太閤(たいこう)は、摂政または関白の職を退いて後、子が摂関の職に就いた者[1]、摂関辞職後に内覧の宣旨を受けたものを指す称号[2][3]。敬称は摂政・関白と同じく「殿下」であり、呼びかけの場合は「太閤殿下」となる。本来は太閤下(たいこうか)と呼ばれていたが[1]、やがて略されるようになった。大殿(おおとの)とも呼ばれる[1]。 また出家した太閤のことを禅定太閤(ぜんじょう たいこう)、略して禅閤(ぜんこう)という[1]。 古くは摂関・太政大臣現職者を指す尊称であった[2][3]。『西宮記』や『左経記』には在職中の摂関が太閤を称した記述があり、「関白太閤」と称されていた[4]。 摂政・関白を嫡男に譲った者が「太閤」と呼ばれる例は平安時代からあった。例えば藤原道長は後一条天皇の摂政を息子頼通に譲り、続いて任じられた太政大臣の職も辞任した後は「太閤」と呼ばれていた[5]。鎌倉時代の関白、二条良実