essayに関するtsuka_ryoのブックマーク (25)

  • 読書メモ:工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱(今野浩 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

    工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱 作者: 今野浩 出版社/メーカー: 青土社 発売日: 2016/10/20 メディア: 単行 この商品を含むブログを見る 最近は、昼飯を外でべることにしている。以前は会社で仕出し弁当をべていたのだが、ハンバーグ・焼き魚・コロッケなどの主役級のおかずがいくつも入った豪華弁当は虚弱な腸にはダメージが大きすぎた。あちこち探して、千代田区役所の堂をみつけた。主菜(3種類から選べる)・小ライス・みそ汁・小鉢の500円定。今の自分にはちょうどよい。振り返ると大学生のころの生活が一番酷くて、弁当箱に白米とサバの缶詰をつめて昼ごはんにしたり、パン一斤を晩ご飯にしたりしていた。少なくない仕送りをもらっていたのだが、ただ単に「べること」を軽んじていたと思う。成人してから腸の働きが思わしくないのは、大学時の粗悪な生活のせいかもしれない。悔やまれる。 『工学部

    読書メモ:工学部ヒラノ教授とおもいでの弁当箱(今野浩 著) - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
  • 反抗なきロックの時代

    若い時分、僕の周囲にはロックミュージシャンしかいなかった。アマチュアからベテランまでたくさんの人たちと関わって、たとえば「ミュージシャン」と「芸能人」の間にある微妙な差だとか、フリーランスの演奏家として生きていく彼らの職業意識だとか、そういうものを学ばせてもらっていた。概して彼らは低姿勢だったけど時によっては「ロック」な立ち居振る舞いで、彼らの語る70年代や80年代の武勇伝を聞きながら、さすがにビール瓶で頭を殴られて流血こそしなかったものの、これでも時代はマシになった方なのだろうな、と感じていたものだ。 いいとか悪いとかの話ではなく、それはある環境が生み出した生き方だったのだと思う。そして、産業化され、大きな市場になっていた90年代の音楽シーンにおいては、衝動的な自己表現が溢れた結果としてのロックの居場所は、かつてよりは小さくなっていた。「マス」という存在を意識できる演奏家たちは、その変化

    反抗なきロックの時代
  • |数学の贈り物|みんなのミシマガジン

    2015.10.01更新 僕は絵が下手くそである。どれくらい下手かというと、高校時代に水彩画を描かされたとき、自分では写実的に森を描いたつもりが、先生には抽象的な生き物の絵と思われて「この脚がすごくいいよ」などと、ほめられたくらいに下手である。 むかしから犬や花や、何か具体的なものを描けと言われるとまったくダメで、その代わり、白紙に思いのままに描いた線に、自分が何を描こうとしているのか確かめるようにして、筆を運んでいくのは好きである。 言葉も同じで、講演やスピーチの前に、原稿や資料をきっちり準備するのは向いていない。絵を描く前から犬や花を描けと言われているような気がして、窮屈なのだ。やっぱり、空手で人前に立つのが一番だ。自分が何を話すのかわからないまま、その場で言葉を紡ぐ時間は愉快である。 キャンバスの上にはキャンバスの秩序があって、言葉の上には言葉の要求がある。それがキャンバス、あるい

  • 吉川浩満『理不尽な進化』 - logical cypher scape2

    進化論についての言説史的な(?)エッセー(?)。どういうなのか一言で説明するのはちょっと難しいが、「何故非専門家は進化論について誤解するのか」「何故グールドは混乱した議論を展開したのか」という問いをたて、非専門家やグールドがアホだからとはせずに、進化論にはそういう罠が仕掛けられているのではないかと論じていく。 進化論という取り上げているテーマ自体は、科学・生物学ではあるが、問いの立て方や議論の展開は、人文書的であると思う。 科学哲学や生物学の哲学か、といえば、そういうところもないわけではないが、いわゆる「科学哲学」や「生物学の哲学」と書はやはり興味関心の所在が違う。 あるいは、一種の「批評」かもしれない。 批評の面白みの一つとして、「この○○を使って××を読み解くのか」という組合せの妙、みたいなものはあると思う。これが妙になるかトンデモになるかは、書き手の腕次第ということになるが。 こ

    吉川浩満『理不尽な進化』 - logical cypher scape2
  • What Friedrich Nietzsche Did to America (Published 2012)

  • 丸山真男とアソシエーショニズム (2006) - 柄谷行人

    1960年代以来、丸山真男といえば、西洋に比べて日の前近代性を批判する知識人、つまり、近代主義者という否定的なイメージができあがっていた。私もその通念から自由ではなかった。初めて丸山について真剣に考えるようになったのは、1984年ごろである。それは日でポストモダニズムの現象が注目を浴びた時期である。それは先ず、「現代思想ブーム」というかたちであらわれた。私自身がその代表者の一人と目されていたが、私はそれをはなはだ不意に感じた。私はそれまで「近代批判」の仕事をしてきたが、それとこのようなポストモダニズムとはまるで違うものだったからである。 このとき、私はそれまで取り組んできた仕事がまちがいではないが、どこか的が外れていると感じた。私が考えていた「近代批判」はつきつめると、自発的な主体(主観)に対する批判ということになる。各人は自発的な意志をもつと思っているが、それは「他人の欲望」によっ

  • 筑摩書房 PR誌ちくま

    鶴見俊輔は、いつも人をまっすぐ見つめる。彼は人間の価値を、規制の枠組みの内部では捉えない。 学歴、肩書き、地位、名誉……。 彼は名刺を投げ捨て、権威を疑う。そして、合理的思考の外部に属する人間の性質に、当の価値を見出す。 鶴見に小賢しさは通用しない。そんなものは、人間にとって何の価値もない。「樽」の中の論理は、「樽」が崩壊すると、何の役にも立たなくなる。それどころか、「樽」に合わせて自己を形成した人間は、「樽」の崩壊が自己の崩壊につながる。そんな自己を抱きしめて生きることに、何の価値があるのか。 鶴見は、この「樽」の中の論理を「一番病」と言う。既成の「正しい答え」を即座に割り出し、権威者の顔色を見る。そして一歩ずつエリート街道を突き進み、自己を失っていく。一番病患者は「パブロフの犬」なのだ。 鶴見は言う。 「エジソンは、東大には入れない」。 戦後、丸山眞男は「ファシズムというものは、亜イ

    筑摩書房 PR誌ちくま
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/09/03
    中島岳志書評:『日本人は何を捨ててきたのか――思想家・鶴見俊輔の肉声』 鶴見俊輔・関川夏央 著
  • ロンドン暴動と『リトル・ピープルの時代』 - 日々の音色とことば:

    移転しました。新URLはhttp://shiba710.hateblo.jp/です。ここは更新されませんがアーカイブを置いておきます ここ半月くらい、ことあるごとにロンドン暴動のことを考えていた。暴動そのものというより、それが象徴する「暴力」のあり方について考えていた。第一報を聞いてから、「とても対岸の火事とは思えない」と直感的に感じたことがその一つ目の理由。そして、これは音楽の問題、というか想像力の貧困に突き付けられた問題、ということを思ったのがもう一つの理由だ。 僕は暴動に直接関係のある立場ではない。ロンドンには何度か行ったことはあるけれど、燃え上がる火の手を直接見たわけでもないし、発火点となったトットナムの雰囲気を知っているわけでもない。だから、あそこで暴徒になった人達のことを、直接僕は語ることはできない。でも、「何かがおかしい」という感覚が、とにかくあった。何が起こっているのだろう

  • JT生命誌研究館:サイエンティスト・ライブラリー 岡田節人 「ルイセンコの時代があった 生物学のイデオロギーの時代に」

    1927 年、兵庫県生まれ。50 年京都大学理学部卒業。同大大学院を経て、54 年同大理学部助手。57 年よりエジンバラ動物遺伝学研究所(英国)、カーネギー発生学研究所(米国)にて研究。60 年京都大学講師、61 年同大助教授、67 ~85 年同大教授。84 年より岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所所長、89 年より同機構長。93 年よりJT 生命誌研究館館長、現在に至る。国際発生生物学会総裁、国際生物科学連合副総裁などを務め、国際的にも、独特の岡田節ぶしで知られている。 私自身の経歴――これを私誌という――については、これまでさまざまなところで語ってきたし、いささか興味をもってくださる方もあって、あちこちに書きもしたので、繰り返して語るのはあまり気のりがしない。しかし、今回は、わが生命誌研究館の刊行する雑誌『生命誌』のサイエンティストライブラリーのためのもので、いわば私にとっての「

  • Poetry in motion - Nature

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/06/25
    A quantitative approach to the humanities enriches research.
  • KEN'S COLUMN

    「別れ」 サージが Ken Band を去ることになった。 10月、Ken Band は「Ciao Baby ツアー」と銘打ってツアーを行う。これがサージとの最後のツアーになる。 サージが去る理由は一つ、遂にバンドと仕事の両立が難しくなってきたのだ。 サージはこの問題と過去5年弱の間、ズーッと闘ってきた。 サージはバンド結成以前から、キチンとした仕事に就いていた。オレも大人なので、仕事を辞めて欲しいなどと思わなかった。20代前半の、全てを夢に賭けられる時期は、オレ達は通過してしまっていた。 仕事をしている人間にとってツアー・バンドに参加するというコトは、フルタイムの仕事を2つ抱えるコトを意味する。お互いの可能な状況の中で出来る限りの活動をしたい、そう話した。サージもそれを望んだ。 最初に Ken Band を結成した時は、ここまで物事が上手く運ぶとは、誰も考えていなかった。こ

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/06/22
    『横山健の別に危なくないコラム vol.73』
  • 咳をしても一人 革命はテレビ中継されない

    [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ギル・スコット・ヘロン 『ピーセス・オブ・ア・マン』 1971 盆明けに長野県は安茂里で開催される謎のDIYフェス、なんとかフェスに参加しようと思っている。何が起こるかまったくわからない不安と期待を抑えつつ、相応しい歌詞の曲があったので拙いながら訳を試みた。 Gil Scott-Heron - The Revolution Will Not Be Televised You will not be able to stay home, brother You will not be able to plug in, turn on and cop out You will not be able to lose yourself on skag and skip out for

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/05/28
    Gil Scott-Heron 「The Revolution Will Not Be Televised」和訳
  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 日本に瀰漫した信用の不在について

    いま、日に何が起きているのか。 あまりに大きく、複合的な災害の前でひとは、何を考え、どう動いていくのか。 被災地の救援、復旧、復興へ向けて、あるいは現在危機に瀕している避難場所の状況改善へ向けて、原子力発電所の安定化へ向けて、電力不足への対応に向けて、産業の停滞への対応に向けて、直ちにやらなければならないことは、あまりにも多く、どこからどのように手をつけていったらよいのかを冷静に判断することができない。 正直で、隣人愛にあふれ、モラルをもって行動することができる日ならきっとやれる、世界も日の冷静さを賞賛している、と思いたいが、しばらくは希望と現実の落差に苦悩することになるだろう。日人ひとりひとりの上に、やらなければならないこと、考えなければならないことが、個人の能力を超えてあふれ出しているからである。 正直に言えば、しばらく呆然としていたいのだ。 呆然と事態が移り行くのを眺めている

  • タイミングの大切さについて。 2011-03-22 - 小田中直樹2011仙台ドタバタ記

    日付がずれてますが、地震のせいでこの辺が移動して(ホント・・・数センチですが)時差が生じたということで(ウソ)。 さて、稲葉くんから暖かな言葉を頂いたのだが、ぼくはツイッタとマックとグーグルにいわれなき偏見を抱いており、またツイッタに適合的なデバイスたるスマホ、とりわけiphoneをもってない(今回も全くやる気のないソフトバンクモバイル=孫正義とは、一生契約しないと思う)ので、よーわからんのである。ま、それは措いておき、今日は、現地にいない「ヘタレ人文系インテリ」((c)稲葉くん)には何ができるか、考えてみよう。ちなみに現地にいる、ぼくのようなヘタレ人文系インテリは、避難所の受付をするあたりが適任(=自分)。 ぼくにいわせれば、 現地にいないインテリがするべきは、「インテリでしか出来ないこと」をすることである。インテリでしか出来ないこととは、来たるべき(近い、あるいは遠い)未来を構想し、提

    タイミングの大切さについて。 2011-03-22 - 小田中直樹2011仙台ドタバタ記
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/03/21
    「仙台ドタバタ記」
  • The Ashtray: The Ultimatum (Part 1)

    By Errol Morris March 6, 2011 8:00 pm March 6, 2011 8:00 pm This is part one of a five-part series. 1. THE ULTIMATUM I don’t want to die in a language I can’t understand. — Jorge Luis Borges (as quoted in Alberto Manguel, “With Borges”) It was April, 1972. The Institute for Advanced Study in Princeton, N. J. The home in the 1950s of Albert Einstein and Kurt Gödel. Thomas Kuhn, the author of “The S

    The Ashtray: The Ultimatum (Part 1)
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/03/10
    映画監督エロル・モリスが語る、トマス・クーンの思い出
  • 門脇俊介先生 | 現象学 便所の落書き

    門脇先生の訃報を昨日頂いた。 僕は先生に哲学の手ほどきをして頂いた。 大学3年生から修士終了時まで、(所属学科は違ったのだが)先生のゼミでハイデガー『存在と時間』を教えて頂き、5年間かけて第15節から18節までを読んだ。世界性と意味に関する議論の箇所で、ちょうどドレイファスのハイデガー論とも重なる箇所である。今でもゼミのことは鮮明に覚えている。学生に訳読させる古典的な哲学教育だったが、精緻な準備で当時もっとも楽しみにしていた授業だった。今から考えると、先生が東大に赴任された最初期の学生が僕たちだったのだと思う(HさんとTさんと僕の三人が当時の常連だった)。大陸哲学から分析哲学まであれだけの学識をお持ちだったわけだが、しかしあのようにフランクに学生と対等に議論を闘わせてくれる先生は当時珍しかった。 先生に教えていただいたおかげで、その後、リシールのところで現象学を学ぶ下地がいつのまにかできて

    門脇俊介先生 | 現象学 便所の落書き
  • 青空研究室 » Blog Archive » ある哲学者の死――門脇俊介先生と僕

    ハイデガー、フッサールの研究で知られる哲学者、門脇俊介先生が2月27日に亡くなられた。門脇先生は、大学院における僕の指導教官であった。 病気になられる前の先生が語られた言葉で、印象に残っているもののひとつに、「哲学は、自分は死なないと思ってないとできない」というものがある。なにかハイデガー哲学に反する言葉ではあるけれど、哲学的な探究には永遠の時間が必要である、それぐらい哲学は深い、という意味であると思う。そう語られていた先生は、五十五歳の若さで亡くなった。 通夜、告別式は3月2日、3日に行われた。たくさんの方が参列され、特に通夜の参列者は、葬儀会場のキャパシティの倍はいて、先生もびっくりされたのではないだろうか。僕がそう思うのは、先生は学者としてやや孤立主義の傾向があったように思うからである。もっとも、先生自身が「ハイデガー研究者のなかで自分は孤立している」と自嘲していたからそう思えるだけ

  • 山形浩生「山形月報!」 - ビジスタニュース

    山形浩生「山形月報!」 2010年03月25日14:45 担当者より:年始一発目の山形浩生さんの書評連載です。小説から歴史ものまで幅広く紹介されております。 配信日:2010/01/28 年が明けましたねえ、遅ればせながら。わたしはラオスの片田舎でこれを書いておりますですよ。みなさん、前回紹介した『ルワンダ中央銀行総裁日記』はお読みいただけまして? さて、新年もいろいろおもしろいが出はっておりますよ……と書いてみたんだけど、よく考えるとそんなにないな。まずは何をおいてもコーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』(早川書房)。もう最近、コーマック・マッカーシーさえあれば小説は他にいらないと思うくらい。 かれの小説は、設定とかあらすじとか書いてもほとんど意味がない代物で、べ物を粗末にしてはいけませんとか、2ちゃんねらーどものすがりたがるちんけな教科書道徳をはるかに超越した、

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/02/01
    アセモグルは,「経済発展にはまず民主主義を」という処方箋,ポール・コリアーの本ではその逆
  • クリプキ伝説 [ちょっといい話]

  • 延命するか?と祖父に訊いた。 - Everything you've ever Dreamed

    三つ子の魂百までというが小学生のころ僕のまわりで噂されていた「死んだ人間は火葬されるときにショックで棺桶のなかで生き返るが気付かれずに焼かれてしまう」という話は、当時近所に住んでいた背の高い女の子が突然病気で亡くなってしまった事実によって補強・増幅され、考察や検証もされずに僕のなかでほとんど恐怖そのもののようになっている。自分の声が届かない、意思が届かない、暗黒の恐怖だ。今日、祖父に延命措置をとるかどうか訊いたとき、そんな恐怖に関する古いエピソードを思い出した。 祖父は年末に体調を崩して入院していたのだけれど、今日は点滴が外れ、ものがべられるほどに回復した。とはいえ心不全と肝不全を起こしている明治生まれの祖父の身体が過酷な手術に耐えられるわけもなく僕や親族はこのままゆっくりと弱っていく様子をみていくしかない。それが突きつけられている現実だ。ものがべられるようになった勢いそのままに僕を相

    延命するか?と祖父に訊いた。 - Everything you've ever Dreamed