天下を統一した豊臣秀吉が文禄3(1594)年に完成させた最初の伏見城(指月(しづき)城)とみられる石垣や多数の金箔(きんぱく)瓦片が京都市伏見区桃山町のマンション造成地から出土し18日、民間調査団体「京都平安文化財」が発表した。指月城は2年後の慶長伏見地震で倒壊後は所在が分かっていなかった「幻の城」。今回の発見は城の存在を裏付ける初の出土例となった。 指月城は、秀吉が後継者の豊臣秀次に京都・聚楽第(じゅらくだい)を渡した後に築城。地震で倒壊後、秀吉は近くの木幡(こはた)山に伏見城を再建したが、関ケ原の戦い(1600年)の前哨戦で焼失した。 石垣は長辺1メートル前後の花崗(かこう)岩などで構成され、南北36メートルにわたり出土。高さは現状で1、2段程度残るが、3、4段程度は積み上げられていたとみられる。自然石を野積みのようにした初期の大坂城本丸跡や聚楽第跡の工法とよく似ており、京都平安文