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発達と社会に関するtsuneaki02のブックマーク (46)

  • ローレンス・コールバーグ「6段階の道徳性発達理論」

    心理学者・臨床家・研究者の人物像や提唱された内容から今に学べることは多くあります。 ここではローレンス・コールバーグ「6段階の道徳性発達理論」について書いていきたいと思います。 ローレンス・コールバーグについて ローレンス・コールバーグ(Lawrence Kohlberg)は、1927年ニューヨークの家庭の四人兄弟の末っ子として生まれます。 第二次世界大戦が終結するときに高校を卒業し、船乗りとしてユダヤ人難民のパレスチナへの密航をサポートする仕事に就きます。 その後は、シカゴ大学に入学してわずか一年で学位を取得し、ジャン・ピアジェの認知発達理論の影響を受け、博士号を取得します。 エール大学やハーバード大学で教壇に立ちましたが、1971年にベリーズでの仕事では伝染病にかかり肉体的・精神的苦痛に苦しむ日々を過ごします。 1974年にハーバード大学へ復職しますが、苦痛とうつ病に苦しめられ、198

  • 群れ遊び欠乏症|shinshinohara

    現代子育ての弱点は「群れ遊び欠乏症」だと思います。子ども同士から受ける影響は大人からのものとは全く違い、喧嘩しながらも深く内省し、楽しいからガマンも覚え。発達障害のある子でも群れ遊びを数年経験すれば、経験から行動を補正する術を身につけられる子が多かったのではと思います。 また、子ども社会そのものも多様な子どもに揉まれることで、いかにいろんな子どもがいるのかを思い知り、かなり変わった子でも「いるいる、そんなヤツ、まあええやん、こうしたらええねん」と包摂し、それなりに子ども社会の中で扱える、子ども社会の錬度が高かったと思います。 しかし少子化が進んで子どもがおらず、一緒に遊ぼうとしても少人数、大人が多すぎて大人の「眼」の中でしか活動できなくなり、子ども社会が事実上消滅しました。それが今の子育てのやりづらさなのでは、と思います。子ども社会にもまれなくてもすんなりコミュニケーションできる定型発達し

    群れ遊び欠乏症|shinshinohara
  • 「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる - 悩みは、心の外にある

    昔、筆者が、ペーパードライバーの講習を受けて運転の練習をしていたときのことです。 ドライビングスクールの先生と少し雑談しながら、運転をしていました。 筆者「そういえば、運転すると人が変わる人っていますよね?」 先生「いますね。」 筆者「なんででしょうね?あれは」 先生「車内がプライベートな空間で、自分が解放されるみたいですよ」 筆者「なるほどそうなんですね。確かに知り合いのおじさんも、車に乗ると、オラー!って人が変わっていました。」 このように、 どうやら、〝私的な空間”というのは(厳密にいえば公私の区別があいまいなところは)人をおかしくしてしまうようです。 別の例では、DVを行う男性もこれに似ています。 公的な空間にいると、紳士的なのですが、 私的な空間になると、人が変わって、パートナーに暴力、暴言を浴びせてしまう。 (参考)→「家庭内暴力、DV(ドメスティックバイオレンス)とは何か?

    「関係」の基礎2~公私の区別があいまいになると人はおかしくなる - 悩みは、心の外にある
  • ニセ成熟は「感情」が苦手 - 悩みは、心の外にある

    ニセ成熟の状態の人は、「感情」というものをとても嫌います。 感情的な人は苦手です。「あんな自分勝手に感情を表に出すような人には絶対になりたくない」と思っています。 軽蔑して、嫌悪しています。 しかし、感情を強く怖れてもいます。肝が冷えるというのは、このことか、と思うくらいに恐怖を感じます。 感情的に迫られると、頭が解離(ボーっとして)してしまって、対処することができません。 そして、状況が去ってから、怒りがわいてきたり、恐れから相手を頭の中でコテンパンにこき下ろしてしまいます。 あんな人になりたくない、が原動力ですから、自分の感情も殺そうとします。 人へのネガティブな意識はなくそうと研さんに励みます。でもうまくいきません。自然な感情なのですから、当然と言えば当然です。 あんな人になりたくない、というモデルは多くの場合親です。理不尽な父、感情的な母になりたくない、と思います。 ただ、感情を嫌

    ニセ成熟は「感情」が苦手 - 悩みは、心の外にある
  • 積み上がらないのではなく、「自分」が経験していない。 - 悩みは、心の外にある

    トラウマを負っている人の特徴として、「経験が積み上がらない」といったことがあります。 (参考)→「あなたの仕事がうまくいかない原因は、トラウマのせいかも?」 仕事ではがむしゃらに頑張って、努力しているのに、いつまでたっても自信がなく、経験が積み上がっている感じがしない。 頑張りが足りないのかな?とさらに努力をしてみるのですが、やはり、積み上がる感じがしない。 どこか、「自分の人生がまだ始まっていない」感覚があるのです。 その理由として、トラウマによって解離しているからとか、低血糖になっているから、とかいろいろと説明はあるのですが、最近感じるのは、経験が積み上がらないのは、「自分(私)がそこにいないから」というものです。 前回、「自分のIDでログインしてないスマートフォン」ということを書きましたが、まさに、自分のIDでログインしていないので、記録(経験)がセーブされない。 自分(私)として、

    積み上がらないのではなく、「自分」が経験していない。 - 悩みは、心の外にある
  • 小・中学生の女子はなぜ「うち」という一人称を使うのか? その深すぎる理由(中村 桃子) @gendai_biz

    「ことば」と「自分らしさ」 筆者は「社会言語学」を専門に研究してきた。この分野は、ことばの社会的な側面に注目するが、ここでは、ことばを使って私たちは「自分らしさ」をどのように表現しているのかという問題を取り上げよう。 「ことば」には情報を伝えるという重要な役割があるが、それと同時に、会話に関わっている人同士の関係やイメージも伝えている。 最も分かりやすい「人称詞」の例で言えば、自分を「わたし」と呼ぶか「ぼく」と呼ぶかで、話し手のイメージは変わってくる。また、聞き手を「○○さん」と呼ぶか、「○○」と呼び捨てにするかで、話し手と聞き手の関係も変わる。さらに、会話に登場した人を、「あの人」と呼ぶか「あいつ」と呼ぶかで、その登場した人の印象も変わる。 つまり「ことば」には、自分はどんな人間なのか、聞き手とどんな関係にあるのか、また、話題に上がっている人をどう思っているのかなどを伝える働きもあるのだ

    小・中学生の女子はなぜ「うち」という一人称を使うのか? その深すぎる理由(中村 桃子) @gendai_biz