ブックマーク / blog.tatsuru.com (18)

  • ミドルメディアの時代 - 内田樹の研究室

    出版社からいろいろが送られてくる。 「ぜひご高評賜りたく」というようなことが書いてある。 でも、よほどのことがないと書評は書かない。 つまらなければそのままゴミ箱に放り込み、面白ければ酔っぱらいながらでも読み進み(翌朝内容をすっかり忘れている)というような自分勝手な読み方は書評家には許されないからである(当たり前だが)。 だから、これまでにいくつかの新聞社や出版社から書評委員になってほしいというオッファーが来たけれど、全部お断りした。 それでも、は毎日のように送られてくる。 でも、年末から久生十蘭が「マイブーム」なので、送られてきたまでなかなか手が回らない。 でも、面白そうなは「寝ころんで休憩」というときにぱらぱらとめくることがある。 たまたま手に取った『2011 年 新聞・テレビ消滅』(佐々木俊尚、文春新書)がたいへん面白かった。(注:最初『2010年』と書いていました。訂正しま

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    toryu_rin 2010/01/12
    小商い
  • AO 入試が始まった - 内田樹の研究室

    AO入試の第一次選考。 これから3月半ばの後期試験の判定教授会まで、半年にわたる長い入試シーズンが始まる。 入試部長として、この入試業務の全体を統括しなければならない。 もちろん実務は入学センターの職員がやってくれるので、決定したことについて(とくに失敗したことについて)責任を取るのが私の仕事である。 立場上責任を取ったり謝ったりすることはさっぱり気にならない。 世の中には、「立場上」であれ、責任をとることを好まぬ人もおられるけれど、「立場上」というのは要するに「命までは取らない」ということである。 そういう機会に「取れるものは取っておく」というのはずいぶんと大事なことである。 予定納税のようなものである。 そのうち「どかん」と来るかもしれないものを小出しに払っておくと後で助かる。 私が「わりとどうでもいい局面」ですぐに謝るのは、「絶対譲れない局面」で絶対謝らないための「貯金」をしているの

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    toryu_rin 2009/09/29
    「私が今、ここで、この人から、このことを学ぶことは生まれたときから決定されていたのである」という妄想に近い断定によって学びは劇的に進捗する。<いまここ
  • 露天風呂から桜島 - 内田樹の研究室

    鹿児島での九州の高校の公民科の先生たちの集まりで講演。 鹿児島には梁川くんがいるので、90 年から後何度も訪れた。去年も鹿児島大学で講演して、黒豚をべて、美味しい泡盛を飲んだ。 今回は城山観光ホテルに投宿。宴会&露天風呂付きである。 講演がなければプチ・バカンス気分である。 あ、こういうことをフランス語の教師が書いてはいけないね。 「休暇」という意味の「バカンス」は通常複数形で用いられるから、あえて表記すれば petites vacances「プティット・ヴァカンス」で「プチ・バカンス」ではない。 フランス語の表記の間違いはたいへん多い。ほとんどすべての看板のフランス語は間違っていると言って過言ではないくらいだ。 家の近所に La Tour Blanc 「ラ・トゥール・ブラン」というレストランがある。 「白い塔」というつもりなのだろうが、tour は女性名詞であるから、これは La To

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    toryu_rin 2009/08/10
    「現代はコミュニケーション能力が病的に低くても生きていける社会、つまり「ひとりでも生きていける社会」。そこではコミュニケーション能力を開発するインセンティヴは損なわれる。」
  • まず隗より始めよ - 内田樹の研究室

    授業の合間に取材が二つ。 ひとつは三菱系のシンクタンクから「10 年後の日はどうなるか」というテーマで。もうひとつは資料請求者に配布するリーフレットの「神戸女学院大学って、こんな大学です」というパブリシティ。 両方で同じような話をする。 同じ人間が続けて話をしているのだから、内容が似てくるのは当たり前であるが、それにしてもそれは「10 年後の日が神戸女学院大学のような社会になる(といいな)」というふうに私は考えているということを意味している。 何を荒誕なことを、と笑う人がいるかもしれないが、これは私にとってはごく自然な考え方である。 今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。 革命をめざす政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。 もし、その政治党派

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    toryu_rin 2009/05/14
    公正な社会のつくり方
  • 厭味なインタビュイー - 内田樹の研究室

    取材が続く。 火曜日が講談社の Grazia、水曜がリクルートの受験雑誌、木曜が朝日新聞。 取材のお題はそれぞれ「30代女性の生き方」「親は受験生をどう育てるべきか」「モンスター・ペアレンツ」 まことにさまざまである。 どのメディアに対しても基的には同じことをお答えする。 「そういうことはあまり問題にしないほうがいいですよ」である。 これらの問いはいずれも「人間の生き方」「育児戦略」「公民としてのあり方」については「あるべきかたち」が存在し、「あるべきかたち」ではないことがさまざまな不幸を生み出しているという論理形式を前提している。 このような信憑を刷り込まれることで一部の人間は向上心を掻き立てられるが、ほとんどの人(「向上心はなくはないが、行動が伴わない」タイプの人たち)はあまり幸福にはならない。 そういう人たちの前に「成功事例」をニンジンのようにぶら下げてもあまり「いいこと」はない。

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    toryu_rin 2009/01/18
    衣食足りて礼節を知る、という話。そして生産性は下がり、国家もろとも衣食足りなくなってゆく...
  • とっても忙しい週末 - 内田樹の研究室

    師走である。 ほんとうにばたばた西へ東へ走っている。 風邪はようやく癒えた。 週末と来週にかけて最後の「死のロード」があり、はたしてちゃんとおつとめできるかしらと懸念していたのであるが、とりあえず治ってよかった。 土曜日、合気道の稽古をお休みして東京へ。 まずは苅谷剛彦さんと『中央公論』のための対談。仕切りは『大学ランキング』の小林さんと中央公論の井之上くん。 苅谷さんとお会いするのははじめてである。 苅谷さんはこの秋からオックスフォードの先生になられたので、イギリス住まいである。 今回は東大での集中講義のために一時帰国しているところを時間を作っていただいた。 話題はもちろん教育問題。 苅谷さんの『階層化日教育危機』は過去十年のあいだに読んだの中で、もっともインパクトのある書物の一つであった。 「インパクトがある」というのは内容が驚嘆すべきだったというだけではなく、その驚嘆すべきコン

  • 親密圏と家族 - 内田樹の研究室

    N経済新聞社から難波の個室ビデオ放火殺人事件についての電話コメントを求められる。 別にこの事件に興味ないんですけど・・・と言いながら結局40分くらいしゃべってしまう。 容疑者は46歳で、もとM下電器のサラリーマンである。ちゃんと学校を出て、結婚もし、子もあり、家もあった「中流の人」である。 それがここまで一気に転落する。 転落を途中でい止めるための「セーフティネット」が機能していなかったということである。 親から家を相続して、それを売ってしばらく糊口をしのいだ時期がある。親からの贈与が「セーフティネット」として一時的には機能したのである。 けれども、それに続くものはもうなかった。 現代社会に「セーフティネットがない」ということ、その整備が必要であることは政治学者も社会学者も心理学者も指摘する。 けれども、その場合の「セーフティネット」とはいったい何のことなのだろう。 行政による貧窮者へ

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    toryu_rin 2008/10/16
    親に愛されなかった子供を追い詰めてしまう言説。
  • 『学び合い』フォーラム (内田樹の研究室)

    8月8日、9日は新潟に「第四回教室『学び合い』フォーラム2008」の講演に出かける。 『学び合い』というのは上越教育大学の西川純先生が提唱しているきわめて斬新な教育法である。 小中学校において劇的な効果を上げて、今全国の教室に拡がり始めている。 フォーラムはその実践者(およびこれから実践しようとしている)教員たちが日中から集まって、公開ゼミや模擬授業をするというイベントである。 と、わかったようなことを書いているが、そんなことは行くまで知らなかった。 教育現場からのお声掛かりであれば、できるかぎり講演のオッファーは受諾すると言っている手前、引き受けたものの、「この暑い中、新潟は遠いなあ」とぐったりしながらでかけたのである。 行ってびっくりした。 教師たちの集まりにはずいぶんお呼びいただいたけれど、正直言って、聴衆の熱意には天と地ほどの差がある。 ぼんやり講壇を見ているだけで、寝ている人間

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    toryu_rin 2008/08/11
    個の力と場の力
  • a hollow man - 内田樹の研究室

    桂の西願寺の研修道場にて「現代霊性論」と題する講演。 聴衆は研修会に参加されている全国各地の若手の僧侶のみなさんである。 教学や組織論の講義のあいまに、私がひとりだけ「非僧」の民間人として講師にまぎれこんでいる。 今回のテーマは当日朝発作的に思いついた「記号と霊性」。 私たちの社会でいま急速に進行しているのは、「記号化の過剰」とでもいうべき事態ではないか。 そんな気がしたのである。 あらゆる人間的営為をことごとく数値化・定量化し、それを「格付け」するという操作に日人がこれほど熱中したことがかつてあっただろうか。 私の記憶では、ない。 文科省が大学に提出を要求するペーパーの要求のうちいくつはもうほとんど「ものぐるひ」のレベルに達している。 そこには、「教育目的」と「教育方法」を記述し、そのプログラムがどのような「教育効果」をもたらしたかを数値を明らかにした evidence based

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    toryu_rin 2008/06/12
    定量・定性化を突き詰めた先にそれでもこぼれ落ちるものを見てみたい。真摯な工学的アプローチもあるということを知る今日この頃
  • 「政治的に正しいこと」は正しいのか? - 内田樹の研究室

    バリ島海水浴でばりばりに日焼けした上にスキー焼けしたので、季節感のない色黒男になってしまった。 むかしはこういうのを「くろんぼ大会」と称したのであるが若い人はご存じないであろう。 1960年代までは夏休み明けに一番黒く日焼けした子どもを学校で表彰していた。 たいへんよい企図のものであったと思うのだが、「くろんぼ」がご案内のとおりポリティカリーにコレクトではないということで使用禁止用語となり、ついでに「よく遊んだこと」を肌の黒さを基準に考量し、これを讃えるという風儀もまた失われたのである。 ポリティカル・コレクトネスによる用語制限によって私たちが得たものと失ったものはどちらが多いのか、ときどき疑問になる。 自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣を定着させたという功績はむろん高く評価されねばならぬ。 だが、PC の難点は「自分の語法に伏流するイデオロギー性を自己検閲する習慣に伏流

    toryu_rin
    toryu_rin 2008/03/16
    >「要するに、お前が社会的に何ものであるかなんてことに、オレはぜんぜん興味ないわけよ」というメッセージを発信←差別問題が尽きない構造を喝破。無知無関心の恐ろしさを知れ
  • そろそろ春だけど - 内田樹の研究室

    昨日も今日も会議。 この一週間、数えたら会議が10回あった。 その10回目。 ほとんどの会議が同じ顔ぶれである。 大学教員には二種類がいる。 「会議に呼ばれる人」と「会議に呼ばれない人」である。 たいていの場合、「会議に呼ばれない人」はその会議での議題について、特段の意見がない方ではない。むしろ、当該論件について、きっぱりとした意見をお持ちの方が多い。 彼らが呼ばれないのは、その人が会議で発言を始めると、会議がたいへん長引くからである。 だから、「会議に呼ばれる頻度の高い人」は、「会議で長時間無言でいることに耐えられる人」か、「会議を早く終わらせる特技を有している人」かどちらかである。 私はご案内のとおり、会議で長時間無言でいることに耐えらるような度量の大きい人間ではない。 しかし、私が我慢できずに「ええい、めんどうだなあ。あのね、早い話が」と発言を始めると、場はたちまち収拾のつかない混乱

  • 情報と情報化 - 内田樹の研究室

    前にラジオでおしゃべりしているときに養老孟司先生から「情報」と「情報化」というのはまるで違うことだと教えていただいたことがある。 情報化というのは「なまもの」をパッケージして、それを情報にする作業のことである。 例えば、獣を殺して、皮を剥いで、肉をスライスするまでの作業が「情報化」だとすると、トレーに載せられて値札を貼られて陳列されたものが「情報」である。 「情報」(トレーの上に並べられた肉)を他の「情報」(隣のトレー)と見比べているときに、(こちらが豚肉で100グラム200円、あっちは牛肉で100グラム400円・・・というような比較をしているとき)それが「情報化」されたプロセスのことを私たちは考えない。 情報の差異の検出に夢中になっているとき、私たちはそもそもそれらの情報がどうやって私たちの下に到達したのかという情報化プロセスのことをできるだけ考えないようにしている。 私たちの脳は同一の

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    toryu_rin 2008/02/23
  • 「神々」の声 - 内田樹の研究室

    学校から帰ってきたので、さきほどの続き。 ジュリアン・ジェインズの「脳機能分化論」である。 630頁もある大冊なので、内容を要約することはむずかしいので、最初の方の「さわり」だけご紹介する。 ジェインズが資料に使うのはホメロスの『イーリアス』である。 この古典には「意識」とか「意志」とか「精神」とかいう語が存在しない。 ジェインズによると、それは「『イーリアス』に出てくる人々は自らの意思がなく、何よりも自由意思という概念そのものがない」(94)からである。 古代ギリシャというのは「意識」という概念がない世界なのではないかとジェインズは推論する。 「意識」がない人間はではどうやって思考したり判断したりするのであるか? 答えは聞いてびっくり。 彼らは「神々」が命じるとおりに生きるのである。 古代ギリシャにおいては「神々が意識に代わる位置を占めている」(96)のである。 「行動は、はっきり意識さ

  • イタリアンはどうして美味しいの? - 内田樹の研究室

    金曜日は歌のレッスンとゼミと会議。 1年生のゼミはとっても面白い。 今日のテーマは「文化」。 「スローフード」とか「品偽装」とか「べ物」ネタが女子学生たちは好きである。 イタリア料理はどうしてこんなに美味しいのかという剛直球一勝負のプレゼンがある。 もちろん、大学一年生の諸君のプレゼンであるから、どうしてイタリア料理が美味しいのかについて私を納得させられる説明を期待することはむずかしい。 イタリア人はそうやって彼らの伝統的な文化を守っているのですというような定型的なフィニッシュのあとに「それは違うよ」と申し上げる。 まず学生諸君に質問だ。 次の材のうちヨーロッパ原産のものはどれであろうか。 トマト タマネギ オリーブ ジャガイモ キャベツ 小麦 胡椒 唐辛子 ヨーロッパ原産というときの原産はとりあえず「紀元前後にはもう地中海世界でされていた」という「ゆるい」定義にしておいてよ

    toryu_rin
    toryu_rin 2007/12/09
    最近話を聞く機会があり非常に衝撃を受けた、長浜の黒壁が「開放」的な事例だった。土着の発想から一段図抜けたところで成立した成功例。
  • 卒論中間発表です - 内田樹の研究室

    卒論の中間発表がある。 うちのゼミ生は15人なので、正午から始めて終わったのが午後6時過ぎ。 ふう、疲れた。 でも、面白かった。 女子学生たちの選ぶ論題は「身近なもの」が多い。 「の崩れ」「家庭崩壊」「学力低下」「ニート」「おひとりさま」などなど・・・ 中には「映画の構造分析」や「存在するとは別の仕方」というようなちょっと抽象的な主題を扱う学生もいる。 いろいろ。 別に何だっていいんだよ。 メディアで流布している「説明」に対して「ちょっと、それは違うんじゃないのかな・・・」という違和感があるときに、自分を納得させることのできる、身体的な実感のあることばを自力で書いてみること。 それがたいせつだ。 誰かの語る「正しい説明」を丸暗記して、腹話術の人形のように繰り返しても、あまりいいことはない。 「正しい説明を丸暗記して、そのまま繰り返すのは間違っている」のではない(だって「正しい」んだから間

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    toryu_rin 2007/10/12
    「キミなんかべつに存在しなくてもいいんだよ。だって、いくらも替えがいるから。と言われても反論できないというのが「正しいこと」を言い続けることのコストである。」<それはいやだ
  • この夏最後の出稼ぎツアー - 内田樹の研究室

    「県立学校2年次校長学校経営研修講座」の講師に招かれて、兵庫県立教育研修所というところに出かける。 御影から六甲山に登って、トンネルで裏へ抜けて、中国道を20分ほど走って滝野社ICで降りて、10分くらいのところにある。 県立高校の校長先生たち相手の研修である。 今年の夏はずいぶんいろいろなところで学校の先生たちを相手の講演をやった。 舞子での兵庫県私立教員研修会、兵庫県教組宝塚支部の8・15集会、大阪府教組の研修会、神戸海星での兵庫県の学校図書館の会議、それから今回。 お相手も中堅教員、教組組合員、司書、校長先生と多種多様である。 原則として教育現場からお声がかかったときには必ず行くようにしている。 メディアで発言する知識人の中に、教育現場の先生たちを応援する立場から発言する人がぜんぜんいないからである。 教育現場の実情をほとんど知らない人たちでも、とりあえず教員の悪口さえ言っていれば、そ

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    toryu_rin 2007/09/22
    「私たちが労働するのは〜生き延びるためである」。けだしシンプル。そしてシビア。
  • またまた東京へ - 内田樹の研究室

    またまた東京へ。 こんどは文春のみなさんによる祝賀会である。 『寝ながら学べる構造主義』以来、文春とはけっこう長いお付き合いとなった。 文庫も出してもらったし、『文学界』に連載もしたし、『文藝春秋』にも何度か寄稿した。 今回の受賞作も文春新書で出していただいたものである。 お礼を言わねばならぬのは私の方なのであるが、先方がお祝いをしてくださるというので、ほいほいと東京へ行く。 学士会館にチェックインして、まず『週刊ポスト』の取材。 少子化問題についてコメントを求められる。 どうして私のような門外漢にそのような問題のコメントを求められるのか、いつも疑問である。 専門家の方々がすでに熟知されている以上のことを私が知るはずもない。 人口はマクロな尺度をとっていえば、環境の「キャリング・キャパシティ」にしたがって変動する。 13000万人が現在の日の自然環境・社会環境にとって負荷が重すぎ、全員に

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    toryu_rin 2007/09/12
    消費拡大のための自己責任
  • 内田樹の研究室

    ローカリズム宣言 地方移住のための情報誌「TURNS」で2年間ほど連載していたインタビューを採録しました。グローバル資主義の終焉、少子高齢化による過疎化と限界集落化という現実を踏まえて、「地方移住・帰農・山河の回復」というオルタナティブについて提言をしております。 昨日うかがった話では、地方移住支援のためのある NPO の窓口を訪れた人は去年一年で 25,000 人、10 年前の 10 倍にのぼるそうです。半数以上が 20 代 30 代とのこと。 この趨勢はもう止まることがないでしょう。 デコ/2017-12-07 変調「日の古典」講義 安田登さんと二人であちこちで行った対談の集成。話題は『論語』から能楽まで多岐にわたります。安田さんが何か驚くべきことを言うとこちらも負けじとさらに驚くべきことを言い、安田さんがそのような挑発を受け流すはずもなく、さらに驚くべき話で切り返す・・・という悪

    toryu_rin
    toryu_rin 2007/07/24
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