。 ウクライナ情勢を巡り、アメリカのオバマ大統領は8日、イギリスやフランスなど、ヨーロッパ6か国の首脳と相次いで電話で会談し、ロシアが強硬な姿勢を続けた場合、制裁を強化するなどの方針を確認しました。 一方、ロシア軍は、事実上掌握しているウクライナ南部のクリミア半島で兵員の増派とみられる動きを見せています。 また、クリミア半島西部のドヌズラフ湾では、黒海に通じる湾の出入り口にロシア海軍の退役した艦艇が横倒しの状態で沈められています。これについて、ウクライナ国防省は、今月5日にロシア軍がみずから沈めたもので、湾内に停泊しているウクラ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く