fictionに関するtsuka_ryoのブックマーク (14)

  • Kendall L. Walton "Mimesis as Make-Believe :On the Foundations of the Representational Arts" - logical cypher scape2

    ウォルトンの「ごっこ遊び」論 小説や絵画といったフィクション作品=representational artsをごっこ遊びとして捉えて分析する。 まず、想像、特にごっこ遊び的な想像というものが取り上げられる。この場合の想像というのは自由奔放に思い描いてくことではなくて、取り決めに従うような想像。例えば、おままごとであれば、泥団子がごはんであると想像しなければならない。 このような想像しなければならないことを「虚構的真理」とか「フィクショナルである」とかいう。そしてこの虚構的真理を生みだすものを小道具と呼ぶ。 小説や絵画などは、そのような小道具の一種である。 そうした作品を鑑賞するというのは、そうした作品を使ったごっこ遊びに参加するということである。こうしたごっこ遊びへの参加という観点から、フィクション作品に対して覚える感情の問題や悲劇のパラドクスへの説明を与える。 また、こうした作品がどのよ

    Kendall L. Walton "Mimesis as Make-Believe :On the Foundations of the Representational Arts" - logical cypher scape2
  • 伊藤計劃『虐殺器官』の“大嘘”について

    伊藤計劃『虐殺器官』についてのネタバレがあります。 っていうかネタバレしかありません。 いきなりラストシーンから引用したりするので未読の人は気をつけてください。 ※     ※     ※ ・今日の虐殺(2) - 伊藤計劃:第弐位相 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070710/p1 エピローグで主人公はあることについて大嘘をついているかもしれなくて、事実はどうなのか、は一応それまでに触れられているかもしれない、 わかりました。わかりましたよ。 「大嘘」というのは、 ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。 とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。

    伊藤計劃『虐殺器官』の“大嘘”について
  • pooneilの脳科学論文コメント: 好きなラノベ並べてみた

    ■ 好きなラノベ並べてみた なんだかふと思い立って。 砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない これすばらしい。死と虐待と虚言と田舎町の陰惨な話なんだけど、ラノベとして書かれる意義(大人でないってのはどういうことか)があって、すごく沁みる。コミック版もよい。 田中ロミオはAURAが最高。中二病ネタで、スクールカーストとかけっこう痛いネタも盛り込みつつ、基ラインはエンターテイメントで、ラストはドラマチックに盛り上がる。このラインでもっと読みたい、って思ってたら新作出た! 人類は衰退しましたは何冊か読んだけど、この作風、さっぱり分からねえ。 紫色のクオリアはタイムリープしたりとかいろいろめまぐるしくて楽しめるが、最後に出てくるのはなんかすごくシンプルなことで、なんか四畳半神話大系的な読後感だった。 旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。それから作者は別だけど、テルミー これらはそんなに出来はよくないのかも

  • The State of Zombie Literature: An Autopsy (Published 2011)

  • ティエリ・グルンステン『マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか』 - logical cypher scape2

    フランスのマンガ研究書。サブタイトルにあるとおり、コマについての話で、物語論や記号論なども踏まえつつ、マンガの原理を明らかにしようとする。 マンガ批評、ではなく、マンガ研究であり、基礎的な概念を明らかにして名前を付けていくというような作業をしている。実際のマンガ作品からの引用もそれなりにあるし(ただし、図版の数は少ない)、決して分かりにくい話をしているわけではないが、とはいえそれでも抽象的・理論的な話も多く、またフランスのマンガ事情を背景としているので、なかなか一読して「よし、わかった」という感じのではなかった。 フランスのマンガ(バンド・デシネ(BD))を僕は一冊も読んだことがないし、そもそも有名な作家や作品の名前を知らないし、ましてやフランスにおけるマンガ批評・研究の文脈も全く知らないわけで、なかなか頭に入ってくるものも入ってこない読書だった。もったいない感じ。 【シンポジウム】第

    ティエリ・グルンステン『マンガのシステム コマはなぜ物語になるのか』 - logical cypher scape2
  • 翻訳とキャラクターと言葉と役割語 - 誰がログ

    以下のまとめを読んで。 「翻訳された女」は、なぜ、「~だわ、~のよ」語尾で喋っているのか。 - Togetter まとめた@nofrillsさんもはてブのコメントで指摘されていますが、タイトルに例示されている「女性ことば」は第一の論点では無いように感じました*1。僕の理解では、主な論点は次の二つ(誤読してたらすいません)。 他言語から日語への翻訳の過程において、日語の方の言葉遣いで過剰な/余計なキャラクター付け(を意図した表現)が追加されてしまうことがあること。 その言葉遣いが、実際にはあまり使用されていない場合や、実際には特定の属性/キャラクターと結びつくようなものではない場合があること。 一点目は言語研究から見てもとても面白いテーマだと思いますが、翻訳自体、専門分野ではないので言及は自重*2。二点目に関しては言語研究、日語研究に親しみのある方なら「役割語」というキーワードが思い浮

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  • 東浩紀「小松左京と未来の問題1」(1/4)|Science Fiction|Webミステリーズ!

    〈ミステリーズ!〉に連載中の、東浩紀氏の「セカイから、もっと近くに!――SF/文学論」最終章として、vol.38(2009年12月号)より開始された小松左京論を、ウェブ上に転載いたしました。なお、このページ上で太字となっている箇所は、紙の誌面上での傍点を示します。(編集部) 宇野常寛によるセカイ系批判への応答に始まり、新井素子、法月綸太郎、押井守と三人の作家について論じてきたこの評論も、ついに最後の作家を迎えた。ここで取り組みたいのは、日SFを代表する巨人、小松左京である。 小松についてセカイ系の観点から語る。この枠組みが奇妙なものに見えることは理解している。というのも彼の小説は一般には、セカイ系の想像力と対照的なものだと見なされているからである。そしてそれはそれで正しい。 小松は社会派SFを多数書いたことで知られる。他方でいままで見てきたとおり、セカイ系の特徴は社会の審級が壊れて

  • 【報告】文学と精神分析─「症例」ポール・ヴァレリーをめぐって | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy

    山田広昭氏による講演会が、6月27日に駒場キャンパスにて開催されました。 講演タイトルは、文学と精神分析──「症例」ポール・ヴァレリーをめぐって。学内外から多くの方々にご参加いただきました。 文学と精神分析との関係を考える際には、精神分析以前と精神分析以降、という枠組みの設定がまず考えられますが、今回の山田氏の講演では、それに加え、フロイトと「同時代」という時代区分の必要性が示されました。1841年生まれのポール・ヴァレリーはこの「同時代」の作家にあたります。フロイト以前の著者は、当然ながら精神分析の理論を念頭におく必要が一切ありませんでした。それに対し、フロイト以降の作家たちは、常にその理論の存在を意識せざるを得なかった。そして「同時代」の書き手においては、そうした「以前」と「以降」とが混在していることになります。 ヴァレリーは『カイエ』の中で、夢の分析を行い、望まない「反復」についての

    【報告】文学と精神分析─「症例」ポール・ヴァレリーをめぐって | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy
  • メモ: temporalia

    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/06/15
    ・Pete Faulconbridge, "A New Approach to the Paradox of Fiction" 「フィクションのパラドクス」、ウォルトン
  • パラドクシア・エピデミカ - 白水社

    ギリシア・ローマの雄弁術から中世の否定神学を経て、ルネサンスの科学・文芸・思想を席巻した「風土病」としてのパラドックス作品を百科事典的に通観した名著。待望の完訳!

    パラドクシア・エピデミカ - 白水社
  • ゆるふわ形而上学読書会番外 - 清塚邦彦『フィクションの哲学』合評会(2010-01-24、本郷)

    森功次/MORI Norihide @conchucame 明日は『フィクションの哲学』非公式合評会の日であります!13:00@東京大学郷キャンパス、法文二号館、美学芸術学研究室(部屋番号は2213)。 2010-01-23 14:33:23 ёшифуми цучия つちや @pankyokouron 分析哲学のを読む際は、実現可能性の高低を括弧にくくって、論理的整合性のみを評価してあげなければならない。論理で作り上げられた、工芸品を眺めるような眼差しで。 2010-01-23 22:03:45

    ゆるふわ形而上学読書会番外 - 清塚邦彦『フィクションの哲学』合評会(2010-01-24、本郷)
  • 小松左京『神への長い道』 - intermediated

    "五十六世紀人たちのしゃべる言葉は、長い場合は猛烈にはやかった。――まるで昆虫の翅音のようにしかきこえない。一つ一つの単語をゆっくりきかせてもらうと、その中には二十一世紀の言葉が、猛烈に簡略化され変形されて、かすかな痕跡をのこしていることがわかるが、とてもききとれたものではない。その上、彼らの言語系の中には、数式や数字の概念が、たくさんとりいれられていて、とてもついていけたものではなかった。――日常の会話は、まったく静粛で、言葉すくなかった。というよりは、大脳前頭葉が二十一世紀人にくらべて極度に発達した彼らは、ほんの短い、間投詞のような言葉を投げかけあうだけで、ほとんどの意味が通じてしまうらしかった。しかし、長い議論になると、鳥のさえずりのような、せせらぎのようなせわしない声があたりにみちた。――彼が発見しておどろいたのは、五十六世紀人たちは、会話が熱をおびてくると、しばしば二人ないしそれ

    小松左京『神への長い道』 - intermediated
  • j1nn.com - このウェブサイトは販売用です! - j1nn リソースおよび情報

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    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2010/11/21
    ではどうすればいいか→相関関係をひたすら考えること、と。
  • 魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト

    SINCE:2009年9月8日 作品最終更新日:2009年11月22日 - 追加。 サイト最終更新日:2009年11月26日 - 追加。 ○初めて来訪した方○ このまとめサイトは2chのニュース速報VIP板及び、パー速VIP@VIPServiseの 魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」スレの ママレードサンドさんによる小説をまとめているサイトでした。 ママレードサンドさんお疲れ様でした。素晴らしい物語をありがとうございました。 意見や要望・修正等はこちらへ(したらば) ※TOPイラストは5スレ目82レス目のID:WCSb/AU0さんによるものです。 ※携帯の方で閲覧に支障のある方は7xまとめさんでの閲覧お勧めします。 Created by ママレードサンドさんとスレ住人のみんな。

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