3歳の頃の水木しげる 1922年(大正11年)3月8日、大阪府西成郡粉浜村(現在の大阪市住吉区東粉浜[4])に生まれた[3]。父・武良亮一、母・琴江の次男。水木生誕当時、父親の亮一は、親戚が大阪の梅田駅近くで経営していた印刷会社で働いていた[4]。身重の母親・琴江は夫に会うために鳥取県から来て、大阪で水木を産んだ[4]。父は共同経営者とともに農機具を輸入販売する会社を興す為に、妻子をいったん故郷の鳥取県西伯郡境町入船町(現在の境港市入船町)に帰した[3]。境港に戻った理由は「大阪は空気が汚れていて乳の飲みが悪い」からという[4]。水木が境港に戻った年齢については不明確だが、生後まもなくから2歳までの間とのこと[注 1]。その後父は事業に失敗して帰郷、一家全員境港に定住する結果となる[3]。 5歳の頃「死」に興味を抱き、3歳の弟を海に突き落とそうとするが、近所の大人に見つかり、両親にしかられ