2007年11月4日のブックマーク (4件)

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    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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    tubame0604
    tubame0604 2007/11/04
    だから、中二でそれを経験できなかった大人が現在それをしてるだけなんだって。
  • 2007-11-03 - 砂上のバラック

    シリーズ最終戦の落合采配が話題になっているようだが一言言いたい。とりあえず、落合擁護する奴らはまず全員、大沢に「つまらないからバントばかりするな」と非難された森西武を擁護してもらおうか。いや、それは冗談だけど。以下、野球についてやたらと長い思い出話を取りとめもなく書き散らす。 俺は小さい頃から西武ファンだった。親父が元々パリーグ好きだったこともあって(小さい頃は駒沢によく観に行っていたらしい)、よく西武球場まで親子で観戦に行っていたのがきっかけだった。当時人気だったいしいひさいちの『がんばれ!!タブチくん!!』の影響もあったと思うが、田渕だけ好きだったわけじゃなく、大田、山崎、行沢、蓬莱、スティーブ、テリーといった他の選手のことも好きだった。ちなみに当時を知る野球ファンからすると蓬莱だけがどう見ても浮いていると思うが、蓬莱は名前が変わっていたことと、「しゅんそく」*1だったことが幼心に

    2007-11-03 - 砂上のバラック
    tubame0604
    tubame0604 2007/11/04
    意見の合わない人間と罵り合うことでさえもスポーツの楽しみの一つ。共感。
  • 代替可能性に関して(2) - onoya's blog

    代替可能性に関して(http://d.hatena.ne.jp/onoya/20061225/1167012084)も参照のこと。 愛をめぐる二つの形式がある。 『「干渉しないことこそが最高の愛」と「愛とは究極の束縛」という二項』。 言語哲学に突っ込みそうな話だが、型にはめずに対象を認識するとは、常に固有名詞として対象を認識するということだと思うが、それって可能なのかという議論は検討する価値があるか。 まずは「僕の愛(斧屋さんへ私信)」(http://d.hatena.ne.jp/tan_po_po/20071101/1193885337)を引用します。 『まず「愛とは究極の束縛」とは、相手の意思に拘らずこちらの身勝手な愛で束縛するという捉えではなく、『この人に愛されたい』とその相手に思わせる(優しさとか強さとか思いやりとかの)姿勢を示すという捉えです。 (中略) で次に『こんなカゴの中に

    代替可能性に関して(2) - onoya's blog
    tubame0604
    tubame0604 2007/11/04
    求める愛と手放す愛と執着心と無関心と天使と悪魔。結局、「真実の愛とは何か」の野島伸司問題に帰着するんだよなあ。機会があったら何か書こう。
  • 承認2.0 - はてブついでに覚書。

    ウェブのおかげで、世界にはほんとに多種多様な人がいて、 みんな凡庸というけれど、1人として同じじゃないし、個性的だということを、やっと実感として知った。 今までは自分がリアルで見ている、小さな小さな世界のなかで、 人生を構築していたし、自分の一生を、まあそつなく、中庸で、人生にありがちなことは大抵経験して死ぬ、みたいな感じに見ていたけれど、 世界という大きな大きな人の塊のなかで、 その一人ひとりがみんな、平均値を取ったような生き方をしなくてもいいのだなと思った。 私がたとえどんなに偏っていようが、 世界のどこかには、私と正反対に振れている人が必ずいて、 それは天上から見れば、きっとバランスが取れている。 それでも、ウェブがなかったころは、自分が普通なのか、特殊なのか、 これでいいのか、いけないのか、そんなバランス取りは結局、 自分がリアルに触れる環境の中でやるしかなかったけれども、 今は、

    承認2.0 - はてブついでに覚書。
    tubame0604
    tubame0604 2007/11/04
    私がたとえどんなに偏っていようが、天上から見れば、きっとバランスが取れている。