シリアの国営テレビは12日、首都ダマスカスと北部アレッポの国際空港がそれぞれイスラエル軍による攻撃を受け、滑走路などが被害を受けたと報じました。被害の詳しい状況は分かっていません。イスラエル軍はこれまでもシリア国内に展開するイランが支援する民兵組織の関連施設などに対してたびたび空爆を行っています。
![イスラエル軍がシリアの空港を攻撃か シリア国営テレビが報道 | NHK](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/307c8bba2a0aa89e0cd4c782dfc1a0844da6dd11/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww3.nhk.or.jp%2Fnews%2Fhtml%2F20231012%2FK10014223801_2310122152_1012215244_01_03.jpg)
シリアの国営テレビは12日、首都ダマスカスと北部アレッポの国際空港がそれぞれイスラエル軍による攻撃を受け、滑走路などが被害を受けたと報じました。被害の詳しい状況は分かっていません。イスラエル軍はこれまでもシリア国内に展開するイランが支援する民兵組織の関連施設などに対してたびたび空爆を行っています。
ある日、若者たちがSNSに投稿した「バナナを食べる動画」。ありふれた1シーンにしか見えませんが、この投稿をきっかけに、若者は国を追われる瀬戸際に。 でも、なぜ? 背景には、一皮むくだけでは分からない事情がありました。 (イスタンブール支局長 佐野圭崇) 発端となったのは2021年10月、トルコのネットテレビ局が行った街頭インタビュー。マイクを持つリポーターが尋ねたのはトルコの大統領選挙についてでした。 そのとき、あるトルコ人の女性が、別の人のインタビューに割って入り、トルコで暮らす難民について持論を展開。シリア人もアフガニスタン人も母国に帰るべきだ、全員をトルコに受け入れる余裕はない、と訴えたのです。 この発言に、となりにいた男性も同調します。 「シリア人は俺たちより楽に暮らしている。俺はバナナも食えない。お前たちはキロ単位でバナナを買っているじゃないか」 その場に居合わせたシリア人の女性
教えたいのに生徒が集まらない 1970年5月。青年海外協力隊(JOCV)の隊員として岡本秀樹がシリアに派遣され半年近くが過ぎようとしていた。彼はこのとき28歳、空手を始めて12年になる。 時代錯誤の高下駄に「蒙古放浪歌」。しかも何を思ったか岡本は羽織袴はかま姿である。通りを行き交う地元住民が、怪訝けげんな顔でこの男の通り過ぎるのを見るのも無理はない。 一方、こうした芝居がかったことをしている岡本本人には時代錯誤の思いは微塵みじんもない。体中を突き抜けんばかりに沸き起こる怒りに自分が抑えられなくなっている。 岡本はこの国の若者に幻滅していた。シリアの警察学校で空手を教えていたが、この伝統武道の知名度は低く、生徒が集まらない。ブルース・リーの主演映画「ドラゴン危機一発」が香港で大ヒットするのは翌71年である。当時のシリアでは戦える技としてはボクシング、レスリングが主流であり、続いて自己防衛とし
イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」の最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、クルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」による尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic 【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。 そして今、ある一つの国が崩壊した。 死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。 彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって
シリア撤収、トランプ氏独断か=政権幹部とずれ、国際信用失墜 2018年12月20日14時28分 シリアに展開する米軍装甲車=2017年3月、北部マンビジュ近郊(AFP時事) 【ワシントン時事】トランプ米政権が19日、シリアからの米軍撤収を決めた。米政府のジェフリー・シリア担当特別代表は2日前、ワシントン市内での講演で早期撤収を否定したばかり。米メディアによれば、政権幹部らは撤収を主張するトランプ大統領の説得をぎりぎりまで試みたが、トランプ氏が独断で完全撤収を命令。政権への国際的な信用は失墜した。 「われわれは過激派組織『イスラム国』(IS)を打倒した」。トランプ氏は19日、ツイッターに投稿した動画で「米軍兵士が家に戻る時だ」と宣言した。 2014年にシリアとイラクでIS掃討戦を開始した米軍は、クルド人主体の民兵組織を支援し、ISが支配していた地域の99%を解放した。現在、米兵約2000人が
内戦下のシリアに2015年6月、トルコ南部から陸路で密入国し、武装勢力に拘束されていたとされるフリージャーナリスト安田純平さん(44)が解放された。今のタイミングで解放につながったのは、シリア内戦が最終局面に至っているという現地情勢と、水面下で続けられてきた解放への外交努力の存在だ。 安田さんは、イスラム過激派組織「シリア解放機構」(旧ヌスラ戦線)に拘束されていたとみられ、テロ組織と交渉しないという日本政府の高官は「身代金の支払いはない」と主張した。だが、日本政府は、過激派を支援してパイプを持つカタール政府やトルコ政府に仲介を求めており、カタール政府が身代金を支払ったとの情報もある。 内戦は最終局面 2011年の「アラブの春」をきっかけに始まったシリア内戦は、ロシアやイランの軍事支援を受けたアサド政権が首都ダマスカス周辺や南部、ホムスなどの中部から反体制派を相次いで駆逐し、最終局面に入って
シリアの武装組織による拘束から解放されたフリージャーナリストの安田純平さんはトルコ南部の入管施設を出てイスタンブールに向かい25日にも帰国する見通しです。安田さんは機内でNHKのインタビューに応じ、拘束されていた3年余りについて「地獄だった。監禁されている状況が当たり前のように感じ始め、非常に辛かった」と述べました。 その機内で安田さんはNHKのインタビューに応じ、拘束されていた3年余りについて「地獄だった。身体的にも、精神的にも。きょうも帰されないと考えるだけで、だんだん自分をコントロールできなくなってくる」と過酷な日々を語りました。 そのうえで安田さんは「独房の中で監禁されている状況が当たり前のように感じ始め、そのことに驚き、そう感じること自体、非常に辛かった」と話し、長引く拘束で平常心を保つのが難しくなっていった状況を説明しました。 また、今後の生活については「3年間、自分自身、全く
20歳の夫と離婚したばかりのKさん(15歳)。12歳でトルコに逃れ、13歳で婚約、14歳で結婚した。2人の仲はうまくいっていなかったので、離婚して良かったとKさんは言うが、再び教育を受けられる望みは薄い。シリアで内戦が始まったため、Kさんは4年生で学校を離れざるを得なかった。(PHOTOGRAPH BY ÖZGE SEBZECI) 内戦から20年、断絶つづく故郷ボスニアへ 写真16点 マイナス40℃の町で人々はどう暮らしているのか? 写真11点 編注:被写体の安全とプライバシー保護のため、人物名をイニシャルで表記しています。 中東シリアで内戦が起きると、難民となってトルコなど隣国で暮らす人々が増えた。そして今、それら隣国で、難民たちが10代の娘を嫁がせる「児童婚」が増えている。結果、少女たちが若くしてシングルマザーになる例も増えているが、社会の関心は薄い。(参考記事:「幼くして花嫁に、東欧
「シリア」と聞くと、どんなイメージが浮かぶでしょうか? おそらく「怖い」「テロ」「内戦」「イスラム国」といった辺りでしょう。ニュースで見ない日がほとんど無いくらい、聞こえてくるのは悲しい話ばかりですから。 ですが、エジプト特派員時代を含めたこの20年、中東の様々な国を見てきた僕に言わせれば、心優しい人々に接した機会が一番多かったのがシリアだった気がします。 かつて、といってもほんの5、6年前まで、世界をまわるバックパッカーにとって、シリアは中東で欠くことのできない国でした。レバノン→シリア→ヨルダン→イスラエルという定番ルートを歩んだ旅人も少なくないでしょう。 今回は「本当はそんな国ではなかったのに…」という思いを抱きつつ、僕のアルバムに残る「今となっては行けないシリアガイド」をお届けしたいと思います。 シリアに観光で行くと、現地の人からは大抵「パルミラはもう見たか?」と言われたものです。
イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が「首都」と位置づけるシリア・ラッカ東部のメシュレブ地区で、ライフルの準備をするヤジディー教徒の戦闘員ヘザさん。イラク北東部シンジャル出身者でつくる「シェンガル女性部隊(YPS)」に加わっている(2017年7月18日撮影)。(c)AFP/BULENT KILIC 【7月24日 AFP】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が「首都」と位置づけるシリア北部ラッカ(Raqa)の奪還作戦に、かつてISの性奴隷として同地に拘束されていたイラクの少数派ヤジディー(Yazidi)教徒の女性が戦闘員として加わっている。自身と数千人の同胞の身に降りかかった恐怖に復讐(ふくしゅう)するため、やっとの思いで逃げ出した場所に戻って来たのだ。 ラッカでISと戦うことが、トラウマ(心の傷)の解消につながっているとヘザさんは言う。「戦闘に身を投じたとき、心の中の不安がいくらか
4月8日、米国政府は原子力空母カール・ビンソンを朝鮮半島近海へ派遣すると発表。その前日7日、米軍は突如シリアに59発の巡航ミサイルを撃ち込み、シリア軍の軍事施設を破壊していました。 9日に出演したTV番組で、ティラーソン国務長官は「他国への脅威となるなら対抗措置をとる」と強調。「アサド政権が化学兵器を使用した」と断定する米国政府がシリアをいきなり攻撃したことは、核開発やミサイル実験を続ける北朝鮮への警告だったと示唆しました。 その規範的な評価はさておき、一連の行動にはトランプ政権の特徴がいかんなく発揮されています。それは「何をするか分からない」と周囲に認識させ、敵対する者に譲歩を余儀なくさせる手法です。これは北朝鮮の十八番である「瀬戸際外交」と、構造的にはほぼ同じものといえます。 「瀬戸際外交」の構造北朝鮮は、分不相応ともいえる核・ミサイルの開発を推し進め、しかもそれをわざわざ誇示してきま
中東を研究していて、本当に嫌になるのは、中東では政治が人間の邪悪さの競い合いになり、人間の弱さを、あらゆる意味で、無限に創造的な方法で、突くことが、最も有効な手法になることを目撃させられることだ。 「アレッポを陥落させて、米国もアサド政権容認に傾いていた時に化学兵器を使う必要はない」といった論評が聞かれる。アサド政権側も一斉にそう行った論理を用いて述べ立てる。しかし中東の政治の現実を、上辺ではなく、社会の人間関係から見ていれば、実際にはそういった論理では動いていないことがわかる。実際は、米国が容認姿勢に傾いたからこそ、ここで化学兵器を使ってみせ、それでも米国が黙認することを反体制派に見せつけることで、どれだけ残虐な行為をアサド政権が行っても、もはやどこからも助けが来ないと思い知らせ、戦意を挫けさせる。たとえ米国が軍事行動に出たとしても、アサド政権を倒すほどの規模は考えられず、その後は「被害
中国主席、異例の軍事力行使容認=シリア攻撃に「理解」 7日、米フロリダ州パームビーチで、トランプ大統領との会談に臨む中国の習近平国家主席(中央)(AFP=時事) 【パームビーチ時事】ティラーソン米国務長官は7日、中国の習近平国家主席がトランプ大統領との首脳会談の席でシリア・アサド政権への軍事攻撃について知らされた際、「子供が殺害されている時にそうした対応は必要だ」と述べ、「理解」を示したと明らかにした。中国首脳が他国への軍事力行使を容認する発言を行うのは極めて異例だ。 【特集】習近平「真の戦場」は軍の「大手術」 トランプ氏は6日夜に行われた夕食会の終盤で習氏に対し、シリアへの攻撃を実施したことを伝達。アサド政権が化学兵器で女性や子供を殺害したことへの対抗措置であるとの理由を説明し、発射した巡航ミサイルの数も伝えた。習氏はトランプ氏が情報を提供したことに感謝の意を述べたという。 中国政府
シリア北西部イドリブ県の反体制派が支配するハンシャイフンで4月4日、化学兵器の使用が疑われる空爆で、少なくとも72人が死亡した。呼吸困難やけいれんといった症状が見られることから、猛毒のサリンのような神経ガスや塩素ガスといった化学兵器が使用されたと疑われる。 化学兵器攻撃は、国際条約の重大な違反であるだけでなく、世界の指導者、活動家、人道支援に従事する人々への挑戦だ。 SNSなどで拡散された動画や画像には、地面でもがき苦しみ、ゆっくりとけいれんしながら口から泡を出している人びとの姿を映し出した。最初の攻撃からほどなく、戦闘機は犠牲者が治療を受けている近隣の病院を爆撃した。 人権団体や、ホワイトハウスをはじめとする欧米各国の政府は、この極めて凄惨な攻撃はバシャール・アサド政権によるものと結論を出し、激しく非難した。シリア軍は関与を否定している。 4日の化学兵器が疑われる攻撃は、これまでシリア軍
シリア政府軍がイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」から奪還した古代都市遺跡パルミラで、ISによって破壊されたベル神殿の入り口付近の様子(2016年3月27日撮影)。(c)AFP/Maher AL MOUNES 【3月28日 AFP】シリア政府軍がイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」からほぼ1年ぶりに奪還した中部パルミラ(Palmyra)にある古代都市遺跡や文化財は、懸念されていたよりもはるかに良好な状態であることが分かった。シリア文化財博物館総局のマムーン・アブドルカリム(Maamoun Abdelkarim)総局長が明らかにした。 アブドルカリム氏は27日、AFPの電話取材に答え、パルミラ遺跡の大半は無事だと説明。ISが破壊した文化財も修復していく方針だと語った。 超厳格な教義を奉じるイスラム教スンニ派(Sunni)過激派組織のISは2015年5月にパルミラを掌握。ベル神殿(Te
10年前は平和で活気があったシリアの街並み 約10年前の2006年9月上旬、当時大学生だったぼくはシリアを旅行しました。 現在は様々な政治勢力により国土を分断され、祖国を捨てる人が相次ぎ、悲劇と憎悪の連鎖が続く呪われた地になってしまいましたが、 10年前はたとえ独裁とはいえ、秩序が保たれ街は平和で、生活は苦しかったかもしれませんが、人々は精一杯生活を楽しんでいるようにも見えました。 ぼくはこれまで40カ国以上の国を旅行してきましたがシリアは特に印象に残っており、街の活気、人のざわめきや笑い声が、今でも脳裏に思い浮かびます。ぼくの貴重な青春の一ページはシリアにあります。 今回は、当時旅の道中に書いていた日記をそのままブログに書き写します。間違っている表現やつまらないものもそのまま、10年前の一大学生の体験したことをお伝えしたいと思います。 1. 旅の概要 お金はないが時間はたっぷりある大学生
シリアの戦争をめぐって、連日、正気の沙汰とは思えないようなニュースや凄惨な写真があふれ出ている。そして、シリアの数多くの古代遺跡や建築物、世界遺産を破壊する砲撃や爆撃を目の当たりにしている。シリアの都市の画像をひとまとめにし、自分自身に加え、かつてこれらの美しい都市に住んでいた人や訪れたことのある人、これからきっと訪ねたいと思っている人に、私たちが平穏に暮らしていた頃のシリアを思い出してほしいと私は思った。そして、文化に富んだシリアの歴史の中にあるすばらしい記録や体験を共有したいと思った。 シリアは、古代の真珠として、また文明発祥の地(紀元前9000年)として知られる国で、青銅器時代(紀元前3000~2000年)があった。文字が発明され、古代都市ウガリットの繁栄によって最古の手書き文字と人類初の楽譜が誕生した国だ。
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