清水に関するtsukikanaのブックマーク (4)

  • 温かく、澄んだ気持ちになれた帰り道 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    クリスマスが終わると、街は一気に迎春ムードに包まれる。洋風から和風へ。お店のディスプレイも一夜明ければ様変わりだ。ご担当者は大変なことだろう。年の瀬は当に慌しい。 年内にもう一回行けるかな~、と予定表と睨めっこしていた私だが、クリスマス直前、2泊ではあるが夫とふたり、また清水の家に行くことができた。両親の住んでいた家である。 寒かったけど、頑張った。 果てしないと感じていた遺品整理、今回ようやく“前に進めている”実感を、少しだけど得ることができたのは何よりだ。ビデオテープやDVD、CD、カセットテープ類に手を付けたからだと思う。 断捨離をするとき、何から始めるか順番が大事なのだと、で読んだことがある。順番、大事なのはその通りだろう。 ただ、自分の家のモノを断捨離するのと、亡くなった親のモノを遺族として処分していくのとでは違うのだ。まだ混乱や喪失感に苦しんでいるときに、できることは限られ

    温かく、澄んだ気持ちになれた帰り道 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 幻想的な灯ろう流しー父母を想った7月盆 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    夏を彩る風物詩は・・・ もちろん、いろいろある。が、静岡市清水区の人たちが思い浮かべるものの上位には、間違いなく「灯ろう流し」があるのではなかろうか。 だって、・・・そう、あんなにも綺麗なのだから。 私の記憶にある灯ろう流しは、いくつの頃に見たものだったか。多分、清水に住んでいた小学校時代の3年間の、いずれかの夏のことだったはず。 それは、忘れられない美しさだった。真っ暗な闇の中、広い穏やかな川面を、ともし火を乗せた無数の舟がゆっくり流れていく。なんともはかなく幻想的な光景で、夢を見ているようだった。 清水巴川灯ろうまつり。 巴川流域の市民に親しまれているお祭りで、何度か中止した時期もあったが、250年余の歴史を持つそうだ。 現在では例年7月16日(この地域は7月盆なので)に開催されていて、数か所の橋のたもとにある流し場から、毎年3000艇あまりの灯ろうが流される。 ※流された灯ろうは環境

    幻想的な灯ろう流しー父母を想った7月盆 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 寂しくもあり、あたたかくもありー実家の片付け進行中 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    清水から帰ってきたら、ニオイスミレが咲いていた。 冬枯れの景色だったベランダに、そこだけ色が付いたようだった。ほのかな甘い香りも春の訪れを告げている。 律儀だなあ。 ほったらかしだったのに、ちゃんと今年も花を咲かせてくれて、嬉しいような申し訳ないような気分になる。疲れが、ゆっくり癒えてゆく。 清水には、今回は4日間滞在した。12月に2泊で行ったときは、銀行さんに行ったり業者さんを迎え入れたりするのがメインで小さな作業しかできなかったが、1月下旬に弟夫婦が5日間片付けに入ってくれ、おかげで整理もかなり進んだように感じる。 ✻昨年暮れの清水行きを書いた記事はこちら↓ tsukikana.hatenablog.com それでもまだまだ、やることは残っている。どうしていいのやら、迷っていることもたくさんある。遠くにある実家の片付け・・・いやあ、手ごわいわ。 毎回出るごみの量もすごいのだ。 静岡市清

    寂しくもあり、あたたかくもありー実家の片付け進行中 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 次郎長親分と南岡町 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    手を洗い過ぎて手荒れが大変。ハンドミルクの減りが激しい、ここ数週間。ニューコロナ関連の日々のニュースには当に気が滅入る。明るい兆しが早く見えないものか。 前回の記事で、明るい気分で3月を迎えたい、と書いたけれど、なかなかそうは問屋が卸してくれない。母の様態が思わしくなく、先週、静岡の実家に行ってきた。 頸椎から足を痛め、杖を使っていた母が、いよいよそれでも歩くのが困難になり、車椅子と介護ベッド、家の各所に手摺を導入することに。 先行して弟が行ってくれていたが、交代で私が4日間。初日は夫も来てくれて、キッチンのシンク周りを磨くなど、一生懸命協力してくれた。 私も母の通院に同行する他、2階のトイレを掃除したり、網戸と窓を拭いたり、洗面所やバスルーム、キッチンの排水口を掃除したり。長い間、放っておかれたようだった。あの綺麗好きな母がこの状態を許してしまうほど動けなくなっていたとは、と、こみ上げ

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