『同性婚と国民の権利』憲法学者・木村草太さんは指摘する。「本当に困っていることを、きちんと言えばいい」
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LINEやFacebookが息苦しい人に――ビジネスモデルの知識があなたを自由にする(尾原和啓『プラットフォーム運営の思想』第4回) 現代のプラットフォームが抱える様々な問題点は、別に悪意を持って皆さんに不利益を与えようとして、生じたものではありません。こうした歪みは、単に彼らが営利企業であり、市場でいかに価値を出していくかを考える中で、結果的に生じたものがほとんどです。しかし、そのことが私たちに息苦しさや不自由を感じさせています。こうした営利企業のビジネスモデルの追求が生み出す弊害を、僕は「ビジネスモデルの重力」と呼んでいます。
私たちは日々の行いは、論理と理性に基づいていると思っているが、果たしてそれが正しいのだろうか。ひとつの問題をよく考えてみても、結局最初に思いついた結論に立ち戻ることが多いのではないだろうか? リーダーと呼ばれる人たちは、社会的、政治的な問題における人的要因を見過ごしているし、世の中の多くの人が正しいパートナーを選択していないのは、離婚率の高さをみれば、明らかだろう。 「感情なんて無視するのが賢明だ」と人々は考えているようだ。効率的に働くためには、”機械”のように動き、この時代に求められる”製品”になること。充分に油が注され、消費者想いで、デジタル化されている――周囲のことに無頓着な高性能ロボット。そう思っているから、人々の悩みは解決しない。
一般に、「日本人は議論が苦手である」と言われている。そもそも、日本人は議論が好きではないようだ。このことは、「議論(意見)を戦わせる」などの用法に顕著なように、日本語の「議論」という言葉には、攻撃的な含意が強いことに見て取れるのではないか。議論という言葉だけではなく、英語のcriticalの批判的を非難の意味で捉たり、aggressiveを積極的というよりは攻撃的と思っているふしがある。 つまり、「こころ」優しい日本人は、言葉にせよ、態度にせよ、自者を積極的に他者に対峙させること自体、とかく攻撃的なので良くないと考える傾向が強いのかもしれない。本来、自者と他者の対峙は、論理的・建設的な議論の前提として必要でこそあれ、攻撃的であるか否かとは別物であるにも関わらず、である。 現に、KY(空気が読めない)に代表される暗黙の疎外圧力は、対峙とは程遠いが、KYとみなされた者に対して極めて攻撃的である
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