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萱野稔人氏の『国家とはなにか』を読んだ。この本が出たのはもう二年前で、すでにあちこちで「原理的」な国家論として紹介されている。確かに力作であることはまちがいないし、評判がいいのも無理はない。だが、同時に僕には、その原理性には何らかの罠があるのではないかという疑いが棄てきれない。結論からいえば、「国家とはなにか」という問いの立て方は一見してラジカルではあるものの、それはあくまで国家論のひとつの書き方であり、必ずしも最善の選択ではない、というのが僕の意見だ。さっき読み終えたばかりなので多少即興的な感想になってしまうが、ざっとその意見のあらましを述べておこう。 そもそも20世紀の後半以降、特に最後の四半世紀以降、国家のイメージは大西洋を挟んでふたつに分裂していた。ひとつはアメリカの、もうひとつはヨーロッパのイメージである。これは抽象的な話ではない。とくに今世紀に入ってからは、そういう国家イメー
古今、社会形態や政治体制はさまざまな角度から検討され、論じられてきました。その際に指標となるのが「所有」という概念です。しかし「所有」そのもの、あるいは所有権がいかなる概念かということは、意外にもほとんど論じられることがありません。 経済学者のクーター=ユーレンは次のように述べています。「所有権法の伝統的法律学は、理論の欠如で悪名高い。少なくとも、契約法や不法行為法の理論と較べて所有権法の理論が貧弱であることは否めない」。 所有という概念がどのように成立したかは、人がどのようにして言語を獲得したのかというのと同じように、現在では把握しがたいことです。この問題に取り組んだ研究としては加藤雅信先生によるものがあげられます。 加藤先生は、モンゴル、ネパール、アンデス、アマゾン等における土地所有形態についてのフィールドワークを通じて得た知見を元に、文化人類学および経済学的な見地に立ちつつ、次のよう
ジュンク堂の池袋本店だけでなく新宿店でもトークセッションが開催されるようになったようで、本日開催された萱野稔人氏×北田暁大氏トークセッション「権力と正義」(萱野稔人氏『権力の読みかた―状況と理論』出版記念)に行ってきました。 ※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。 両者の国家論のスタンスについて 北田氏は『責任と正義』で「正義・公正(Justice)」の観点から国家の問題を論じた。 萱野氏は『国家とはなにか』で「暴力」の観点から国家論を展開。 簡単に国家はこうであるべきという「べき論」に行くのではなく、国家の機能分析の議論を展開している。 紀伊国屋書店 ブックレビュー [社会・思想]『国家とはなにか』萱野稔人 「ありそうでなかった独自の国家論」北田暁大 http://www.kinokuniya.co.j
ルイ16世を啓蒙専制君主という文脈から再評価するというのが近年の動向である。啓蒙専制という概念は、実は最近けっこうリバイバルしている。特に超国家的組織、国際的組織に対する批判への反論として使われている。「なるほど世界政府のようなものは民主的ではないかもしれないが、啓蒙専制という考え方もあるじゃないか」と。「国民国家がもたらす戦争や貧富の格差という現実を前に、民主的要素を担保できないという理由で、現状の悪を放置するよりは、民主的要素がなくとも悪を是正し得る方が良いのではないか」と。 プラトンの『国家』には哲人王という概念が示されている。プラトンによれば政治体制は五つに分類される。それは、「王政(一者による善き政治)」、「貴族政(少数者による善き政体)」、「僭主政(一者による悪しき政治)」、「寡頭政(少数者による悪しき政治)」、「民主政(多数者による悪しき政治)」の五つである。多数者による善き
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070427/p2 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070530/p3 の続き。 ……〔アーレント〕が描くのは、「真正な政治 authentic politic」の姿である。ギリシャのポリスを典型例として説かれる「真正な政治」活動とは、言論である(ホーマーの英雄譚にもかかわらず、戦闘活動はギリシャ人にとって第一義的な重要性を持つものではなかった!)。言論として定義された政治活動の、その内容は何かというと、それは何と政治自体である。政治を行うこととは、自らの生物学的な生存のための再生産活動であるところの労働と家庭の場から踏み出し、多くの市民の面前で公に討議し、卓越した弁論の能力を示すことで、自分の死後の世代にいたる記憶を残すこと、それを通じて政治そのものを持続的に可
――小熊英二さん『〈民主〉と〈愛国〉』を語る(上) 『七人の侍』をみて、「これが戦後思想だな」と思った ■「つくる会」に対抗したかった ――小熊さんにこれだけの大著を書かせた動機はなんだったのですか。 ★前著の『<日本人>の境界』で戦後沖縄の復帰運動を書いたこととか、いろいろありますけれど、一つには90年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が出てきたり、加藤典洋さんの『敗戦後論』をめぐる論争が盛り上がったりしたことです。私にいわせれば、あれは「戦争の歴史認識を論じる」というかたちをとって、「戦後という時代をどう考えるか」を論じていたといってよいと思う。「戦争」は「戦後」のネガであるわけですから、「あの戦争をどう位置付けるか」は、「戦後日本をどう位置付けるか」とイコールであるわけです。 しかし当時の私の知っている範囲から見ても、議論の前提になっている「戦後」の認識が間違いだらけだということが、
ぽかぽかとあたたかい日曜日。 まどぎわには、花たちが日向ぼっこ。 外に目をやると、秋明菊の綿毛が風に舞っている。 読書会の前日、上野さんから最近書かれた作品(字)が届いた。 難解な論文もあったけど(笑)、「戦争は『魅力的』か?」という、 こころにジンと響くエッセイのコピーが入っていた。 わたしは、上野さんが一人称で語ることばが好きだ。 ちょうど、『生き延びるための思想』の本と関連だったので、 コピーを配って、読書会のテーマに加えた。 転載の許可を得て、全文を紹介します。 --------------------------------------------------------------- わたしの平和論10(最終回) (月刊オルタ 2006年12月号) 戦争は「魅力的」か? 上野千鶴子 中井久夫さんといえば、すぐれた臨床家にして精緻な精神病理学者だが、かれの近著『樹をみつめて』(み
北海道大学 中島岳志助教授 1月8日朝日新聞より エドマンド・バークは人間の理性の限界を認識し、抽象的理念の普遍性を疑い、歴史の風雪に耐えた具体的な伝統や習慣を重んじる保守主義の立場でフランス革命の熱狂の中で理想社会の実現を解く人々を批判した。「人間は非合理で利己的な存在だ。エゴイズムや怠惰、おごり、ねたみ等を払拭することができない。保守主義者は人間の根源的な「悪」を自覚し、「どんなこともできる」という思い上がりを諫めることが共通する態度である。 保守主義者は人間の「悪」を抑制し、自らの能力への過信を諫める宗教を重視する。また小林秀雄、福田恒存、江藤淳、山崎正和、勝田吉太郎ら戦後の日本の保守主義者は人間の「悪」を自覚し、「政治の限界」を認識した上で文学に関心を向けた。 戦後生まれの「大東亜戦争肯定論」を展開し、いじめ問題については武士道のような精神主義の復活を声高に叫ぶ人たちは真の保守主義
著者は、私の昔の仕事上のライバルだった。私がイトマン事件を追いかけていたとき、必ず取材先に先に行っている朝日新聞の記者がいた。毎日新聞から引き抜かれるという珍しい経歴の持ち主で、日経の大塚将司記者とともに、業界のトップランナーだった。この種の事件は、取材で知りえた事実の1割も記事にはできない(NHKの場合にはさらにその半分も番組にはできない)が、90年代の事件については「時効」になったので、今だからいえる話もさりげなく書かれている。 特におもしろいのは、1998年の接待疑惑の発端となった大蔵省証券局の課長補佐の事件だ。彼は接待だけでなく、風俗店(ソープランド)に頻繁に行っており、これが逮捕の決め手になった。当時の霞ヶ関の暗黙のルールでは、接待はシロだが現金はクロで、女は現金と同等という扱いだったからだ。ところが逮捕してから、この風俗の出費は自費(!)であることが判明した。検察は動転したが
政治団体の不明朗支出問題が新聞を賑わせている。 「事務所費」「備品・消耗品費」に高額の支出が計上されているにもかかわらず、明細や領収書提出の義務がないので、何に使われたのかわからない。 松岡利勝農相の政治団体は「備品・消耗品」に2年連続で1300万円を計上しているが、明細が示されていない。 政治資金規制法によると「備品・消耗品」にカウントされるのは「机、椅子、ロッカー、複写機、事務所用自動車、事務用用紙、封筒、鉛筆、インク、事務服、新聞、雑誌、ガソリンなど」だそうである。 この費目で年間2000万円超を計上している政治団体もある。 たぶん事務所自動車はロウルズロイスとフェラーリ、事務服はアルマーニのオーダー、ボールペンはフィッシャー、鉛筆はコヒノール、ガソリンはアラブ首長国連邦からの直送なのであろう。 要するにこれは政治団体は「使途不明金」という費目を正式に計上してもお咎めがない、というこ
第36回 “鉄は国家なり”のやり方から抜け出せない国の経済政策 経営コンサルタント 大前 研一氏 2006年7月12日 6月22日に政府の経済財政諮問会議で、経済成長戦略大綱の原案が提出された。これから始まる人口減少時代に向けて、持続的な経済成長を目指すため、健康、福祉、育児、観光などサービス産業の重点6分野で2015年までに70兆円の市場拡大を目指したものだという。年平均2.2%以上の成長を目指して、それぞれの分野で短期、中期、長期の目標を明記してある。ここでは新世代自動車用の蓄電池やロボット産業などのほか、これまで成長戦略とはみなされなかった農業や医療の分野も盛り込まれた。 だが、わたしはその原案を見て、違和感を持った。まずこの原案の骨子をまとめた表を見てほしい。 一見して分かるとおり、戦略といえるものはほとんど書かれていない。医療品の分野では、「後発医薬品(ジェネリック薬品)
GNP、GDPは国の経済規模を測る指標として、また経済発展を測る指標として定着しているが、経済万能主義は誤りだとして、それに代わる発展の指標がかねてより追い求められている。 代表的なのは人間開発指数(HDI-Human Development Index)であり、厚生(ウェルフェア)の考え方としてインカム(所得)・アプローチからケイパビリティ(潜在能力)・アプローチへの転換を打ち出したノーベル賞経済学者アマルティア・センの影響下、比較的計測しやすい指標として国連開発計画(UNDP)が毎年計測し、毎年の「人間開発報告書」の中で公表している。 ここでは、1980年からほぼ5年おきの人間開発指数の推移を上位30カ国についてグラフにした。また第2の図に下位30カ国の現状と推移を図示した。(世界の地域別推移は図録1125参照) 人間開発指数(HDI)は、「所得」と「平均寿命」と「教育」という3つの指
・連載終了にあたって(下)今こそ求められる日本の「國體」 (2008/9/24) ・連載終了にあたって(上) 左右の「バカの壁」破ろう (2008/9/17) ・福田総理にあてた記者の公開状 (2008/9/10) ・メドベージェフの“乳離れ” (2008/9/3) ・パキスタン大統領の辞任 (2008/8/27) ・グルジア問題の背景(下) (2008/8/20) ・グルジア問題の背景(上) (2008/8/13) ・北方領土ビジネスを駆逐せよ (2008/8/6) ・北方領土と竹島(下) (2008/7/30) ・北方領土と竹島(中) (2008/7/23)
新宿高校で配ったメモ。 - 明治学院大学社会学部社会学科 出張模擬授業(都立新宿高校、2006年6月28日) ゲームと公共性 稲葉振一郎(明治学院大学社会学部教授 URL:http://www.meijigakuin.ac.jp/~inaba/) *ここでいう「ゲーム」は日本語で言うところの広義の「テレビゲーム」、英語で言えばvideo gameを中心に考えている。狭義の「テレビゲーム」は言うに及ばず、ファミコンなどの家庭用ゲーム機や携帯ゲーム機用のゲームはもちろん、パソコンゲームや業務用マシン上のゲームをも含む。「ヴィジュアル中心のコンピュータゲーム」と言い換えてもよい。 オンラインネットワークゲームについては、とりあえず考察から除外する。これは重大な限界である。 1 80年代半ばから、おおよそ90年代半ばまでの十余年の間に、日本においてゲームは娯楽の王様――に近いところまでのポピュラリ
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