ライター仕事に関するtsukikanaのブックマーク (4)

  • 物語のはじまりを予感したあの日―とあるクリスマスの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    東京でひとり暮らしをしていた20代の頃、生活情報紙の記者が生業だった私。いろいろな取材をする中で、素敵なお店を見つけて紹介するという仕事が、結構好きだった。 取材先は、自分で探したり、編集長や先輩、読者に勧められたりすることが多かったのだが、「是非紹介して」という、お店側からのお願いもたくさん届いた。 まだメールもなく、Faxすら出始めの頃。ほとんどが郵送で、しかも手書きの手紙が多くて。その中で、文面から「これは面白そう」と思った所には出向いていくという、そんなのどかな時代だった。 あるお店の話である。もう名前は忘れてしまったが、是非、バスに乗って取材に来てほしい、とハガキに書かれていたことで、興味を持った雑貨屋さんがあった。 それはクリスマスシーズンのことで、渋谷区の代官山を走るそのバスからは、とても素敵な街の様子を眺められるから、記者さんに雰囲気を味わいながら来てほしい、というのが理由

    物語のはじまりを予感したあの日―とあるクリスマスの思い出 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • いつの間にか、周囲は年下ばかり? - 一筋の光、降り注ぐ光。

    書くことを仕事と決めて、何十年たっただろう。新聞社や小さな出版社で取材記者をしたり、フリーでライティングや編集をしたり、企画出版(自費出版ではなく商業出版)でも一度出した。途中ブランクも度々あったし、事務や販売の仕事をしたこともあったが、今また細々とだけど、フリーランスでライターの仕事を続けさせてもらっている。 20代の頃は、仕事仲間も取材先も、年上の人ばかりだった。社内外の大人たちに、叱られたり励まされたりして、育ててもらった。いっぱい恥をかいて、いっぱい衝突して、認めてもらえれば嬉しくて、背伸びするように仕事をしていた。憧れの先輩たちに近づきたかった。 いつからだろう、まわりに年下の人たちが増えてきたのは。私が子育てで仕事を休んでいた頃からかな。打ち合わせに出向くと自分が一番年上だった、ということが多くなった。上司です、と紹介され出て来た方もお若くて!・・・そういうのにも慣れてきた。

    いつの間にか、周囲は年下ばかり? - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • あるHSPの仕事事情―この気質であればこその幸福 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    8月も残すところあとわずか。夜になると虫の声も聞こえ始めた。しかし、やはり夏はしぶといね。 殺人的な名古屋の暑さに加え、今年は例年以上にゲリラ豪雨も多い。それで例年以上に引きこもりがちな私の夏が続いている。 とはいえ、時には出掛けなくてはならないこともあって。先日はバスに乗って取材に行った。 ドクターをインタビューする仕事で、これが4目。毎度、緊張する。そろそろ慣れてもいいのにさ、と自分に文句のひとつも言いたくなるが、まあ、HSPだから仕方ないか。 ※HSP(Highly Sensitive Person=とても敏感な人)についての以前の記事。 ◆あるHSPの小さな決意―この「生きづらさ」を減らしていこう!(2017.2.14) ◆不寛容の時代の空を見上げて(2017.1.17) 私はこの仕事を大切にしたいと思っている。しかし、仕事の前の段階がとてもしんどい。HSPという自分の気質に手を

    あるHSPの仕事事情―この気質であればこその幸福 - 一筋の光、降り注ぐ光。
  • 学びたい!学ぼう!と思える理由 - 一筋の光、降り注ぐ光。

    ここ一週間ほど、よく勉強している。いわゆる「仕事の下調べ」というやつだ。来週のインタビューで取材相手に気持ち良くお話をしていただけるように。なんて、当はそれ以前の問題で、まず自分がトンチンカンな質問をしないように、である。 全くの未経験分野の仕事を引き受けた。少しでも不安を払拭しておきたい。 昔、定期刊行物の編集者だった頃は、特集を手掛けるたびに「俄か専門家」になっていた。短期間でそのことについて詳細に調べ、読者に伝えて喜んでもらえるものに仕上げるのは楽しかったが、調べた詳細はすぐに忘れていった。びっくりするくらい速く。当に「俄か」なのだった。 まだインターネットのない時代。図書館や書店を駆けまわって書物にあたり、詳しそうな人に電話をかけ、公的機関などから資料を集めて、一生懸命原稿を書いていたのを懐かしく思い出す。 そう、そんな時代だった。まさにアナログ。しかし、そんな必死な調べ方をし

    学びたい!学ぼう!と思える理由 - 一筋の光、降り注ぐ光。
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