ニコニコ超会議3が終わった。個人的にこれまで参加したすべてのイベントの中で最高のイベントだった。特に、「わかってる企業ブース」と「訓練された観客」が素晴らしかった。いずれドワンゴ運営は彼らに完全敗北し、超会議を手放すことになるだろう。 超会議1,2では企業ブースはオマケのような扱いだった。出展側企業はニコニコのことがよく分かっておらず、既存イベントと同じようなブースを構え、そして閑古鳥が鳴いた。彼らを擁護しておくと、展示会イベントというのは「いかに製品をニュースに乗せるか」「いかにサンプリングを配るか」「いかに消費者に製品を体験してもらうか」という概念で作るものなのである。プロモーションなのだから、とにかく商品の魅力をまっとうに訴えねばならないのだ。 萌え選挙カーに有権者を乗せて接待してあげるとか、バスケットコートを作るとか、最中アイスなのに進撃の巨人前で縄跳びするとか、意味ないわけですよ
I have been doing interactive programming in ClojureScript recently. After having spent some time with it, I can easily say that when I return to projects that don’t have an interactive workflow I feel like I am in the stone ages. When I say interactive programming I explicitly mean that as I make changes to a ClojureScript file, the compiled javascript makes its way to the browser so that I can s
May 01, 2014 Not Your Father's Java: An Opinionated Guide to Modern Java Development, Part 1 By Ron This is part 1 in a three-part series: part 2, part 3 More working, useful code has been written in the Java programming language than in any other in history, with the possible exceptions of C and COBOL. When Java was released almost 20 years ago, it took the software world by storm. It was a simpl
クーリエ・ジャポン編集部ブログでは、クーリエ本誌でも紹介した海外メディアによる国際情勢やビジネス、社会、教養にまつわる話題などをわかりやすく提供しています。紹介した記事はfacebookやTwitterなどのソーシャルメディアを介して多くの方が閲覧しています。編集部Kです。皆さんラーメンはお好きですか? 好きとか嫌いとか以前に、クーリエ・ジャポンは「ラーメンは日本人の教養である」と言い切ってしまいました。もう後戻りはできません。今月号「教養」特集における、哲学や宇宙論など高尚な学問と並んでの、ラーメン。シャレでも箸休めでもありません。ラーメンは日本のソウルフード! ラーメンこそ日本を代表する食の親善大使! ラーメンを知らずして日本は語れず! ……少なくとも担当者のわたくしはそう信じて、記事をつくりました。 台北、上海、バンコク、シンガポール、ジャカルタ。いまやアジア各国に日本のラーメン店
なんかごく一部に補足されているので、念のため軽く説明しておきます。 masahiro nagano@kazeburo某所のlestrratさんのgolangなアプリはhot-deployが可能になってる。サーバはserver_starter経由で起動されていて、バイナリ消してHUPを送ると自動でビルドしなおしてプロセスを入れ替えてくれる。便利 2014/04/30 12:18:31 これ、ベストな方法だとは思っていないんだけど、最初にこれを書いた当時の考え方は以下の通り: これは自分の部署で初めて 本番に設置するgoアプリである一次対応をする人は自分とは限らない細かいコード内容の修正はともかく、明らかなバグっぽいものの修正(例:SQL文の変更)などを自分以外の人間が施した後にサーバーを簡単に再コンパイル+再起動するする方法がないと椅子が降ってくる事が容易に予想される Apache::Log
日本の文章書きがコンピュータに出会ったのは、80年代にワープロ専用機が普及してからだった(ここでいう「文章書き」は、職業的な物書きだけでなく、日常的に文章を書く一般ユーザーのことね)。 だけど長い間、ワープロは「清書機」とみなされてきた。多くの人が意義を見出したのは、漢字仮名交じり文をキーボードで打てるということ、そして自分の書いた文章が美しい「活字」として印刷されること。当時のワープロのレビューとかは、まずは印字品質(そして飾り文字や罫線の種類)、そして漢字変換の性能を取り上げていた。 編集機能が思考プロセスに大きな影響を与えることに気づくユーザーもいたけど、開発メーカーも含めて、本質的には原稿用紙時代の発想から抜けられなかったし、この時代のワープロが文章書きのプロセスに劇的な飛躍をもたらすことはなかった。 文書容量の少なさが最大のネックだったけど、そもそも文章を編集することが、頭の中身
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